側妃マリアの謀

 
 それから、私は毎日庭園に足を運んだ。
 ルンハルト殿下は毎日庭園に来ているわけではないようで、彼と会う日もあれば、顔を見ない日もあった。
 だけど、ルンハルト殿下は私に気がつくと、いつも嬉しそうに笑う。
「マリア! 来てくれたの」
「今日は、ルンハルト殿下の好きそうな本を持って参りました。さあ、どうぞ」
 春の目映い日差しを避けるように、木の下に腰を下ろす。木の幹に持たれるようにして、私は自身の隣を手で示した。それを見て、ルンハルト殿下が目をきらきらさせて笑う。
「いいの!?」
「ふふ、だめなんていうはずがないでしょう? 今日は、有名な童話のお話です」
 お姫様が悪い魔女に呪われて、勇者が助けに来るという定番の物語。この物話は世界中で有名で、私も幼い頃、姉様によく読んでもらったのだった。
 当時のことを思い出して、姉様の声のトーンを意識して話す。
「昔昔、あるところに……」
 ゆっくりと、聞きやすい声を意識して話していると、物語の終盤に差し掛かったところで、胸元に重みが加わった。見れば、ルンハルト殿下は眠っていた。幼いながらに、全体重を預けられると流石に重みを感じる。それでも、その重みは可愛らしく、愛おしくて、私はそっと、彼の頭を撫でた。
 見守っていたダリアが、ルンハルト殿下に気を使ったのだろう。小声で囁いた。
「眠ってしまわれましたね」
「ふふ、可愛いわね」
「懐かしいです。私も、よくこうやって年下の子達に、読み聞かせをしていました。マリア様みたいに、上手ではなかったですけれど」
「ダリアの読み聞かせも楽しそうね。今度は、あなたに読んでもらおうかしら?」
 私の言葉に、ダリアがはにかみながら「私でよければ」と答えた。
 ルンハルト殿下の線は変わらず細い。同年代の子供とあまり接したことはないものの、それでも細すぎるような気がした。
 ルンハルト殿下の世話がまったくされていないことを知った日から、私は取り急ぎ食事の手配を命じた。
 私の食事の準備の際、一人分追加で用意させて、それをダリアかエラに持っていってもらう。
 (でも……ふたりの報告によると、ルンハルト殿下はあまり召し上がられなかったという)
 一口、二口口をつけるものの、途中でフォークを置いてしまうようだ。ふたりがどんなに進めても、首を横に振り、食べないのだという。
 まさか、食事になにか混入させられているのかと確認してみたけれど、私とまっとく同じものだった。
「歯がゆいわ……」
 ルンハルト殿下の髪は、予想通りとてもサラサラだった。ふわふわで、サラサラ。陽の光をたっぷり浴びた銀髪は、指の間からこぼれ落ちていく。
 その時、ルンハルト殿下の銀のまつ毛が震えた。どうやら、目が覚めたようだ。
「あれ……? マリア?」
「おはようございます、ルンハルト殿下。お姫様が救われたあたりで、眠ってしまったのですよ。覚えていますか?」
「そっか……僕」
 そこまで言うと、ルンハルト殿下も状況を思い出したようだ。ゆっくりと体を起こして、目をゴシゴシと擦る。それを止めて、私はハンカチを取り出すと、彼の目元を拭ってやる。
「乱暴に擦ってはいけません」
「……マリアは、やさしい。なんで?」
「それは、ルンハルト殿下のことが好きだからです」
「ぼくのことが?」
 ルンハルト殿下はびっくりしたように私を見た。
「そう、なんだ……。じゃあ、じゃあ、もし……。マリアが……。マリアが、ぼくの、おかあさまだったら……」
「…………」
 思わず、と言ったように口をついて出てしまったらしかった。ルンハルト殿下は、ハッとした様子で口を覆った。
「ち、ちがうの。ぼくは、おかあしゃまのこと……す、すきだよ。ほんとだよ」
「分かっております」
「うん…でもね……おかあさまはね……」
 泣きそうな顔でルンハルト殿下は言った。
 私は彼を抱き上げると、膝の上に乗せる。
 絵本の続きのページを開いて、ルンハルト殿下に見えるようにしながら、言葉を続ける。
「ルンハルト殿下は、どうして食事を召し上がらないのですか?」
「召し……?」
「ご飯、どうして食べないのですか? ……嫌い?」
 言葉を言い替えて、分かりやすいように尋ねると、ルンハルト殿下が固まる。それから、悲しげにまつ毛を伏せる。
「たべかた……」
「食べ方……」
「みっともない、って、きたないんだって、ぼく。おかあしゃ、おかあさま、おこってた……」
 だから、怖くて、食べられなくなってしまったのだと、ルンハルト殿下は話す。ジェイムズは何も指摘しないし、ダリアとエラも同様だ。だけど、ひとの目があると怖くて、指が動かないのだと言う。
「それは……アルヴィン卿には?」
「ううん。だって、アルヴィンは、いそがしいもの……」
「…………では、私と一緒に食べましょう?」
「マリアと?」
 パッとルンハルト殿下が顔を上げる。
「食べ方が気になるなら、私が教えますわ」
「でも……おかあさまにおこられない? ぼくと、なかよくなんて、したら」
「私は大丈夫です。……ですが、そうですね。セラフィーナ様が知ったら、不快になるでしょうから……。食事(これ)は、私とルンハルト殿下の秘密。良いですか?」
 私は口元に人差し指を当てて、首を傾げた。
「……! うん!!」
 秘密、というキーワードは、子供心を刺激したのだろう。楽しげに、ルンハルト殿下が目を輝かせる。さっきまで泣いていた子が、もう笑っている。私はクスクス笑いながら「では、お話の続きから読みましょう」と言葉を続けた。
 部屋に戻る途中、エラが私に尋ねた。
「マリア様。セラフィーナ妃は、黙っていないでしょう」
「そうね。私がルンハルト殿下に近づいていることを知ったら、間違いなく抗議に来るでしょうね。……でも、そちらはどうとでもなるわ。問題は」
「ルンハルト殿下……」
 私の言葉を引き継ぐようにダリアが言う。
 回廊を歩きながら、私は頷いた。
「エラ。明日から、ルンハルト殿下についてあげて」
 私が指示を出すと、エラは驚いたようだったけれど、すぐに頷いた。私の危惧しているところを察したのだろう。
「あなたは、モントヴァルト王国公爵家の姫君だった。セラフィーナ様の無茶から、ルンハルト殿下を守ってあげて」
 エラは、モントヴァルト王国の名門公爵家の姫だった。過去形なのは、彼女がエリセリュン王国についてくる際、家門を捨てたからだ。
 私についてくるということは、エリセリュン王国で生きていくことを意味している。私が離縁でもしない限り、エラもモントヴァルト王国には戻らない。
 侍女の中で誰がこのエリセリュン王国まで着いてくるか、という話になった時、一番最初に手を挙げたのがエラだった。彼女は、強い意志で私に着いてくることを望んだ。
「拝命いたします」
 エラが恭しく頭を下げる。
「お願いね」
 私が答えると、エラはダリアを見た。
「私はしばらくマリア様のおそばを離れるけれど……しっかりやってちょうだいね」
「任せて! お妃様の嫌がらせなんて私がぶちのめしてあげるわ!」
「ぶちのめしちゃだめなのよ……」
 疲れたようにエラが言うのを聞きながら、私はくすくすと笑った。
 これで、セラフィーナ様がルンハルト殿下に悪意をぶつける心配は減った。エラが上手く立ち回ってくれるだろう。
 後は──
 (アルヴィン卿とまた会いたいけれど、私から会いたいと言っては不要な噂を招く)
 彼が自主的にルンハルト殿下を訪ねてくるのを待つ他ないかしら……。
 まずは、ジェイムズというひとと会ってみよう。彼から、アルヴィン卿に話を通してくれるかもしれない。
 マチルダ様とも、例の相談をしなければならない。他にも、社交付き合いや、夜会や昼食会の支度を進めなければならない。一分一秒が惜しい。
 (私の目的は、ルンハルト殿下の幸せ)
 私が幸せにしたい、なんて傲慢なことは考えていない。
 だけど、あの子には泣いて欲しくない。寂しさや悲しさに押し潰されて欲しくはない。
 昨日今日、この国にやってきた私が思うには、烏滸がましいことかもしれない。それでも、私は──
 (ルンハルト殿下には……あの子には、笑っていてほしい)
 弾けるような笑顔を見せて欲しい。
 あの子が明日を思った時、悲しみや恐怖、恐れ、不安ではなく……楽しさや幸福、期待といったものを抱いて欲しい。そんな日々を過ごして欲しい、そう思うのだ。
 姉様が、私を大切にしてくれたように。
 私も、あの子を大切にしたい。
 母であるセラフィーナ様が、ルンハルト殿下を要らないというのなら、私が貰う。私が、あの子の幸福を守りたい。そう思うのだ。
 
 ☆
 
 『親愛なる姉様。
 早いもので、姉様が嫁がれてから一年が経ちましたね。
 いかがお過ごしでしょうか。
 私が嫁いだエリセリュン王国は、果物で有名です。夏は、モントヴァルト王国よりずっと暑いそうですわ。
 そのおかげで、大きな果実がなるのだとか。
 姉様が嫁がれたルナリア王国は、星が美しいと聞きました。姉様が幸福に過ごされていることをただ、願っております。
 あなたを愛する妹 マリアより』
 姉様が嫁がれた国は、ルナリア王国。
 閉鎖的で排他的な国だと有名で、姉様が苦労していないか、そればかりが気がかりだ。
 ルナリア王国は、マチルダ様の母国であるセレニア皇国と、モントヴァルト王国に挟まれるように位置している国だ。
 隣国でありながら、モントヴァルト王国とは長年国交がなかった。
 だけどお父様は、姉様を嫁がせることでかの国と縁を持たせたのだ。その関係で、二国間の国交が始まったとは聞いているけれど……。
 今は、どうなっているのかエリセリュン王国からでは、情報が入手できない。
 姉様への手紙をしたためた後、私は椅子から立ち上がった。壁にかけられた時計を見ると、そろそろ昼食の時間だった。
 ルンハルト殿下との約束だ。彼が住まう離宮に向かうことにした。
 
 
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