側妃マリアの謀
豊穣祭が近づいてきたある日、セラフィーナ様が突然私を訪ねてきた。アポイントメントをない、突然の訪問。非礼極まりない。
しかし、相手は第一側妃のセラフィーナ様。
侍女のダリアは無理に部屋に押し入ってきた彼女を締め出すことはできず、セラフィーナ様が私室に足を踏み入れた。彼女はちらりと私の部屋を見回したあと、バカにしたように私を見下ろした。
ちょうど今、私は服飾店から届けられたドレスのカタログを確認している最中だった。豊穣祭の次の大きな夜会。聖夜祭に着るドレスを仕立てなければならないためだ。
「あら。最近体調不良が多いことだから、心配して足を運んだのだけれど……お元気そうね?」
「ご配慮いただきありがとうございます。おかげさまで、セラフィーナ様の突然の訪問にも気が動転しない程度には、健やかに過ごしております」
アポイントメント無しの訪問がどれほど非礼であるのか、彼女は知っているはずだ。批判を込めた言葉で牽制すると、あからさまに気分を害したようにセラフィーナ様が顔を歪める。
「あなた、何も知らないのね」
「何を、ですか?」
私はカタログを片付けようとして、ふとその手を止めた。
そして、ページを広げた状態のまま、席を立つ。
開いたページには、ドレスのデザイン案が二案それぞれ載っていた。その片方に、大きく丸をつけてある。これを見たセラフィーナ様は、何を思うのだろう。
ちらりと彼女に視線を向けると、予想通りセラフィーナ様の視線はカタログに向いていた。私の視線に気がつくと、ハッとしたように取り繕っていた。
「突然の訪問でしたので、お茶のご用意ができておりません。このままで、ご要件をお伺いします」
つまり、あなたに供するお茶はない、という意味だ。意味を正確に理解したセラフィーナ様が、屈辱のあまり顔を赤く染めた。
だけど、どうしても私に言いたいことがあったのだろう。彼女は私を強く睨みつけると、宣言するように言い放った。
「そんなふうにすましていられるのも今のうちよ。覚えておきなさい。あなたの数々の無礼、必ず清算してもらいますからね」
それは私のセリフなのだけれど?
そう思ったけれど、笑みを浮かべたまま彼女の言葉を黙殺する。
何を言っているのこのひと、という顔でセラフィーナ様を見ていれば、まったく効いてないと思ったのだろう。焦燥にかられた彼女は、さらに口を開いた。
「陛下は私を正妃にとお考えよ。私が成否になったら、どうなるか分かるわよね?」
「まあ。正式に決定したのですか? おめでとうございます」
私の言葉に、セラフィーナ様が一瞬硬直した。
だけどすぐに持ち直して、高飛車に鼻を鳴らすと、ツンと顎を持ち上げた。
「後悔しても遅いわ。あなたはもちろん、モントヴァルト王国にも、謝罪を要求するわ」
「謝罪──セラフィーナ様のお気分を害してしまったことへの、謝罪ですか?」
謝罪、と言われても何に対するものか不明だ。
私は、公の場で彼女を貶めたり、彼女の名誉を損なうような真似はしていない。
心当たりといえば、翌日の晩餐会を途中で退室したり、セラフィーナ様と会話をした際、どうしてか彼女の機嫌を損ねてしまったことくらい。
私の冷ややかな声に、セラフィーナ様は狼狽えたようだった。一歩後ずさり、だけど後ずさったことに気がつくと、より一層怒りを駆り立てたらしい。負けるものか、という顔で私を睨みつけると、彼女は腹ただしげに言った。
「あら。理由なんて山ほどあるわ。ご自身の胸に手を当てて考えてみたら?」
「ご忠告ありがとうございます。心当たりと言いましても、やはりセラフィーナ様のご気分を害してしまったことしか思いつきませんの。ですが、こればかりは私にも言い分がございます」
「はあ?」
言い分がある、という私の言葉に面食らったらしいセラフィーナ様が唖然とした様子で私を見る。私はそれに胸に手を当てて答えた。
「私にも矜恃がございます。それを貶められることを許すということは、私にはできません」
つまり、あなたが先に仕掛けたからこそ、反撃に出たのだ……ということだ。セラフィーナ様の白い顔がカッと赤くなる。
あまりに頭に来たらしい。彼女はついに口を滑らせた。
「覚えてなさい……! 私が正妃になったら、あなたなんてどうとでもできるのよ! でっちあげの罪で地下牢に放り込んであげるから!! そうね! アイツの暗殺を企てた、とかでもいいんじゃない!? どうせなら殺してしまってあなたに罪を擦り付けてしまってもいいかもしれないわね!? ふふふふ!!」
怒りと興奮で彼女はおかしそうに笑いだした。それに、私はにっこりと笑みを浮かべ、自身の頬に指先を当てる。おっとりとした声を心がけて、彼女に指摘した。
「まあ。ご冗談にしては過ぎていましてよ、セラフィーナ様」
「冗談なんかじゃ……っ」
「発言は取り消せないものです。ゆめゆめ、お忘れなきよう」
私はそっと、自分のくちびるに人差し指を当てると、その人差し指を九十度回転させた。
今度は、九十度回転させた人差し指で首をなぞる。
すると、どうなるか。それは口を封じるためのポーズから、首を刈りとるものに変わるのだ。
私の動きか、あるいはセリフか。セラフィーナ様は言葉をなくした。
「ふふ。なんて、冗談です」
パッと私は手を広げて笑みを浮かべてみせた。
セラフィーナ様の顔色は悪い。まさか、自分の首が撥ねられる可能性などひとつたりとも考えていなかったのだろう。私も、そこまでの処分は私自身は必要ないと考えている。
陛下にはご退位いただくけれど、それだけだ。これは決して、五百年前のような反逆ではない。
だから、血を流す必要はない。
だけど、セラフィーナ様が質の悪い冗談を言うものだから。私も悪戯心が湧き上がったのだ。……と、いうことにしておこう。
ほんとうは、セリフの中でもルンハルト殿下の殺害を仄めかされたことで──これ以上ないほどに、腹が立ったからだけれど。
顔色の悪くなったセラフィーナ様を気遣って、私は思いついたように彼女に言った。
「ああ。良ければ、お茶でもいかがですか? 今なら、ご用意できそうですもの。ダリア、お湯を用意してちょうだい」
それを、どのような意味にとったのか。セラフィーナ様はさらに顔を強ばらせると、なにも言わずに部屋を去ってしまった。
相当に、怖がらせてしまったらしい。セラフィーナ様が去った後、ダリアが詰めていた息を吐いた。
「……あれ、絶対毒殺されるって考えたのだと思いますよ」
「ふふふ。愉快な方ね。自分はかんたんに殺すだのなんだの口になさるのに。いざ自分にその可能性が向けば、それだけで脱兎のように逃げるのだから……」
私はふたたびライティングデスクに向き直ると、カタログを閉じた。カタログに記されているドレスのデザインの内、片方には大きな丸がっている。一見、私が着用を決めたように見えるこの印だけれど……。
さて、セラフィーナ様はどう出るだろう。
(それに、あの調子だと【正式に】正妃に決まったわけではなさそうね)
陛下に寝物語に聞かされでもしたか、公爵がそう言っているだけか……。可能性はじゅうぶんに高い、ということだけ頭に入れて、私はきたる豊穣祭に向けて、支度を進めることにした。
☆
豊穣祭でマチルダ様と交わした会話で、セレニア皇国とモントヴァルト王国の同盟はほぼ決まりそうだということを互いに報告し合った。
夜会で顔を合わせても、セラフィーナ様は私から視線を逸らした。そして、彼女の代わりとでもいうように、シャッテンヴァルト公爵からの視線が遠くからでも突き刺さった。
おおかた、セラフィーナ様から話を聞いたのだろう。それに気づかないふりをして、豊穣祭は何事もなく終わりを迎えた。
豊穣祭が終わり、聖夜祭への支度が始める中──冬の足音が聞こえてきたある日、私はアルヴィン卿から思いもしないことを聞くことになる。
「ルンハルト殿下の誕生日……!?」
アルヴィン卿は、ルンハルト殿下との約束通り、十日に一回は王城に足を運んでいるようだ。その日は、絵本の読み聞かせを行っているうちに、ルンハルト殿下が眠ってしまい、そろそろ庭園で会うのは厳しいかと思っていた時だった。