側妃マリアの謀

 
 それから、一日かけて研究棟に到着した。
 先日のように警備兵には親戚だと伝えて、入室の許可をもらう。ルンハルト殿下の入った鞄は、ジェイムズが持っている。
 個室に案内されると、ジェイムズがソファに鞄を下ろした。口紐をほどくと、ルンハルト殿下がニョキッと顔を出す。
「ここに、アルヴィンがくるの!?」
「ルンハルト殿下、しー」
 口元に人差し指を当てると、慌ててルンハルト殿下が口を手で覆う。その仕草が可愛らしいと思いながら、私もルンハルト殿下の隣に腰を下ろした。
「お利口でしたね」
「どきどきした……!」
「ふふ、アルヴィン卿の反応が楽しみですね」
「びっくりする?」
「そうですね。とても、驚くと思います」
 そういうと、悪戯心が刺激されたのだろう。もそもそとルンハルト殿下が自主的に鞄の中に入る。
「マリア! くちしめて」
 口を結ぶ紐を取って、ルンハルト殿下が私に言った。それに目を瞬くのと、扉がノックされるのはほぼ同時だった。ルンハルト殿下が慌てたように、小声でさらに言う。
「マリア! はやく!」
 ようやく意図を理解した私は、くすくす笑いながら紐を結んだ。ルンハルト殿下は、アルヴィン卿を驚かせたいのだろう。
 (そうとう驚くと思うわ……)
 本来、ここにはいないはずのルンハルト殿下が姿を見せたら、さすがのアルヴィン卿も腰を抜かすかもしれない。彼は、無表情でいることが多い。
 ジェイムズだけが、困ったような顔をしていた。ダリアとエラが顔を見合せて、くすくすと笑っている。
 アルヴィン卿が扉を開いて、中に入ってきた。
「失礼。忙しいところご訪問いただきありがとうございます、マリア妃」
「こちらこそ。お手紙をありがとうございました」
 当然だけれど、アルヴィン卿はルンハルト殿下にまったく気がついていない。ルンハルト殿下が、いつ姿を見せようかソワソワしているのが手に取るようにわかる。
 アルヴィン卿が、私の対面のソファに腰を下ろした。
「では、さっそく本題に入りますが。実は先日──」
「ばあ!!」
 アルヴィン卿が口火を切った直後、自ら口紐を解いたルンハルト殿下が鞄から現れた。
「──」
 アルヴィン卿は絶句し、目を見開いている。
 信じられないものを目にしたような、幽霊を目の当たりにしたような、そんな顔だ。だけどすぐにこれが現実だと気がつくと、音を立てて立ち上がった。
「は……? ルンハルト!?」
「アルヴィン、こんばんは!」
 元気よく挨拶をするルンハルト殿下に、目を瞬かせながらアルヴィン卿も返事をした。
「あ、ああ……。こんばんは……」
 困惑しつつも挨拶をするアルヴィン卿が可愛らしくて思わず笑みを零すと、彼の視線が私に向けられた。
「……マリア妃、これは?」
「ルンハルト殿下は、アルヴィン卿に会いたかったそうですよ? ですから、お連れしました」
 私の言葉に、アルヴィン卿がふたたび目を見開く。ルンハルト殿下はワクワクしていた様子から一転、不安そうにアルヴィン卿を見ている。
「アルヴィン……おこった?」
「……怒ってはいない、けど」
 歯切れ悪くアルヴィン卿が言う。それからおおきくため息を吐き、彼の視線は私に向いた。
「ルンハルトに何かあったらどうするつもりですか」
「そうならないよう、細心の注意を払いました」
「それは結果論にすぎません。……ここまでは馬車で来られたのですよね? 万が一、をお考えにならなかったのですか?」
「もちろん、その可能性も理解しています」
「誰かに見られたらどうなるか、あなたもわかっているはずだ」
 アルヴィン卿の声は低く、私の行いを強く非難している。分かっている。もし、ルンハルト殿下を誰かに見られたら、きっと強く批判されていただろう。ルンハルト殿下の目を恐ろしいと言い、彼は酷く傷つけられていたに違いない。
 そしてこの騒ぎが陛下の耳に入ったら、どうなることか。陛下やセラフィーナ様は、ルンハルト殿下の見目を公にしていない。
 王に子がいることは公表されているが、ルンハルト殿下の見目は意図的に伏せられているのだ。赤目は、縁起が悪く不吉だから、という理由で。ルンハルト殿下はいないものとして扱われている。
「ジェイムズ。お前もなぜ止めなかった」
「申し訳ございません」
 ジェイムズが頭を下げる。それを遮って、私は言った。
「無理を言ったのは私です。お叱りは、私が受けます。ですがその前に、アルヴィン卿」
 私が呼びかけると、アルヴィン卿は眉間に皺を寄せて私を見る。苛立っている。ルンハルト殿下が大切だから。
 安全な離宮から連れ出されたことに、不安を感じたのだろう。彼の気持ちも分かる。だけどその前に──
「ルンハルト殿下と、話してあげてください」
「──」
「ルンハルト殿下は、あなたに会いたかった、と言っていました。まずは、この子の気持ちを聞いてあげてください。差し出がましいこととは存じますが、お願いします」
 私から言うのはおかしなことかもしれない。
 それでも、アルヴィンに嫌われてしまったかもしれないと悲しむルンハルト殿下を見ていたくなかった。
 私が促すと、そこでアルヴィン卿はルンハルト殿下の様子に気がついたのだろう。ルンハルト殿下は、しゅんと、まるで枯れた花のように俯いてしまっていた。
 アルヴィン卿はなにか言おうとして、だけど失敗したように視線を逸らす。
 ルンハルト殿下が、おずおずとアルヴィン卿に尋ねた。
「アルヴィン……ぼくのこと、きらいになったった?」
 しゃくりあげてしまったために、呂律が回らなかったのだろう。
 『きらいになったった?』つまり『嫌いになっちゃった?』その言葉に、アルヴィン卿が目を見開いた。
「そんなわけないだろう!」
「それなら、どうして、あいにきてくれなかったの」
 怒ったような、悲しみを深く滲ませた声で、ルンハルト殿下が尋ねる。それに、アルヴィン卿は答えに窮した。
「それは……」
「アルヴィンがいそがしいの、しってるよ。ぼく、わかってる。でも……アルヴィン、いってた。おひさまがしずむのを、じゅっかいくりかえすまえに、あいにくるって。かならず、って。いってた!」
 ついに、ルンハルト殿下の目から涙が零れた。
 ぽろぽろと涙を流すルンハルト殿下に、アルヴィン卿が言葉を失う。ジェイムズはなにか言おうとするが、その度に失敗したように度々口を閉じたり開いたりしていた。
「まいにち、かぞえてた。でも、じゅっかい、すぎても、にじゅっかい、すぎても、アルヴィン、こなくて……」
 何度も何度もしゃくりあげながら、苦しげにルンハルト殿下が言った。
 (知らなかった……)
 アルヴィン卿は、一週間に一度、必ず顔を見せるとルンハルト殿下と約束していたのだろう。
 だけど、アルヴィン卿が多忙を極め、それも難しくなってしまった。
 (……私のせいでもある)
 あの日、私はアルヴィン卿に無理を言った。
 ルンハルト殿下のために、王位を取れ、と、彼に言った。
 彼の返答は……。まつ毛を伏せたところで、ルンハルト殿下が叫んだ。
「アルヴィンの、うそつき!」
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