側妃マリアの謀
第7章
「はい。ルンハルトは、聖夜祭に生まれた子なんです」
アルヴィン卿の言葉に、私は目を見開いた。
(聖夜祭……)
王家主催の夜会なので、昼は昼食会、夜は立食形式の夜会とあり、朝から晩まで忙しい日だ。考え込む私に、アルヴィン卿が苦笑する。
「マリア妃は、パーティーを優先されてください」
「アルヴィン卿は?」
「私は毎年、その日は休みを取っているんです。今年も、同様です」
「…………」
チラ、とエラに視線を向ける。彼女は私の言いたいことがわかったのだろう。エラは難しそうな顔をして首を横に振った。
ルンハルト殿下は、次の誕生日で五歳を迎えるらしい。
(一緒にお祝いしたいわ……)
だけど、まさか昼食会と夜会をキャンセルするわけにはいかない。今後のことも考えると、欠席するのは悪手中の悪手だ。
でも、諦めもつかない。どうにかして時間を捻出できないかと考えた私は、次の瞬間、ハッと目を見開いた。思いついたことがあったからだ。
顔を上げると、私の視線をに気がついたアルヴィン卿が首を傾げた。
「なにか?」
「……アルヴィン卿にお願いがあるのですけれど」
私はひとつ前置きしてから、アルヴィン卿を見つめた。
☆
聖夜祭当日。大きな夜会がある時だけは、エラはこちらに手伝いに戻ってくる。
「マリア様、とってもよく! お似合いですーー!!」
ダリアが感動したように言う。それに、笑みを浮かべて応える。鏡の中の私は、変わらず冷たい目をしている。黄金の髪に、黄金の瞳。お父様は、やたらとこの色の組み合わせに意味をつけたがっていた。お母様は、そんな私とあまり関わりたくないようだった。
お父様が私を駒のひとつとして見ていたのは明らかで、幼心にそれを知った。だけとそれを悲しいとか、寂しいとか思わずに済んだのはやはり、姉様がいてくれたからだ。
『マリアは可愛い私の妹よ。綺麗で可愛い、私の妹』
姉様は、お母様譲りの紅茶色の髪にアプリコットジャムのような、赤い目をしている。姉様の落ち着いた色合いが大好きで、よく私は彼女に抱きついていたっけ……。
『マリアったら、甘えん坊さんね。あなたはどんなレディになるのかしら……見てみたいわ』
姉様の声を、笑顔を、今も覚えている。
モントヴァルト王国を出る時、姉様は泣かなかった。笑顔で、姉様は馬車に乗った。未知の国に嫁ぐのは、姉様も不安が大きかっただろうに。
私は、姉様を尊敬している。彼女のようなレディになりたいと、幼い時から思ってきた。
今の私は少しでも、姉様と遜色無い程度にはレディでいられているだろうか。
鏡の中に映る冷たげな金髪の女に、私は笑いかけた。鏡面の女も、同様に口端を持ち上げ、笑う。
アクセサリーをいくつか選んできたダリアが、背後まで戻ってきた。
「マリア様! どちらがよろしいですか? パールか、黄金か。マリア様の見目を引き立たせるなら、黄金の首飾りがよろしいかと思います」
ダリアは、時折侍女らしくない物言いをする。
ほかのひとが聞いたら絶句するようなことも、まま口にする。だけど私はそんな彼女の飾らない物言いをするところを好ましく思っている。
私は振り返って、ダリアが持ってきて首飾りを確認した。
ひとつはパールの首飾り。もうひとつは、黄金でできた首飾り。パールの首飾りは控えめで、落ち着いた印象を受ける。黄金の首飾りは派手だ。思案の末、私は後者の首飾りを選んだ。
「こっちにするわ」
「そうですね! とてもお似合いかと思います!」
「マリア様。髪を整えます。こちらのティアラに似合う形にしようかと思いますが、問題ございませんか?」
エラの言葉に私は頷いて応えた。
彼女が用意したティアラもまた黄金でできていて、今宵の私はかなり人目を引くだろう。
あとは、セラフィーナ様がどう出るか……だけれど。
私は慌ただしく支度するダリアとエラに尋ねた。
「セラフィーナ様は本日どのような装いをされるのかしら」
「セラフィーナ妃ですか?」
私に首飾りをつけたダリアが首を傾げた。
答えたのはエラだ。
「侍女仲間から聞いた話ですけれど、セラフィーナ妃は今回、かなり無理を言ったそうですわ。何でも、本人の強い要望があったとかで」
「ええ? どうして?」
今度は纏う宝石をいくつか持ってきたダリアが顔をしかめる。それに、エラは肩を竦めた。
「そこまでは分からないわよ。ただ、お付きの侍女はとても苦労したそうよ。彼女、とても気難しいようで、よくヒステリーを起こすらしいの。ものを壊すなんて日常茶飯事。そんなものだから、怖くて忠言もできないそうよ」
「うへー……絵に書いたような暴君君主って感じね。私、仕えているのがマリア様で良かったです……」
「そうね。あなただったらきっと、翌日には追い出されてるわよ。身一つでね。マリア様ほど寛大な王族も滅多に居ないわ。感謝するのよ?」
私の髪に櫛を通しながらエラがため息まじりに言う。ふたりの息のあった会話を聴きながら、私は思わずくすくすと笑ってしまった。それに気がついたエラが、尋ねてくる。
「どうかなさいましたか?」
「何でもないわ。エラ、私はそんなに優しい人間ではないわよ? 利己的で、私利私欲のために動く、ふつうの人間。あなたが私を褒めてくれるのは嬉しいけど」
「…………マリア様は、とってもお優しいですよ。少なくとも私は、今までマリア様のような方を見たことがありませんし……」
そこで、エラは言葉をとめた。
不思議に思って振り返ると、ちょうどダリアが衣装部屋の扉を開けたところだった。
今度は、ドレスに合うショールを用意するのだろう。ダリアの後ろ姿を見送ってから、私はふたたびエラに視線を向ける。
そして、驚いて目を見開いた。
彼女は珍しく──というか、私は初めて見たのだけれど。エラの頬が、赤く染っていた。
「……私は、マリア様だからお仕えすることを選んだのです。出会ったのがあなたでなければ、侍女の道は選んでいませんでした」
「あら……」
目を瞬くと、エラが恥ずかしそうにまつ毛を伏せた。
エラはいつも落ち着いていて、冷静だ。彼女が照れるところなど、私は初めて見た。
くすぐったい気持ちで、私は笑って答えた。
「では、あなたの期待に応え続けられるよう、頑張らなくてはね」
「そうして常に前を見据えるマリア様を、私は尊敬しております」
「ありがとう、エラ」
答えたところで、ダリアがショールを手に戻ってくる。ふたたび、私たちは聖夜祭の支度に追われることとなった。
控え室に向かうと、マチルダ様が既に到着していた。目が合ったため笑いかけると、彼女もぎこちないながらに笑みを返してくれる。
側妃のエスコートは、国王以外が行ってはならない、という暗黙の了解がこのエリセリュン王国にはあるらしい。
だから、陛下がエスコートをしない場合、側妃はひとりでホールに入場することとなる。
誰か男性にエスコートを頼んで不要な噂を招く心配がないので、私はその不文律に助かっているけれど、マチルダ様は度々、心細そうな顔をする。
「マチルダ様」
「は、はい」
声をかけると、パッとマチルダ様が顔を上げた。
彼女は、森の中で見かける小動物を思わせる。声をかけるとびっくりするところや、人馴れしていないところが、そう思わせるのだろう。
その時になってようやく、マチルダ様は私の装いに気がついたらしい。目を瞬くと、消え入りそうな声で彼女が言った。
「マリア様……とてもお似合いですね……」
彼女の声が小さいのはいつものことなので、私は笑みを浮かべて答えた。
「今日はいつもより少し、早く部屋に戻れるかもしれませんわよ?」
「え……?」
マチルダ様が困惑した様子を見せた直後、扉を挟んだ向こうから、ラッパの音が鳴り響く。夜会が始まったのだ。控え室の扉が開けられて、マチルダ様、私の順でホールに足を踏み入れる。
セラフィーナ様は、国王専用の控え室から陛下と共に入場したのだろう。彼女達の姿は既にあった。
ホールに足を踏み入れた瞬間、ざわめきが耳に入った。
マチルダ様が不思議そうに周囲を見る。私も同じように、ざわめきの正体に視線を向ければ──そこには、セラフィーナ様の姿があった。
「……のドレスは一体」
「……と……存じないのか?」
「陛下は何を……」
セラフィーナ様の姿を見て、驚きに目を見開いた。
(可能性は五分五分……と思ったけれど、やっぱり)
彼女は──あの時、彼女が私の部屋を突然訪問した時。私が開いていたカタログに載っていたドレスのデザインで仕立てさせたのだ。そのデザインのドレスを身にまとった彼女の表情は暗い。
「一体、何が……?」
あまりに異様な空気に、マチルダ様が困惑したように声を出す。それに答えたのは私ではなく、近くにいたご婦人だった。記憶を探る。
確か、彼女の夫は子爵家の遠縁で、陛下の政策で大きく資産を減らしていたはずだ。陛下にいい感情は抱いていないだろう。
夫人は声を潜めてマチルダ様に答えた。
「マチルダ妃は、他国出身だからご存知ないかもしれませんが……セラフィーナ様が纏われているあのドレスの生地。パールを散らしたように煌めいているでしょう?」
服飾店のデザイナーからも受けた説明だ。私はマチルダ様同様、彼女の話を静かに聞いていた。
「あれはエリセリュン王国の近海で採れた特殊な貝を加工し、生地に含ませているのですけれど……。あのデザインを、亡くなられた王太后陛下が大変好まれていたのです」
王太后陛下、つまり陛下のお母君である。
マチルダ様は驚いたように口元に手を当てた。マチルダ様は派手なものを好まない。彼女の性格からして、あのデザインを選ぶことは無いと彼女付きの侍女や服飾店のデザイナーも考えたのだろう。マチルダ様は、そのことを知らなかったようだ。
声を潜めて、夫人の話は続く。
「あのデザインは彼女そのものと受け取っているひとが多いんですの。つまり、縁もゆかりも無い、ただの他人のセラフィーナ妃が着るのはあまりに非常識……。陛下もお怒りになられて、彼女から離れてしまいましたし。ドレスのデザインは、セラフィーナ様の独断なのでしょう。まったく、常識を疑いますわ」
夫人の話を聞きながら、私はまつ毛を伏せた。
(そう。カタログに丸をつけていたのは、私が着るための目印ではない。むしろ逆)
間違っても、それを注文しないように、あえて目印をつけていたのだ。貝を加工した生地をペルムートクロスと呼ぶようだ。そのペルムートクロスは、亡き王太后陛下が愛用していたから、しばらく、少なくとも今の陛下が即位している間は着用を控えるべきだ、とデザイナーから注意を受けたのだった。
そのため、目印をつけていたのだけれど、カタログを見たセラフィーナ様は誤解したのだろう。私が次の夜会で着るドレスは、ペルムートクロスで仕立てる、と。
ペルムートクロスで仕立てたドレスは、セラフィーナ様が動く度にきらきらと七色の光を見せる。王太后陛下のことがなければ、美しいと社交界の話題を間違いなく攫っていただろう。
だけど、その生地は、誰もが意図して使わないよう注意しているもの。
ペルムートクロスのドレスは、目を引く美しさから一転、彼女の愚かさを引き立てるものとなってしまったのだ。
(彼女の視線がカタログに向いている時、もしかして、と思ったけれど。まさかほんとうに仕立てるとは思わなかったわ……)
セラフィーナ様が他国出身ならペルムートクロスの事情を知らなくても仕方ない。現に、マチルダ様は知らなかった。けれど、セラフィーナ様はエリセリュン王国出身の、更には筆頭公爵令嬢だったひとだ。その彼女がこの不手際とは、間違いなく手痛いミスとなったことだろう。
ざわめきに包まれる中、セラフィーナ様は顔を青ざめさせて立ち尽くしていたけれどやがて私と目が合うと、ハッと息を呑んだ。
そして、なにかに取り憑かれたように私を見つめ──いや、睨みつけて、こちらに大股歩きで向かってくる。正妃とは思えない振る舞いに、周囲の視線が集まる。
「マリア!!」
焦りと怒りと屈辱で追い詰められたのだろうか。彼女は私をそう呼んだ。
「お前! 謀ったわね!? このっ、腹黒女!!」
セラフィーナ様は必死の形相で私を怒鳴りつけた。それに、私はショールを羽織り直してから、首を傾げる。
「ごきげんよう、セラフィーナ様。本日のドレス、とても美しいですわね」
「──ッッッ!! 悪魔よ!! お前はひとの振りをした悪魔だわ!! 誰かナイフを取ってちょうだい!! この女の体に突き刺してみればわかるわ。この女には悪魔が宿っているのよ!!」
かな切り声をあげて、彼女が私に飛びかかる。華奢な女性とはいえ、必死な形相で飛びかかられれば、さすがの私も転倒する。後ろに倒れ込むと、背後の招待客にぶつかってしまったようだ。バシャ!! という水音とともに、顔になにか液体がかかる。
咄嗟に目を瞑ったけれど、恐らくワインかシャンパンの類いだろう。背後にいた招待客を巻き込むようにして倒れ込むと、すぐに警備兵が呼ばれて、セラフィーナ様が取り押さえられた。
「落ち着いてください、セラフィーナ妃!」
「誰か、陛下をお呼びしろ!」
「ご乱心召されている。医者も手配せよ!」
突然『悪魔が宿っている』と叫び、私に飛びかかったセラフィーナ様は、皮肉にも彼女こそが正気を失ったと思われたようだ。取り押さえられてなお、彼女は喚いた。
「このドレスだって!! 私が着ようと思ってきたんじゃない! あの女が着るっていうから!」
とんでもない嘘をまくし立てる彼女に、私は周囲の手を借りながら立ち上がり、言い返した。
「嘘はおやめください! 私はセラフィーナ様と一度もそのようなお話をしたことはございません!!」
鋭く否定すると、セラフィーナ様が顔をゆがめた。
確かに、【マリアがペルムートクロスのドレスを着る】とは言っていないと思い出したのだろう。怯んだ様子の彼女に、周囲はセラフィーナ様の言葉を嘘だと判断したようだった。
嘘だから、言葉が続かない。そう思ったのだ。
セラフィーナ様は自身のドレススカートを強く握りしめた。
「わ……私はお義母様のお気に入りだったわ! その私がペルムートクロスのドレスを仕立てて何が悪いの!!」
そして、キッと周囲を睨みつけると、悲鳴のような声を上げた。
「言いたいことがあればはっきり言いなさいよ!! コソコソコソと……!! ネズミのような真似をして! お前も! お前も! あんたもよ!!」
セラフィーナ様は、次から次に指をさした。
その指名には、何の忖度もされていないのだろう。中には、国王統治派の重鎮も混ざっている。
彼らはセラフィーナ様に指をさされてギョッとした様子だった。まさか妃ともあろうひとが、ひとに指を向けるなんてマナー違反をするとは思いもしなかったのだろう。
「これは何の騒ぎだ」
その声が響いた瞬間、水を打ったようにその場は静まり返った。
見れば、従僕から話を聞いて戻ってきたのだろう。陛下が不愉快そうにこちらを見回している。
そして、私の汚れたドレスと、取り押さえられているセラフィーナ様を見て、あらかた事態を把握したらしい。陛下はため息を吐き、セラフィーナ様を解放するよう手を払い、指示を出した。
「陛下……。私は悪くないのです。全部、あの女、マリアが……」
「口を慎め、セラフィーナ。聖夜祭の最中にこの騒ぎを起こした責任は大きい」
「っ……」
よろよろと立ち上がったセラフィーナ様は、目を見開いた。その瞳から、涙がポロポロと零れ落ちる。彼女のペルムートクロスで仕立てたドレスは警備兵に無理に取り押さえられたぐしゃぐしゃになっている。
彼女はついに顔を覆って泣き出した。
「ひどい!! 陛下は私の味方ではないんですの!? 私を正妃にしてくださると仰ったではありませんか!!」
セラフィーナ様は、大声で陛下を批判した。それに、陛下はギョッとした顔になり、狼狽えたように片手を上げた。
「いやそれは……」
「あれは嘘でしたの!? 私は素晴らしい女だからって……私を褒めてくださったではありませんか!」
「あれはベッドの中の話だろう!! こんな場所でする話ではない!!」