側妃マリアの謀
第2章
翌日。約束通り、私は庭園にふたたび足を運んだ。昨日と同じ場所に、ルンハルト殿下はいた。彼は、私を見るとパア、と顔を輝かせた。
「マリア、さま!」
「マリア、とお呼びください。ルンハルト殿下」
ルンハルト殿下のそばに膝をつく。昨日は空が曇っていて気付かなかったけれど、ルンハルト殿下の顔は薄汚れていた。とても、王子の姿とは思えない。
「……昨日は、その後何を?」
「きのう? きのう……」
少し考え込んでから、ルンハルト殿下が答えた。
「ジェイムズがこなかったの。だから、ねむったよ?」
「ジェイムズ?」
「えーと、えーと……あっ、ジェイムズはね、【すてられたきし】なんだって! そういってって、いってた!」
ますます話の意図が読めない。
幼い子と関わりを持ったことはないけれど、姉様はよく言っていた。子供というのは突拍子がないものよ、と。
ルンハルト殿下の断片的な言葉から文脈を読み取ろうとしていると、ダリアが私にハンカチを差し出した。それを受け取ると、ハンカチでルンハルト殿下の顔を拭う。
(水で濡らさなきゃ取れないかしら……)
ルンハルト殿下はされるがままだ。頬を拭われると、くすぐったそうに目を細めた。ふわふわの銀髪は暖かそうで、思わず頭を撫でたくなる。
「あれ? でも、マリアには、ほんとうのこと、いってもいいのかな……?」
ルンハルト殿下の言葉に首を傾げた時、彼がハッと目を見開いた。その視線は、私の後ろだ。私が振り返るより先に、ルンハルト殿下が嬉しそうに言った。
「アルヴィン!」
また、知らない名前だ。
ひとまず、第三者がいるなら挨拶すべきと判断し、立ち上がる。振り返ると、そこには冷たい印象を感じさせる男性が立っていた。年は、おそらく私とそう変わらないだろう。ルンハルト殿下の銀髪よりも白い髪。印象的なのは、その瞳だ。
(赤い瞳……)
アルヴィンという名前にも、白髪赤目の男性にも覚えがない。エリセリュン王国に嫁いでくる前に、貴族図鑑には一通り目通したし、顔と名前は頭に入れてきた。それにも関わらず、覚えがないということは、このひとは王侯貴族ではないのだろうか。
(いえ……それならどうして、この庭に足を踏み入れたのか疑問が残る)
その服装からして、騎士とは思えない。黒の首まで詰まったシャツに、飾り気のない、至ってシンプルな白のジャケット。睨みつけられているように感じるけれど、ただ目つきが悪い可能性もある。それに、ルンハルト殿下が嬉しそうに名前を呼んだということは、王子にとっては悪いひとではない、ということ。
そこまで考えた私は、腰を折ってカーテシーをとる。
「初めまして。モントヴァルト王国から来た、マリア・モントヴァルト・エリセリュンと申します」
「アルヴィンっ。あのね、マリアはいいひとなんだよ。ぼくとね、おはなししてくれて……」
不穏な空気を察したのか、ルンハルト殿下が一生懸命話す。それを聞いたアルヴィンというひとは、ちらりとルンハルト殿下を見た後、身をかがめた。そして、ルンハルト殿下のちいさな頭をくしゃりと撫でる。柔らかな銀髪が乱れた。
「わかった」
彼の声は、思ったよりも低かった。
「アルヴィン……?」
ルンハルト殿下が不思議そうに彼を見る。アルヴィンは、もう一度安心させるようにルンハルト殿下の頭を軽く撫でると、ふたたび顔を上げた。
「初めまして、第三側妃様。私はアルヴィン・ルア・エリセリュンと言います。ご挨拶が遅れ、申し訳ありません」
「……エリセリュン?」
つまり、彼は王族ということになる。
私が言葉を繰り返すと、彼はそこを突っ込まれることも想定内だったのだろう。
「私は、陛下の兄の息子にあたります」
驚きに、息を呑んだ。
動揺したことを悟られないよう、ゆっくり息を吐いて言葉を続ける。
「ルンハルト殿下に従兄弟がいらっしゃるとは、存じませんでした」
「仕方の無い話です。私は、王家ではいないものとされている人間ですから」
「……?」
続きを促すようにアルヴィン殿下を見ると、彼が答えた。
「赤目ですから。聞いていらっしゃいませんか。赤い目は、魔女の子の証だと」
「……ルンハルト殿下から、少し」
ルンハルト殿下は、私たちの話を不安げに聞いている
きっと、ルンハルト殿下にとって、アルヴィン殿下は、大切なひとなのだろう。
だから私と諍いを起こさないか心配しているのだ。
私は意識して声と表情を和らげた。
「アルヴィン殿下は……」
「その敬称は不要です。私は、王籍を抜けています」
「……では、アルヴィン卿。卿は、ルンハルト殿下と親しいのですか?」
アルヴィン殿下、改めアルヴィン卿は、ジャケットの内ポケットから、なにか包みを取りだした。屈んで、ルンハルト殿下に見せるようにそれを開く。中からは色とりどりの砂糖菓子が現れた。それを見て、ルンハルト殿下が目を輝かせた。
「わあ! いいの? アルヴィン」
「いいよ。食べなさい」
「……ぜんぶ?」
期待するようにルンハルト殿下がアルヴィン卿を見る。
「うん、全部」
短いやり取りは、ふたりが親しいことを示唆している。ルンハルト殿下に渡すと、アルヴィン卿が立ち上がった。
「そうですね……。この城の中では、もっとも近しい関係と言えるでしょう。あなたは、マリア妃と仰いましたね」
「はい」
「マリア妃は、ルンハルトとここで何を?」
アルヴィン卿の目が鋭くなる。怪しまれている、と気がついた。
あわよくば、という下心でルンハルト殿下に近付いていないか、探りを入れているのだろう。それに気がついた私は、思わず肩から力が抜けた。
(……良かった)
ルンハルト殿下を、心配してくれるひとがいて。
この広い城の中で、ひとりぼっちだったわけではなくて、よかった。ひとりぼっちは、寂しいもの。
気が抜けた私は、笑みを浮かべた。
「昨日、偶然お会いしました。……ルンハルト殿下はここで泣いていたのです」
「…………そうでしたか」
僅かな沈黙。アルヴィン卿も知っているのだろう。
(当然ね。セラフィーナ様がルンハルト殿下とを嫌っていることは、城に住むものなら誰もが知るくらい有名らしいもの)
昨日、マチルダ様に聞いたのだ。
彼女は、ルンハルト殿下とは会ったことがないけれど、セラフィーナ様が悪くいうのを何回も聞いたことがあると答えた。
アルヴィン卿がルンハルト殿下と親しいなら、知らないはずがない。
「差し出がましいこととは存じますが……時々、ここにお邪魔してもよろしいでしょうか」
「なぜ私に聞くのですか?」
「アルヴィン卿は、ルンハルト殿下を大切に想われていると判断したからです」
私の言葉に、アルヴィン卿は驚いたように息を呑んだ。言葉を失ったようだった。
その時、ちょいちょい、とアルヴィン卿のジャケットの裾を、ルンハルト殿下が引っ張る。
アルヴィン卿がルンハルト殿下を見ると、ルンハルト殿下がちいさな声で言った。
「アルヴィン、だめ?」
心細そうな、不安そうな声。
それに、胸を動かされたのは私だけではなかったらしい。アルヴィン卿は難しい顔をした後、ちいさくため息を吐いた。
そして、ふたたびルンハルト殿下の前に屈むと、確かめるように尋ねた。
「ルンハルトは、マリア妃といたい?」
「うんっ……! マリアはね、あたたかいから……。ぎゅって、してくれる」
「……そうか」
アルヴィン卿は優しい声で答えると、腰を上げ、私を見た。そして、私に頭を下げる。
「時々で構いませんので、ルンハルトの様子を見に来てください。この子も喜びます」
「ええ。お任せください」
私の言葉に、しかしアルヴィン卿は浮かない顔だった。恐らく、私の真意が読めないからだろう。
(ゆっくり、アルヴィン卿と話す時間が欲しいわ)
私の目的、とか。そのために考えている手段、とか。伝えるべきだと思った。
(アルヴィン卿は、ルンハルト殿下を想っていらっしゃる……)
場合によっては、協力してくれるかもしれない。
アルヴィン卿は、研究者だという。城に寄ったのは、ルンハルト殿下にお菓子を届けたかったからだと話した彼は、すぐに王都に併設されている研究棟へと戻って行った。
「アルヴィンはね……いつもいそがしいんだって」
寂しそうにルンハルト殿下が呟くように言った。アルヴィン卿の後ろ姿はとうに見えないというのに、いつまで経ってもルンハルト殿下はアルヴィン卿が去っていった方をじっと見つめている。
「いそがしいなか、あいにきてくれるんだって、ジェイムズがいってた。アルヴィンには、やることがあるって……」
「ジェイムズ……というのは」
「アルヴィンのきしだったひとだって。でも、あんまりぼくとおはなしするから、くびにされちゃったって」
「心優しいひとなのですね」
私が言うと、ルンハルト殿下がパッとこちらを見る。目を輝かせてルンハルト殿下が答えた。
「うん! ジェイムズはね、すごくやさしいよ。いつも、いろんなことを教えてくれる。きのぼりだって、おしえてくれたんだよ」
「それはそれは……」
王子に、木登りを教える騎士。その光景を想像した私は、思わずクスクスと笑ってしまった。モントヴァルト王国なら、打首だ。
だけど、ジェイムズはきっと、ルンハルト殿下のことを王子だからとか、次世代の王になられるひとだから、とかそういった理由でルンハルト殿下と一緒にいるわけではないのだと思う。
ジェイムズを派遣したというアルヴィン卿。彼とはほんの少ししか話せなかったけれど、それでもじゅうぶん伝わってきた。
アルヴィン卿は、ルンハルト殿下を大事に思っている。
(それならどうして、今までこの状況を放置してきたのか気になるけれど……)
もしかしたら、そのあたりがルンハルト殿下の言っていた【アルヴィン卿のやること】に関与しているのかもしれない。
「【捨てられた騎士】……っていうのはね、そう言えってアルヴィンに言われてるからなんだ」
ルンハルト殿下が俯きながら言う。幼すぎて、その言葉の意味は分からないのかもしれない。だけど、悪意は伝わっているのだろう。
「ジェイムズも、そうしたほうがいいって。その方が、お母様のお怒りを買わないからって」
「セラフィーナ様は……前からずっと、あのような?」
屈んで、ルンハルト殿下に尋ねる。
彼は俯いていた。ルビーのような赤い目に、涙が溜まっていた。今にも泣きそうなのに、ルンハルト殿下は涙を零さなかった。
「……うん。ぼくが、だめなこ、だから」
涙声で、懸命に泣くのを堪えるようにしながら、ルンハルト殿下が答えた。
「ルンハルト殿下は、ダメな子などではありませんよ」
「でも、おかあさまは……『せめてあなたがもっとちゃんとしてたら』……『いらない子』って」
「セラフィーナ様は、子供に理想を押し付けすぎなのです。それであなたが押し潰されていたら、元も子もないでしょうにね」
ルンハルト殿下は首を横に振る。その拍子に、目いっぱいに溜めていた涙がぽろりと零れた。
一度決壊したら、もう止められないのだろう。
ルンハルト殿下はぼろぼろと涙を零しながら、震える声で言った。
「ぼくが、いけないの。おかあさまの、ごきたいに、こたえられないから」
その言葉は、まるで借り物のよう。
セラフィーナ様がよく言うセリフなのだろう。
「ぼくは……あくまのこだから……。うまれてきちゃ、いけなかった、って」
「そんなことはありません」
「ぼく……ぼく、いらないこだった……? おかあさまを、くるしめる……」
ついにしゃくりあげ始めたルンハルト殿下を、思わず抱きしめてしまった。華奢な体は、私が抱きしめただけで前後に揺れた。
「マリア……くるしい……」
「生まれてきてはいけない子なんて、いません。私は、ルンハルト殿下が生まれてきてくれて嬉しい。あなたが今ここにいることが、何よりの幸福です」
「うっ……ひぅ、う、うう、うー……」
泣き叫びたいのを堪えるように、声を噛み殺してルンハルト殿下は泣いた。
そのまま、私とちいさな王子様は、しばらくの間ずっと、抱きしめあっていた。