側妃マリアの謀
第8章


「今宵限りで、退位ください。陛下」
 私の言葉に、陛下は一瞬、なにを言われているか分からなかったのだろう。ポカンとした様子で、私を見ていた。
 
 ☆

 春の祝賀会が始まった。
 つまり、私がエリセリュン王国に来てから一年が経過したということだ。
 様々なことがあった。いろんなひとと知り合った。
 過去を思い返しながら、私はシャンパングラスに口をつけた。
 姿は見えないけれど、アルヴィン卿も既に会場入りしているはず。
 (準備は万端。あとは、細かい不注意(ケアレスミス)に気をつけるだけ)
 開場から少しして、楽団が演奏を始めた。
 セラフィーナ様と陛下がファーストダンスを披露する。あの後、つまりセラフィーナ様がご乱心召された後。彼女はしばらくの間塞ぎ込んでいたようだけれど陛下が彼女の私室に通い、持ち直したらしい。
 しかし、あの時に流布された噂はそう簡単に払拭されない。あの時のセラフィーナ様の様子はおかしかった。
 社交界では、セラフィーナ様こそが【悪魔に取り憑かれているのでは】と囁かれるようになったのである。
 皮肉なものだ。誰よりも悪魔という子度を忌避しているだろうに、よりによって自分がそう噂されてしまうのだから。
 あの件以降、さらにセラフィーナ様は陛下に依存するようになったらしい。
 ダンスが終わっても、彼女は片時も陛下から離れない。
 私が挨拶のため、彼らに近付くと、すぐにセラフィーナ様が私に気がついた。そして、警戒するように私を睨みつけてくる。
 前回、手痛い失敗をしたからか彼女自身から仕掛けるつもりはないようだった。
 私はシャンパングラスを近くの侍従に預けると、陛下の前で肘を折る。
「新緑溢れる春を無事に迎えられたこと、こころよりお祝い申し上げます、陛下。エリセリュン王国の春の盛りは、まだまだこれからかと存じます。どうか、今後もこの目に映させていただく栄誉を賜りたく思います」
「……ああ」
 陛下が鬱陶しそうに返答をした。
 彼は私を嫌っている。当然だろう。彼お気に入りのセラフィーナ様は、私を気にしすぎるあまり、自滅したも同然。彼女の失敗は尾を引き、シャッテンヴァルト公爵も歯がゆく思っているに違いない。
 陛下にとって、私は紛れもなく政敵なのだろう。
 そして、それは正しい。
 私の名前は、マリア・モントヴァルト・エリセリュン。
 私の評価は、自国でもこのエリセリュン王国でもさほど変わらない。
 『隙が無さすぎて近寄りにくい』
 『非効率な行為全てを排除し、合理的な行動しか取らない』
 『血も涙もない冷血女』
 『国のため、と判断すれば自身の肉を裂くことすら厭わない』
 『感情が欠落した冷たい王女』
 そう言われる女が、この私だ。
 私は、自由自在に表情筋を操れるほど器用な人間ではない。つまり、愛想笑いが苦手だ。
 自分では微笑んでいるつもりでも、冷笑していると取られることも少なくない。
 私が笑みを浮かべると、陛下はあからさまに怒りを見せた。煽られたと感じたらしい。
 彼がなにか言う前に、私は先手を打った。
「つきましては、この喜ばしい場で、私から進言したいことがひとつございます」
「なんたと?」
 威圧的な低い声で、陛下が言う。
 それに、私は先程と同じように笑みを浮かべ──言う。
「今宵限りで、ご退位くださいませ。陛下」
「な……」
 私の声は、思いがけずホールに響いたらしい。
 ざわり、と周囲がざわめくのが分かる。動揺する貴族、目を見開く夫人、困惑する令嬢、楽しげにする子息。いつの間にか、楽団の演奏は止まっていた。
 私は、胸の前に手を当てて、臣下としての礼をとる。
「長い間、お疲れ様でございました」
「何を馬鹿な……」
 あまりのことに、陛下は二の句が継げないようだった。ハクハクと口を開いては、しかし言葉が出てこない陛下に代わりに、私は満面の笑みを浮かべ、彼に笑いかけた。
「どうぞ、もう休まれてください。離宮を手配しております。余生はそちらで──」
「ふざけるな!!」
 ビリビリとその場が震えるほどの怒声。
 陛下の反応は、想定内。
「ど、どういうことなの? あなた、何を言っているの」
 セラフィーナ様は、顔を青ざめさせている。
 全くの予想外だったのだろう。
 シン、とホールは水を打ったように静まり返った。
「なんという不敬……!! 誰か、このものを牢に放り込め! この側妃は頭がおかしくなったようだ!!」
 陛下は唾を飛ばす勢いで怒鳴る、けれど。
 ──誰も動かない。
 それも当然だ。この場にいるほとんどの人間は、既にアルヴィン卿につくことを選んだ。その大半は、陛下が不要だと切って捨てた新興貴族や、陛下が打ち出した政策に不利益を被っている貴族だ。
 陛下の政策で旨味を啜っているのは、貴族社会の内、ピラミッドの極々上部の人間のみだった。
 その筆頭が、シャッテンヴァルト公爵。
 権力のあるシャッテンヴァルト公爵を恐れ、今までは誰も何も言えない状況が続いていたけれど、潮目が変わったのだ。
 昨年末の聖夜祭の醜聞から、風向きが変わった。
 シャッテンヴァルト公爵に不満を持つ貴族が密かに密会を重ね、公爵を重宝する陛下にもその不満の矛先が向いた。そこで、彼らは思い出したのだ。
 王弟に子がいることに。彼らは、新たな王としてアルヴィン卿をかつぎあげることにした。つまり、アルヴィン卿と彼らは互いに互いを利用しているような状況である。
 しかし、それを知らない陛下は混乱のあまり、罵声を飛ばした。
「なぜ誰も動かない!! この反逆者めが!! 私を誰だと思っている!?」
「陛下。あなたはふたつ、致命的なミスを犯しました。それを、教えてさしあげます」
 暴れる陛下を、近衛騎士が取り押さえた。
 もう既に、陛下に指揮権はない。
 事実上の反逆行為(クーデーター)だ。
 あまりに暴れるので、ついに陛下は床に組み伏せられた。私も屈んで、地に伏す陛下を見つめる。
「ふざけるなよ!! 離せ!! この野郎!! おい!!」
「見苦しいですよ。兄上。大人しくしてください」
 そこで──コツコツと足音を響かせて、アルヴィン卿がこちらに向かって歩いてくる。
 アルヴィン卿の道を作るように、人垣が割れていく。それだけで、陛下は理解したのだろう。
 次の王は、アルヴィン卿だと。
「アルヴィン……!! 貴様あ!!」
 血走った目で怒鳴る陛下に、アルヴィン卿が常と変わらず落ち着いた声で答えた。
「残念ですが、この場には陛下を王と認めるものは既におりません」
「──」
 陛下が言葉を失った。
「シャッテンヴァルト公爵を初め、陛下を支持していたもののほとんどが脱税がしておりました。今頃彼らも取り調べを受けていることでしょう」
「うっ……嘘よ!! お前は嘘をついているんだわ!!」
 セラフィーナ様が、アルヴィン卿に食ってかかる。だけど、アルヴィン卿と目が合うと、恐ろしいのかヒッと息を呑んだ。
「あ、赤目……。赤目! そうよ。お前が操っているのでしょう!? 彼らを悪魔の力で操っているのね!?」
 セラフィーナ様の悲鳴のような声は、市街地でなら第三者の同意を得られたかもしれない。
 だけど、ここにはアルヴィン卿を支持する貴族しかいないのだ。自然、セラフィーナ様の発言は非難され、白い目で見られることとなる。
 何を言っているんだ、という冷たい視線を向けられ、セラフィーナ様は狼狽えたようだ。
 彼女は戸惑い、ふらりと後ずさる。
 だけど彼女のすぐ後ろには近衛騎士が控えていて、彼女はあっさりと、陛下同様拘束された。
 (この時のために、一年かけた)
 陛下は毀誉褒貶の激しいひとだ。
 陛下を評価するものは彼に取り立ててもらい、利権を得ている貴族。反面、陛下の執政に反対するものは陛下に使えないと切り捨てられ貴族たちだ。
 陛下が犯した致命的なミス。
 それは──
「ひとつ。あなたはご自身の考えに賛同するものしか、近くに置かなかった。寄せ付けなかった。これは、著しくあなたの王としての評価を貶めました」
 
 カツン、と足音を響かせて私は陛下に近付いた。
 状況を理解したのだろう。先程まで気分よくお酒を楽しまれていたはずの陛下の顔は土気色だ。
「ふたつ。あなたは──いえ、あなたたちは、ご自身の子供であるルンハルト殿下を不当に扱った」
 後者は、王として致命的な行いではなかったかもしれない。
 だけど私にとっては、行動に動く理由となり、きっかけとなった。少なくとも、このままにはしておけない。この状況を良しとはしたくなかった。
 つまり、私が、私のために動く理由となった。
 ふと、アルヴィン卿の言葉を思い出す。彼は、自分のためにエリセリュン王国の歴史を調べ始めたと話していた。
 ルンハルト殿下のために状況を変えたいと思ったから。自分のためにそうしたいと考えた、と。
 ふたたび、カツン、と靴の音を鳴らして、私は陛下の前に立った。
「ひっ……」
 冷たい目で見下ろすと、陛下が息を呑む。
 その顔は、まるで自身の命を狙う暗殺者を前にした人間のような顔だ。恐怖を顔に貼り付けた陛下が、愕然と私を見上げた。
 まさか、殺されるとでも思っているのだろうか。
 だけどまさか、こんなところでそんな蛮行は働かない。
 それに私は、陛下の命を刈り取りたいわけではないのだ。
「……陛下は、以前、私を蜘蛛のような女だと称したことがございましたね」
「な、何の話だ……」
「いかがでしたか? 私の本日までの働きは、蜘蛛のように素早く、賢いものでありましたでしょうか? 評定をいただきたく思いますわ」
「──」
 私の軽口に、陛下は腹を立てたようだ。
「貴様ぁっ……!! こんなことをしでかしておいて、たたで済むと思うな!! お前の勝手な行動を、モントヴァルト王国にバラしてやる!! 間諜のような真似をしおって……!! これはモントヴァルト王国からの宣戦布告か!?」
「まあ。陛下ったら、私が勝手な真似をするはずがないではありませんの」
 私の言葉に、陛下は目を見張った。
 まるで、信じられないものを見る目だ。
「セレニア皇国は、モントヴァルト王国との同盟を結びました」
 その時、私たちをドーナツ状に囲む人達の中から、ひとりの女性が静かに現れた。マチルダ様だ。彼女の声は変わらず小さく、そして淡々としていたけれど、意外なほどホールに響いた。
「父からの伝言です。『セレニア皇国と、モントヴァルト王国。この二国は、互いに不可侵を誓う条約を締結した。貴国の出方次第では、セレニア皇国とモントヴァルト王国、両国を持って相応の対処を行わせていただく』……以上です」
 陛下はマチルダ様の言葉に絶句した。
 そして、震える声で続けた。
「エリセリュンを裏切るというのか……」
「何をおっしゃいますの? 先にセレニア皇国とモントヴァルト王国を裏切ったのは、陛下の方ではありませんか」
 そこで、私は陛下の言葉に笑みを零した。
 ダリアに目配せをすると、彼女は予定通り、私に複数枚の書類を手渡す。
「この婚姻において、締結した条文を守らなかったのは、陛下の方。つまり、モントヴァルト王国からしたら、先に裏切ったのはエリセリュン王国なのですよ? 王の代替わりで目を瞑るのは、私の優しさです」
 ピラ、と一枚の書類を陛下に見せる。
 とはいっても、陛下は変わらず地に伏せているので、私もまた屈んでそれを見せた。
 陛下は、その条文に目を落とすと、息を呑んだ。
 その様子に、私は首を傾げる。
「もしや、知らなかった……わけでは、ありませんわよね? これは写しですけれど、原本には玉璽が押されていますもの」
 今、このエリセリュン王国で玉璽を押印出来るのは、陛下以外にはいない。
 私が提示した書類は、モントヴァルト王国とエリセリュン王国間で交わされた文書。
 私と陛下の婚約にまつわる内容だ。
 その中に、書いてあるのだ。
「第七条には、『モントヴァルト王国は、次の条件が満たされた場合、エリセリュン王国に説明責任を追及する』とされており、その第三項には、『王女マリア・モントヴァルトの生命が故意に著しい危機に晒され、それを認められること』とあります」
「それが、どうした」
 陛下の言葉は歯切れが悪い。
 そんなものがあったのかと、今更思い出しているのだろう。陛下は、基本的に自身の側近に判断を任せている。
 その筆頭はシャッテンヴァルト公爵で、彼がYESと言えば陛下は署名を、NOといえば却下する。
 そんな状態だから、自分で把握していないのだろう。
 私は立ち上がると、書類をダリアに返した。
「昨年の豊穣祭にて、私はセラフィーナ様に殺されかけました。この、第七条三項を満たすことになります」
 あの夜、セラフィーナ様は私に飛び掛り、ナイフを持ってこいと指示を出した。私を故意に害そうとしていた意思は明らかで、そして、あの場には多くの人間がいた。証言もじゅうぶんだ。条項を満たすこととなる。
 私は、笑みを浮かべて陛下に言った。
「このことから、モントヴァルト王はエリセリュン王国を強く批判しております。これはれっきとした、条約違反。正式に抗議の上、措置(・・)を求めてもよろしいのですが……一時とはいえ、陛下の妻であった身ですもの。私からモントヴァルト王に執り成しを求め、モントヴァルト王の代替わりにて、モントヴァルト王国は納得することとなりました」
 執り成しのくだりはもちろん嘘だ。
 元々、アルヴィン卿が王位を取った方が、お父様としても都合がいい。国土が大きいために、大きい顔をするエリセリュン王国に、モントヴァルト王国は昔から手を焼いてきた。
 特に、今の王に変わってからは更にやりたい放題で、周辺国──国交を持たないルナリア王国以外は、何かと苦労をかけさせられてきたのだ。
 お父様は、アルヴィン卿が王位を取るなら、ということでセレニア皇国と同盟を結ぶことを選んだ。
 マチルダ様が、私の隣に並び、宣言するように言う。
「セレニア皇国も同様です。セレニア皇国と、エリセリュン王国の間で結んだ条項にも、類似の条文がございます。それが守られなかった以上、皇国は強くエリセリュン王国を批判します」
「はっ……小国同士がつるんだところで何になる! セレニア皇国の皇帝も、モントヴァルト王国の王もどうかしている! 大戦を招きたいのか!?」
「それと、言い忘れておりました。同盟は、セレニア皇国とモントヴァルト王国の二国間で結ばれたものではございません」
 その時、私は思い出したようにくちびるに手を当てた。それから、アルヴィン卿に視線を向ける。私の視線を受けて、彼がまつ毛を伏せた。
 そして、陛下の前に膝をつくと、ハッキリとした声で彼は言う。
「ルナリア王国もまた、同盟に加わると返答がありました。ルナリア王国は──私の母の故国です」
 アルヴィン卿の言葉に、陛下はぽかんと口を開けた。未知の言葉を聞いたような、理解できない単語を耳にしたような、そんな表情だ。
 アルヴィン卿はゆっくりと話し出した。
偶然(・・)、知ったことです。きっかけは、母が大事に持っていた押し花。あれは、ルナリア王国でリヴィアーネと呼ばれる花でした」
 あの後、アルヴィン卿のお母様がルナリア王国の生まれかもしれない、と分かった時のこと。アルヴィンはこの件を一度持ち帰ると話した。
 そして、後日彼から連絡があったのだ。
 ──ルナリア王国に手紙を出したところ、応えがあった、と。
 (もしかしたら、とは思ったけれど……)
 高貴な生まれだったかもしれない、と話すアルヴィン卿。お母様は、彼に王族としての振る舞い方を教えたという。
 (だけどまさか)
 アルヴィン卿のお母様が、ルナリア王国の国王陛下の妹君だった、なんて。誰が考えるだろう。
 アルヴィン卿は、ルナリア王への手紙に、押し花を同封したと言う。それを見たルナリア王が使者を遣わせ、そこで発覚したのは、アルヴィン卿が母の形見として持っていた押し花。あれは、ルナリア王の妹君が大切にしていたものだったのだ。ルナリア王の妹君は、今から二十年前に行方不明になっていた。
 誘拐か、事件に巻き込まれたか。
 ルナリア国内では様々な噂がされていたそうだ。
 アルヴィン卿は、ジャケットのポケットから、目当てのものを取りだした。彼のお母様の形見であり、彼女が大切にしていたという、押し花だ。
「リヴィアーネは、生命を意味する花のようです。ルナリア国民には親しみがあるらしい」
「──な、なに、を」
 陛下はパクパクと口を開閉した。
 信じられないのだろう。私もアルヴィン卿から話を聞いた時、同じ思いを抱いた。
 アルヴィン卿は、手にした押し花をじっと見つめた後ふたたびポケットにしまう。
「嘘ではありません。母の肖像画を見せてもらいました。私の知る母の姿と、よく似ていました。陛下もご覧になりますか? ……後で、ここではない別室で、になるかとは思いますが」
「う、嘘だ。嘘だ、嘘だ、嘘だ!! シャーロット妃が、王族の出身だった!? それも、ルナリア王国だと!? 私は信じない! 断じて信じんぞ!!」
「信じる信じないはご自由にどうぞ。ですが、これは事実です。私は、先代国王の息子である父とルナリア王国の王女であった母を持つ。血筋としては、じゅうぶんかと思いますが」
 陛下はもはや、アルヴィン卿の話など耳に入っていないようだった。浅い呼吸を何度も繰り返している。
 アルヴィン卿のお父様、つまり陛下の兄にあたるひとは、今から十年前に亡くなっている。
 当時王兄殿下は、四十歳。陛下は三十五歳。
 その直後に先代国王陛下の持病が悪化し、王位は王位継承権の序列に従い、陛下が継ぐことなった。
 もし──王兄殿下が生きていたら。
 次の王は、陛下ではなく、王兄殿下だったことだろう。そうなれば、アルヴィン卿は王子という立場になっていたはず。長子ということもあり、彼は立太子していたことだろう。
 もしそうなっていたら。
 両親に愛されて育ったというアルヴィン卿は、赤目だからと忌避されることもなかっただろう。
 (……そうなっていたら、妃の生家という立場が欲しかったシャッテンヴァルト公爵家は、セラフィーナ様をアルヴィン卿に嫁がせたかもしれない)
 その場合、ルンハルトは生まれなかっただろう。
 アルヴィン卿のご両親が亡くなったのは辛い過去で、だけどもう変えられない事実でもある。今はただ、ルンハルトが生まれてきたことに、感謝しようと思った。
「アルヴィンが……ルナリア王国の血を引いているだと……? そんなこと、私は一度も……。兄上は、私に黙っていた? なぜ? 何のために……」
 陛下は、ぶつぶつと独り言を呟いた。
 話すべきことは話し終えた。もう、彼らを連れて行ってもらおう。そう思って、私がアルヴィン卿に視線を向けた時。
 それまで静かになにか考えていた様子のセラフィーナ様が──突然、叫んだ。
「お前たちは悪魔よ!! お前も! お前もね!!」
 突然の大声に、周囲の注目が彼女に向いた。
 セラフィーナ様の視線の先には、アルヴィン卿と私。
 続けて、彼女はマチルダ様を睨みつける。
「このっ、裏切り者!!」
「っ……」
 一瞬、マチルダ様の体がびくりと跳ねる。
 だけど彼女は俯くことはせず、真っ直ぐにセラフィーナ様を見つめ返した。
「セラフィーナ様。私は、セレニア皇国の皇女です」
「だから何よ!?」
「私にも……私の、矜恃があります。あなたには、私には何もないふうに見えているのだろうけれど……。私にも、守りたいものがある」
 マチルダ様はまつ毛を伏せた。
「私は、ルンハルト殿下が理不尽な境遇にあると知っているのに、何も出来なかった。同情するだけで、動けませんでした。だけど、マリア様は動いた。赤目の呪いなど馬鹿らしい、と一蹴した」
「はっ……外国の女に何がわかるのよ! 赤目は恐ろしいものよ。あなたたちはそれを知らないだけ。おろかなことね!!」
「赤目の呪い──具体的には、なにが?」
「そんなの、いっぱいあるわ! 不幸が起きるとか、ひとが死ぬとか……! そうよ。ルンハルトが生まれてから、おじいさまが亡くなったわ! あいつのせいよ!!」
 この後に及んで赤目を嫌悪する彼女には、もはや感服する。何がそこまで彼女を攻撃的にさせるのだろうか。
「あんな子、産むんじゃなかった!!」
 セラフィーナ様が叫ぶように言った直後、静かな声が彼女に答えるようにその場に響いた。
「確か、シャッテンヴァルト公爵夫人のお父君……ロッドフォード前伯爵は、数年前から病を患っていたそうですね」
「だから何!? ルンハルトのせいで、死期が狭まったのよ! あの子は悪魔の子! 死神を連れてきたんだわ!」
 荒い呼吸を繰り返す彼女に、私はどんどん自身のこころが冷えていくのがわかった。このひとは、何を言っているのだろう? という、白けた思いと、呆れた笑いが込み上げる。
 本気でそう思っているなら、彼女の方こそどうかしている。セラフィーナ様の絶叫にアルヴィン卿は少し考え込んだ後に、ふたたび口を開いた。
「……逆ですよ」
「はあ!?!?」
「ご存知ないのですか? ロッドフォード前伯爵は、ルンハルトが生まれるまで持たないだろう、と医者に宣告されていました。ですが、彼は待望の孫の顔がどうしても見たくて、医者も、驚くほどに頑張った。余命宣告は、半年だったにも関わらず、それを大幅に超える一年半という時を生きたのですから」
「なに……を」
 セラフィーナ様は、呆気にとられたように目を見開いた。それに、アルヴィン卿がなぜそんなことすら知らないのだと言わんばかりに眉を寄せる。
「ロッドフォード前伯爵が亡くなったのは、病のためです。ルンハルトに罪はない。むしろ、ロッドフォード前伯爵は、ルンハルトを可愛がっていたと聞いています」
「うっ……嘘よ嘘よ嘘よ!! 嘘だわ!! だいたいどうしてお前がそんなことを知っているの!? 全部でっちあげでしょう!! そんなにルンハルトが可愛い? 自分と同じ、呪われた赤目ですものね!!」
 ホールに響き渡る甲高い声を上げて、セラフィーナ様は叫んだ。そんな彼女に、アルヴィン卿がため息を吐く。
「私としては、なぜこの話をあなたが知らなかったのか。そちらの方が驚きですよ。確かに、エリセリュン王国の国民は、この赤目を忌避することがある。だから──確かに、都合が悪かったのでしょうね。我が子を次期国王に、と目論んでいたシャッテンヴァルト公爵にとっては」
 興奮のあまり、セラフィーナ様ははあ、はあと肩で息をしていた。目は充血し、瞳孔は開いていた。
「こちらはご存知ですか? セラフィーナ様。シャッテンヴァルト公爵は、ルンハルトの入れ替えを企てていたようですよ」
「な……」
 セラフィーナ様は息を呑んだ。
 私もまた、知らない情報に目を見開く。
「ルンハルトを亡き者にし、代わりの人間をルンハルトとして表舞台に立たせる。それが、シャッテンヴァルトの計画です」
 周囲の貴族たちも知らなかったようで、ホールがざわめき始めた。
「シャッテンヴァルト公爵は、ルンハルトが赤目でさえなければ、堂々と彼を王子と発表できると考えたのでしょう」
「そっ……そんな……そんな馬鹿な」
 セラフィーナ様はがガタガタと震えた。
 彼女の目の焦点はあっていない。実の父が、王子の入れ替え計画を考えているとは知らなかったようだ。
「お父様は……そんなことしないわ……。嘘よ……そうよ。嘘だわ……やっぱりお前は悪魔だわ! こうして、ひとを惑わそうとしているんでしょう! 小癪な! 頭ばかりが回る狡猾な悪魔が!」
「事実です。先程、シャッテンヴァルト公爵に脱税の疑いがあり、身柄を拘束されたとお伝えしましたが、その際、邸から発見されたんですよ。ルンハルトの入れ替え計画がね」
「──」
 絶句する彼女に、アルヴィン卿が残念そうに肩を竦めた。
「セラフィーナ・シャッテンヴァルト。シャッテンヴァルト公爵の罪に関与の疑いありと見て、あなたの身柄も拘束します」
 アルヴィン卿の言葉の直後、セラフィーナ様の絶叫がホールに響き渡った。
 
 
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