側妃マリアの謀


「──」
 アルヴィン卿が、弾かれたように目を見開く。まるで、石ののように彼は固まった。
 アルヴィン卿は、何も言えないようだ。ただ、目を見開いて、ルンハルト殿下を凝視している。
 ルンハルト殿下は次から次に涙を零す。ついに、しゃくりあげながら俯いた。
 何度も首を横に振って、ルンハルト殿下は掠れた声で謝った。
「ううん、ちがう。ちがうの。ごめん……ごめんなしゃい」
 思わず、ルンハルト殿下を抱きしめたくなってしまった。だけど、これはアルヴィン卿とルンハルト殿下の問題だ。今、ここで私が口を挟んだら、きっとこのふたりはずっと拗れてしまう。
 アルヴィン卿を見ると、彼は未だに呆然としていたが、私の視線を受けてハッと気がついたようにルンハルト殿下を見つめた。
「ルンハルト、すまなかった」
「ごめんなしゃい……アルヴィン、いそがしいって、ぼく、しってる……。でも、でも、アルヴィン、いった……」
「ああ。……ごめん。ごめんね、ルンハルト」
 アルヴィン卿が席を立ち、テーブルを回ってルンハルト殿下の前に立つ。膝をついて、ルンハルト殿下と視線を合わせた。ルンハルト殿下は、未だに俯いていてその視線は交わらない。
 アルヴィン卿は眉を寄せてルンハルト殿下を見つめると、彼を抱きしめた。
「私が悪かった」
「アルヴィン……」
「もう、約束を破らない。だからどうか、許してほしい。すまなかった」
「……ほんとう?」
「ああ、本当だ」
「やくそく?」
「うん」
 アルヴィン卿が頷く。それに、ルンハルトは未だ涙に濡れた声で言った。
「じゃあ……じゃあ。つぎは、ちゃんと……あいにくる?」
「もちろん」
 アルヴィン卿は、ルンハルト殿下を抱きしめながら、その背を優しく撫でる。そうしているうちに、次第にルンハルト殿下の呼吸は落ち着いてきた。
やがて、ルンハルト殿下の体からはくたりと力が抜けてアルヴィン卿の胸にもたれかかった。泣き疲れて眠ってしまったのだろう。
 アルヴィン卿は、変わらずそのちいさな背を撫でながら、小声で言った。
「寝たようだ」
「無理をさせてしまいましたね」
 この一日を費やした馬車旅は、幼いルンハルト殿下には負担だっただろう。初めての旅路に興奮したのもあり、疲れも溜まっていたのだと思う。
 アルヴィン卿はゆっくりルンハルト殿下を離すと、ジェイムズを見た。
「運んでやってくれ」
「ですが……」
 玄関扉には、警備兵がいる。
 本来、研究棟にはいないはずの子供が突然現れたら、彼らも驚くだろう。ジェイムズがどこに連れていくべきか困惑していると、アルヴィン卿が肩を竦めて苦笑した。
「部屋を出て、右手に進むと私の私室だ。その隣の部屋が寝室だからベッドに置いてやってくれ。この時間だから警備の兵はいないとは思うが、見つからないよう気をつけて」
 アルヴィン卿は、ポケットから鍵を取り出すと、それをジェイムズに渡した。鍵を受け取ったジェイムズが頷き、静かにルンハルト殿下の体を抱き上げる。揺られても、ルンハルト殿下は目を覚ますことはなかった。余程深く眠っているのだろう。
 ジェイムズとルンハルト殿下が退室すると、アルヴィン卿が深くため息を吐いた。
「ふぅー…………。申し訳ありませんでした、マリア妃」
「いいえ……突然、ルンハルト殿下をお連れしてしまい、こちらこそ申し訳ございません」
 謝ると、しかしアルヴィン卿は首を横に振った。
 彼は元々座っていた、反対側のソファにふたたび腰を下ろした。まつ毛を伏せ、アルヴィン卿が言う。
「ルンハルトが、悲しい思いをしていたことに気付きませんでした。あの子の本心が聞けてよかった」
 ルンハルト殿下の「うそつき」という言葉は、アルヴィン卿にとっても衝撃だったのだろう。大人しく、物静かなルンハルト殿下が、あんなふうに誰かを責め立てるのを見るのは、私も初めてだ。アルヴィン卿は、今もまつ毛を伏せ、カーペットに視線を向けながら、話し出す。
「焦るあまり、目的を見誤るところでした。私の目的は、ルンハルトに寂しい思いをさせないこと。私の時のように……ひとりにはさせないと決めていたのに。結果的に、私はルンハルトに寂しく思わせてしまっていた」
 アルヴィン卿は苦笑した。
「……私が、無理を言ったからでしょう。私にも責任があります」
 あの日、アルヴィン卿は私の提案に乗った。
 つまり、王位をとると決めたのだ。
 『……あなたは、王になる覚悟はございますか? ルンハルト殿下のために……王になる、覚悟が。多少乱暴な方法にはなりますが、あなたにその気があるのなら。私に案がございます』
 私の問いかけに、アルヴィン卿は息を呑んだ。
 『……あなたの案とは?』
 『アルヴィン卿が、本心から王位を求めるのであれば、その根回しの材料を私が用意します』
 『なるほど。あなたは、外から、私は内から動くということですね』
 それだけで、アルヴィン卿は私の意図を理解したらしかった。
 『アルヴィン卿が即位するなら、私は、セレニア皇国とモントヴァルト王国、エリセリュン王国の三国同盟の下地を整えます。ですからあなたは、あなたの味方となる貴族を増やしてください』
 根回しの材料とはつまり、セレニア皇国とモントヴァルト王国の同盟だ。このままでは、エリセリュン王国は、二国を敵に回してしまう。だけど、アルヴィン卿が即位するならその限りではない。
 二国を敵に回すのであれば、アルヴィンを王に、と考える貴族も少なからずいるだろう。元々、現在の政治に不満を持っているひとを当たれば、説得は不可能ではない。
 『貴族院の半数を味方につけてくださいませ。期間は、半年です』
 私の言葉は、他の人間が聞いたら無謀だと思うだろう。だけどアルヴィン卿は表情を変えずに、同意した。
 つまり、泥舟となるか、方舟となるか分からない私の提案に乗ることを決めたのだ。
 『わかりました。やってみましょう』
 こうして彼は、現在受け持っている研究に加え、有力貴族を味方にするために奔走していたというわけだ。今まで以上に多忙を極めたことだろう。そのせいで、ルンハルト殿下に会うことが難しくなったのだ。
 彼が、離宮に迎えなくなった理由は私にもある。
 しかし、アルヴィン卿は首を横に振った。彼の白髪が胸元で揺れた。
 アルヴィン卿は、まつ毛を伏せて、思い出を辿るように話し出す。
「あなたのおかげです、マリア妃。あなたがルンハルトを連れてきてくれたから、私は彼と話すことが出来た」
「……仲直りされたようで、安心いたしました」
 私の言葉に、アルヴィン卿が困ったように微笑んだ。
 その時、気がついた。このひとは無表情に見えることが多いけれど──意外と表情豊かだ。
 
 ☆

 場所を移したいとのことで、アルヴィン卿に案内されて部屋を出た。向かう先は、研究棟の書庫だという。
 この研究棟に所属している学者は通いのものがほとんどということで、夜は人気が少なくなる。そのため、私たちは誰ともすれ違うことはなかった。
 (それにしても……)
 夏ももう終わりの今、夜のこの時間は少し冷える。ダリアが持参した大判のケープを羽織っているため、震えることはないけれどそれでも肌寒さを感じる。
 アルヴィン卿が燭台を持って先導し、その後に私、ダリア、エラという順で続く。廊下は、蝋燭が消されているようで薄暗い。
 そして、老朽化しているのか、足を進める度に廊下がギィギィと鳴った。
「ひょ〜〜……な、なんだか怖いですね……」
 後ろで、ダリアが小声で言う。
 エラが何も言わないことから、彼女も同じことを思っているのだろう。ヒュゥ、と隙間風が、恐怖心をさらに煽る。
 先導するアルヴィン卿が苦笑した。
「すみません。この建物自体古いんですよ。もともとこの研究棟は、学者の墓場だといわれていることもあって……」
「墓場!?」
 その単語に、ダリアが瞬時に反応した。
 そして、慌てて口に手を当てたようだ。
「も、申し訳ありません!」
 話を遮ったことを謝罪するダリアに、アルヴィン卿が首を横に振る。
「いえ、構いません。つまりここは、見捨てられた研究棟なんです。最新の設備はないし、先程もお伝えしたように建物自体が古い。エリート貴族は、まず来たがらない場所です」
「だけど、未だここが取り壊されないというのには、なにか理由があるのでは?」
 それに、警備兵の数も多い。
 なにか重宝されているものでもあるのだろうと思って尋ねると、そこでアルヴィン卿の足が止まった。
 ぴたりと止まった彼が、パッと振り返る。その時の表情は、ルンハルト殿下によく似ていた。
 ルンハルト殿下とアルヴィン卿は、従兄弟だ。似ているのも当然だ。目を瞬いているとらアルヴィン卿が微笑んで答えた。
「ええ。そうなんです、よく分かりましまね、マリア妃」
 アルヴィン卿は、ふたたび歩き出すと、話を続けた。
「ここには、古い文献も数多く眠っている。新しい研究棟は、王都の一番街に建てられているのもあり、場所が限られているんです。つまり、狭い。だから、大量の文献は保管しておけないんですよ」
「なるほど。ここには、たくさんの文献があるということなのですね」
「はい。歴史的価値のあるものから、価値がないと思われているものまで、十把一絡げに纏められています」
「そこから目的のものを探すのは、手間ですわね……」
 書庫には、膨大な数の書物が眠っているのだろう。そこから目的のものを探し当てるのは苦心するはずだ。
「書物は、リストか何かでまとめられているんですか?」
「以前作られたようですが、毎日のように各所から文献が運び込まれてきますから……。どんどん増えていって、今はもうぐちゃぐちゃです。リストを作ろうにも、一日二日では終わらない。そうとう時間がかかるのは目に見えているので、誰も作ろうとしませんね。みな、その時間があるなら自分の研究を優先したいでしょう」
「では、目的の文献を探そうとすると、とても大変ですわね……」
 目的の本を探すのに、かなりの時間を要しそうだ。私の言葉に、アルヴィン卿が疲労を感じさせる声で「そうですね、とても、根気のいる作業です……」と答えた。
 アルヴィン卿は、エリセリュン王国の過去の歴史資料を探している。大変苦労しているに違いない。
 
 ☆
 
 書庫に入る際、扉に【火の取り扱い注意】と何枚も警告文が貼られていた。書庫が燃えたら、重大な過失だ。
 気をつけて中に入ると、そこは天井がとても高かった。建物の三階、いや、四階ほども高さがあるだろうか。
 壁に沿うように螺旋階段が作られており、それもずいぶん老朽化している。見るからに古びていて、手すりの耐久度などが不安視される。
 アルヴィン卿はスタスタと慣れたように歩き、ひとつの本棚の前で足を止めた。
 アルヴィン卿が、エラに燭台を渡す。慎重な手つきで、エラが燭台を受け取った。
 そして、彼は本棚から一冊の本を抜き取った。
 その表紙には──
「エリセリュン王家報告書……?」
 とても古い本なのだろう。紙は擦り切れ、インクも掠れて、ところどころ文字が消えている。
「著者は、王家に仕えていた医者のようです。このページを見てください」
 該当のページを開いて、彼が見せてくる。
 そこに書かれた文字を辿って、私は目を見開いた。なぜならそこには
「赤い目は、王家にしばしば見られる特徴である……?」
 とんでもない情報が記されていたからだ。
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