側妃マリアの謀

 陛下は一喝したが、その言葉の内容に、周囲の人々の視線は厳しいものとなった。そんな下世話な話を王家主催の夜会ですること自体がはしたないし、そもそも盛大なマナー違反だ。
 しかも、陛下自身が墓穴を掘った。
 彼の手際の悪さに失望した貴族も少なからずいるだろう。
 陛下の評価は、下降を免れないだろう。そもそも、陛下は自身の側近のみを取り立てる政策をつい最近立案したばかり。新興貴族や、権力や財力の弱い貴族が淘汰されるのは時間の問題だ。
 陛下が取り立てる貴族──シャッテンヴァルト公爵が筆頭だ。
 シャッテンヴァルト公爵や、それに連なる人間は陛下の絶対的な味方だが、裏を返せば、それ以外の貴族は陛下に良い印象を抱いていないことになる。
 この事件は、陛下への不満をさらに蓄積させただろう。
 やがて慌てた様子でシャッテンヴァルト公爵がやってきて、セラフィーナ様を連れてホールから出ていった。セラフィーナ様は泣き崩れたために化粧が剥げていて、とんでもない醜態であることは言うまでもない。
 セラフィーナ様が退室したことで、ホールはほんの僅かに落ち着きを取り戻していた。シャッテンヴァルト公爵の子息が、慌てた様子で陛下の機嫌を取っている。
 その時、私はマチルダ様の視線に気がついた。
 彼女は、周囲を気にするようにちらちらと周りを見ながら、小声で私に尋ねた。
「その……ドレス、大丈夫ですか?」
 見下ろすと、私も酷い有様だった。
 どうやら、私がぶつかった時に男性が手に持っていたものは赤ワインだったようだ。
 青のドレスだから惨状は免れたものの、濃い染みになっている。しかも揉み合いになったために、髪も乱れていた。
 私は困った顔で微笑むと、マチルダ様に答えた。
「そうですわね……。私も退場しようと思います。マチルダ様も付き添ってくださいませんか?」
「えっ?」
「お恥ずかしいことに酷い格好ですから……ひとりだと目立って仕方ないのです」
 私の言葉に、マチルダ様はカクカクと何度も頷いた。
 
 ☆
 
 騒がしいホールを後にして、私たちは私室へと戻ってきた。
 自分の部屋に戻り、私はようやく肩の力を抜いた。マチルダ様が恐縮しながら、私の私室に足を踏み入れた。
 ショールをダリアに渡すと、私はマチルダ様に話しかける。
「実は、こうなることは半分分かっていたのです」
「えっ……」
 マチルダ様が息を呑む。
 だけどすぐに思い出したのだろう。控え室でのやり取りを。目を丸くする彼女に、私は苦笑した。
「まさか掴みかかられるとは思いませんでしたが……なにか飲み物の類いをかけられたり、ドレスをダメにされるだろうな、とは予測しておりました」
「どうして……。あっ、もしかしてマリア様は……セラフィーナ様がペルムートクロスのドレスを仕立てると知っていたのですか……?」
「それこそまさかですわ。もしかしたら、とは思っておりましたけれど、確信を抱いていたわけではありません。ですが、彼女の性格からして、可能性は高いだろうな……と考えていたのです」
 思いがかけず転んでしまったために、体を変な風に捻ってしまったようだ。肩に触れて確認していると、マチルダ様からの返答がないことに気がついた。
 (……怖がらせてしまったかしら)
 必要以上に話しすぎてしまった。計略に秀でた女など、マチルダ様のようにたおやかな女性には刺激が強すぎただろう。今からでも誤魔化すべきかしら……。そう思って顔を上げると、しかしマチルダ様は私の予想とは違った顔をしていた。
 目をキラキラさせて、私を見ていたのだ。
「すごい……。マリア様は、常に先を見ておられるのですね……」
 変わらず細い声で、マチルダ様が言う。
 思っていた反応とは違ったことでホッとしたものの、彼女の上気した様子に戸惑った。
 マチルダ様は、自身の胸の前で手を組むと、記憶を辿るように話し出した。
「以前も……お伝えしたと思うのですが……。私は、自分の意見すら……言うのが難しい、臆病な人間です。……だから、マリア様のように強いひとに……憧れるのです」
「マチルダ様……」
 目を瞬くと、マチルダ様がふわりと笑った。
「もしかしたら……陛下はお怒りかもしれません……。だけど、私はマリア様の味方です。ごめんなさい。何を、言えば、この気持ちが正確に伝わるのか分からないのです……」
 マチルダ様は、戸惑ったようにまつ毛を伏せた。
 ほんとうに、困惑しているようだ。
 それから彼女はパッと顔を上げた。覚悟を決めたように、彼女が手を広げ──私に、抱きついてきた。
「っ……!」
 驚きつつも、マチルダ様を抱きとめる。
 マチルダ様は、ぎゅっと私を抱きしめながら言った。
「マリア様を見ていると……私も変わりたい、変わろう、という気持ちに……なります。頑張りたい、 と思うのです」
 マチルダ様は、ゆっくり私から離れた。
「だから……。その時(・・・)がきたら、私も……一緒に、戦わせてください」
 マチルダ様の声は変わらず細かったけれど、強い意志が篭っていた。それに、私も微笑みを返す。
「心強いですわ。ありがとう」
 
 ☆
 
 急いでドレスを着替え直して、私は離宮へと向かった。アルヴィン卿と約束をしていたからだ。
 あの日、私が彼にした【お願い】とは──。
 『待っていて欲しい、ですか?』
 驚いたように目を見開く彼に、私は頷いて答えた。
 『必ず夜会を抜け出して、向かいます。ですから、起きて、待っていて欲しいのです。どうしても、おめでとうと言いたいから』
 私の言葉に、アルヴィン卿は少し考えた後、頷いてくれた。
 『わかりました。お待ちしてます。ただし、零時までです』
 零時を超えたら、そもそも意味が無い。
 私はどうしても、その日の内にルンハルト殿下にお祝いの言葉を伝えたいのだから。
 セラフィーナ様はさっきのことで、離宮には来ないはずだ。陛下も、まだホールにいるはず。
 それでも私は細心の注意を払って、誰にもすれ違わないよう気をつけながら離宮への道を進んだ。
 ダリアとともに離宮に到着すると、ジェイムズが出迎えてくれる。懐中時計を見ると、約束の時間ギリギリだった。
 あと少しで、日付が変わってしまう。
 小声でジェイムズにルンハルト殿下の様子を尋ねると、アルヴィン卿が本を読み聞かせていふとのことだ。まだ起きている。
 ダリアがホッとしたように笑った。
「良かったですね、マリア様!」
 小声で言う彼女に、私も笑みを返す。
 
 
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