側妃マリアの謀
第6章
「これは──?」
説明を求めてアルヴィン卿を見ると、彼はページの当該文章を示した。
「昔、調べた医者がいたようです。この時も、赤い目を持つ人間が現れたようですね。今から三百年前の話のようです」
「そんなに昔の……」
先程アルヴィン卿が、十把一絡げにまとめられていると話していたことを、ようやく理解する。こういった重要な書物も、共に収められているのだ。だから、ここは貴重な場所なのだろう。
赤目を忌み嫌うエリセリュン王国。もし、王家の血に現れるものだと知られたら──どの時代の王も、それは偽りだと言うことだろう。隠蔽するに違いない。
この文献も、知られたら焚書処分にされていたかもしれない。よく残っていたものだ。
(気付かなかったのか、あるいは意図してここに隠したのか)
三百年という時は、確かに経過しているのだろう。紙面は乾ききっており、年季を感じさせる。
エラが、本棚から少し距離を取った。万が一にでも、火が燃え移ったら危険だと考えたのだろう。
「この本によると、赤い目というのは、王家の血筋に現れるようです。五百年前の王が赤目だったのでは、とかここには記されている」
「五百年前の王は、なぜ赤い目をしていたのです?」
「それは不明です。突然変異か、あるいは外国の血が入ったためでは……とここには考察として書かれています」
そこでアルヴィン卿は言葉を切ると、顔を上げた。
「……今重要なのは、この赤い目は、王家の血によるものである可能性が高い、ということ。もしそうであれば、この目は、血筋を証明するものになる。使いようによっては、民意を得ることが出来るかもしれない」
「つまり、公表するということですか」
尋ねると、アルヴィン卿は頷いて答えた。
彼の赤い目に、蝋燭の炎が映った。
「この文献を書いた人物についても確認しています。実在する人物でした。そして、彼は反逆者として捕まっている」
「それは」
「恐らくこの推論を提唱し、当時の王に差し止められたのでしょう。ですが、この文献には彼が調べただけの情報が記されてある。これだけ揃えば、論文として発表できる」
その言葉に、息を呑んだ。
それはつまり、赤目の真実を世に公表するということだ。議論が巻き起こるのは、間違いない。
「……ですが、なぜ赤目は不吉なものとして言われてきたのでしょうか? その由来は分かっているのでしょうか」
「それも判明しています。さっき、五百年前の王の話をしましたが、彼は若くして亡くなっています。実弟が反旗を翻したためです」
「──」
さらに明かされた事実に、目を見開く。
ダリアとエラも驚いたようだ。エリセリュン王国の歴史を学んできたが、そのような話を聞いたことはなかった。つまりそれは抹消された記録のひとつ、ということ。
「知りませんでしたわ……」
驚きに目を見張っていると、アルヴィン卿が苦笑した。口元に人差し指をあてて、困ったように笑う。
「これも、秘匿された史実のひとつ、ということです。……この書庫には、そういった、歴代の王が隠そうとしてきた資料が山ほど残っている。彼らは、その事実を知らないでいますが……。今の国王も同様だ。都外れの寂れた研究棟には興味が無いのでしょう」
「知られたら、この書庫は取り壊されてしまうでしょうね……」
「そうならないように、その前に私が王位を得ます」
はっきり、アルヴィン卿は言った。
それは宣言するように明瞭な声だった。既に、彼の中では王位は目標ではなく、予定の先にあるのだろう。そうできるだけの材料が、もう手元には揃っているのかもしれない。
「話が逸れましたね。つまり『赤目は不吉』という言い伝えは、失脚した王を貶めるための策略である。……これを裏付ける資料がいくつか見つかりました」
「……よく、見つけましたね」
私は思わず天井を見上げた。
所狭しと詰め込まれた書物は、どれに何を書いてあるのか、手に取って見てみなければ分からないだろう。恐らく、アルヴィン卿はそうして地道な作業の末、その文献を見つけたのだと思う。先程の彼の疲れた返答を思うに、気の長い作業であったことには違いない。
私から文献を受け取ったアルヴィン卿は、それを本棚に戻すことはせず、手に持ったままだ。恐らく、持ち帰るのだろう。
今度はエラが先頭となり、先程の道を戻る。
書庫は変わらず暗く、ひんやりとしていたが、先程のような恐怖心は抱かなかった。
つまり、『何か出そう』という恐れを抱かずに済んだのである。
それはなぜかというと、先程アルヴィン卿から聞いた情報もあるけれど、それ以上に。
私は手を後ろ手に組むと、アルヴィン卿をうかがい見た。
「これも、ルンハルト殿下のため、ですね?」
例の文献を見つけるまで、相当な時間を要したはずだ。収められている書物の数からして、間違いなく年単位の労力を要しただろう。
それだけではない。アルヴィン卿は、この文献の裏付けを取るために、おそらくこの書庫以外も当たっていたはずだ。
根気強い行動源には、ルンハルト殿下の存在があったはず。
私がそう思って彼を見ると、アルヴィン卿が笑みを浮かべた。
「いいえ、私のためです」
「あら……」
「私は、自分のために動いているに過ぎない。王位を得ようと思ったのは、あなたの提案を受けたからですが──決め手となったのは、私自身のためだからです」
静かにアルヴィン卿は話した。
書庫の扉をダリアが開けて、燭台を手に持ったエラがまず廊下に出た。その後を私とアルヴィン卿が続く。
既に、日付は変わっていることだろう。廊下は静かだった。
「……論文の発表は国を揺るがす事態となるでしょう。ですが、それも王に握り潰されてしまえば終わりだ。あなたの提案は、実に目からウロコの思いでした。頬を叩かれたような、いや、違うな。目が覚めたような思いだった」
私は少し考えてからアルヴィンに言った。
「アルヴィン卿。もしよろしければ、私にもその文献を読ませていただけませんか?」
「構いませんが……。ですが、もうよるもの遅い。お疲れなのでは?」
「ご心配なく。こう見えて、体力はある方ですわ」
正直、一日馬車に乗っていたことで腰も臀部も痛い。けれど、ここで頑張らなくてどうする。ここが、頑張りどころだ。そう思った私は、笑みを浮かべてアルヴィン卿に言った。
「今後のことを考えて、私も読んでおきたいのです」
王城まで馬車で丸一日かかることを考えれば、朝日が昇る前に研究棟を出なければならない。翌日は、王家主催の夜会が控えているため、必ず朝までに戻る必要がある。
出発まであと数時間。限られた時間内で、得られるだけの情報は入手しなければ。
先程の応接室に戻り、エラが燭台をテーブルに置いた。アルヴィン卿から文献を受け取ると、私は先程腰を下ろしていたソファにふたたび座る。古い本だから慎重に取り扱おうと思い、ゆっくりとページをめくる。
そのまま読み始めると、アルヴィン卿は一度退室し、自室からたくさんの文献を持ってきた。
どうやら彼も、論文の執筆を始めるらしい。
時間が時間なので、エラもダリアも眠そうだ。
眠って構わないとふたりに言うけれど、ふたりは揃って断った。
「マリア様が頑張られているのに、私だけ寝られません!」
「なにかお手伝い出来ることはありませんか?」
このまま何もしないでいるのも、辛いだろう。
やるべきことがあるならともかく、この時間、手持ち無沙汰だとどうしたって眠くなる。だけど私は、この文献に目を通す以外やることがない。
指示を出したいけれど、振りようがなくてどうしたものかと思っていると、アルヴィン卿が、思いついたように顔を上げた。
「では、私の手伝いをお願いします」
文献から、該当の文章を探し出す。
それが、アルヴィン卿が彼女たちに依頼したことだった。アルヴィン卿が自室から持ってきた文献は、二十を越える上に分厚い。探すのも、時間がかかるだろう。
貴族の娘として教育を受けたエラは、エリセリュン王国の言葉にも詳しい。だけどダリアは基本的な日常会話のみしか習得していない。
そのため、ダリアはエリセリュン王国文字の辞書を引きながらの作業となるので、より時間がかかる。
各々が作業を始め、私もまた文献に視線を落とす。
文献には、アルヴィン卿が言った通り、【赤目の呪い】は五百年前の王を貶めるために流布されたとされる説が濃厚だと記されていた。参考文献も、いくつか書かれている。
この文献はまだ存在しているのだろうか。
あるいはもう、処分されてしまっただろうか。
後で尋ねようと思い、私はそのページを忘れないようにするために、持参してきた栞をシャトレーヌバッグから取り出した。こうなることを見越して用意したのではなく、これは常に持ち歩いているものだ。
(姉様からいただいたものだもの……)
姉様が贈ってくれた、押し花の栞。
今となっては、姉様を感じらる唯一の品だ。
それをソッとページに差し込んで、読み進める。
気がつけば、蝋燭はずいぶんと短くなっていた。時計を見ると、深夜をとうに回っている。
(出発まであと二時間)
私はアルヴィン卿の作業が一段落ついたところを見計らって、彼に声をかけた。
「アルヴィン卿。少しよろしいですか? お尋ねしたいことがございます」
「はい」
羽根ペンを持つ手を止めて、アルヴィン卿が顔を上げた。私は、ページに挟んでいた栞を抜き取って、該当箇所を指で示した。
「こちらのページに書かれている参考文献は、まだ現存しているのですか?」
「…………」
しかし、アルヴィン卿からの返答はない。
怪訝に思って顔を上げると、彼は驚いたようにページを凝視していた。
「どうかなさいまして?」
既に彼はこの文献に目を通しているはず。今更驚くようなことなんてないだろう。首を傾げてアルヴィン卿にさらに問いかけると、私の声に我に返ったのだろう。パッとアルヴィン卿が顔を上げる。
そして、狼狽えたように彼は言った。
「……その、栞はどちらで?」
「この栞ですか? これは……」
アルヴィン卿が凝視していたのは、文献ではない。
私がページに挟んでいた栞だったのだ。押し花の栞を手に取った私は、それを手に持ってアルヴィン卿にみせた。
「姉からのいただきものです」
「姉君……。モントヴァルト王国の第一王女殿下ですよね? 今は、外国に嫁がれたとお聞きしましたが」
以前聞いた私の話を思い出しているのだろう。
眉を寄せて尋ねてくるアルヴィン卿に私は頷いた。
「今は、ルナリア王国王太子殿下に嫁ぎ、王太子妃として務めをはたしております」
「ルナリア……」
ぽつりとアルヴィン卿が呟く。なにか、引っかかることでもあるのだろうか。
不思議に思っていると、彼がふたたび口を開いた。
「差し支えなければ、その栞、近くで拝見させていただいてもよろしいですか」
硬い声でアルヴィン卿は尋ねた。
断る理由もなかったので、私は彼に栞を手渡す。アルヴィン卿は、真剣な眼差しで栞を見つめていた。
アルヴィン卿も、珍しい花に学術的興味を擽られたのだろうか。
(花に興味があるとは、少し意外)
意外性を覚えながらアルヴィン卿の様子をうかがっていると、しばらくじっと栞を見つめていたアルヴィン卿が言った。
「……これは、ルナリア王国の花、なのですよね?」
「ええ」
「それは間違いありませんか?」
「確かに姉から届いたものです」
何度も念を押すように確認するアルヴィン卿に内心怪訝に思いながら答える。
今は花よりも、こちらが優先だ。そう思って、話題転換を試みる前に、アルヴィン卿が口を開いた。
彼自身、半信半疑だと思っているような、そんな疑心に満ちた声だった。
「この花とまったく同じものを……幼い頃に見たことがあります」
「え?」
「母が……同じように押し花にしていました。母の国では、そのようにして保管することで幸福を得られると信じられているそうです」
「──」
アルヴィン卿の思いもしない言葉に息を呑む。
一瞬、彼が何を言っているのか分からなくて混乱した。だけどすぐに、理解する。
アルヴィン卿が何を話そうとしているのか。
「……アルヴィン卿のお母様は平民だったとお聞きしましたが」
ルナリア王国の出身だったのか。
私が驚きをこぼすと、アルヴィン卿が首を横に振った。
「母については分からないことが多いんです。彼女自身、語ろうとはしませんでしたから。ただ……母は身分あるひとだったのではないかと、最近になって思うことがあります」
「ルナリア王国の貴族だった……と?」
アルヴィン卿は栞を見つめながら答えた。
「貴族……そうですね。高貴な生まれだったのだと思います。彼女は、ひとに世話されることに慣れていましたから」
平民が城にあげられ、突然傅かれるようになれば、ほとんどのひとは困惑することだろう。だけど、アルヴィン卿のお母君にはそれがなかったと言う。
「それに、よく私に、王族たるものはどう振る舞い、どう過ごすべきかということを口にしていました。あれも、彼女自身がそう教わってきたからと思えば、不自然なことでは無い。物心つくようになって、もしかしたら母はどこかの貴族の落胤だったか、あるいは秘匿子だったのでは、と考えるようになりました。……ですが」
それがまさかルナリア王国にルーツがあるかもしれない、とは彼自身思っていなかったのだろう。アルヴィン卿の声には、困惑した色が強く滲んでいた。
「すみません。この件は一度持ち帰らせてください。なにかわかり次第、追ってご連絡します」
顔を上げたアルヴィン卿の言葉に、私は頷いて答えた。降って湧いた疑問だけれど、この答えは、果たして私たちの道を照らす道標となるだろうか。
私は改めて先程の質問を彼にし、話は文献へと戻ったのだった。