側妃マリアの謀
『親愛なる妹 マリアへ
お手紙ありがとう。約定により、ルナリア王国の内情は記せません。けれど、私は健やかに日々を過ごしています。どうか安心して。
あなたがエリセリュン王国に嫁いだと聞きました。エリセリュン王国の噂は、私も聞き及んでいます。けれど、私はあまり心配していません。
あなたはどこにいても愛される子だもの。
強くて可愛い、私の最愛の妹。
きっと、かの国でもあなたは自ら居場所を築いて、幸せになるのでしょう。
この前、有名な庭園に足を運びました。
とても素敵なお花を見つけたので、あなたに贈ります。どうか、あなたの元に幸福が届きますように。
どこにいてもあなたを大事に思っています。
フランチェスカ』
ルンハルト殿下との食事を終え、自室に戻ると姉様から手紙が届いていた。ダリアからペーパーナイフを受け取り、開封する。
文章を読んで、思わず笑ってしまう。
「まったく、身内びいきが過ぎるわ……」
姉様から届いた手紙には、一緒に押し花にされた栞が入っていた。可愛らしい黄色の花は見たことがない。モントヴァルト王国にも、エリセリュン王国でも見られない花なのだろう。
パンジーやビオラのように、花の内側の色が変化した箇所をブロッチと呼ぶのだけれど、この花弁にもその特徴が見られる。
だけど、パンジーやビオラと違うのは、その花弁の形だ。マーガレットよりも細長い花は、全体は白色なのだけれど、外側はほんのりと黄色みを帯びていて、内側は碧色の特徴を持つ。
押し花にされている花弁は一枚だけれど、これが集まって完成した花は、一体どんなものなのだろう。
名前も知らない花。だけど見れば見るほど不思議で、こころが踊る。
後で、ダリアに花図鑑を持ってきてもらおうと思った。
翌週、エラから報告があった。
ついに、私とルンハルト殿下が接触しているという情報を受けたセラフィーナ様が、ルンハルト殿下を訪ねたのだという。あまりに酷い物言いをするので、エラが間に割って入り、仲裁したとのことだった。
「……ルンハルト殿下、大丈夫でしょうか」
自室で、エリセリュン王国の歴史の資料を読んでいた私は、手を止めた。エラはあれ以来、ルンハルト殿下につきっきりなので、ダリアが代わりに報告を行っているのだ。
私は資料を閉じると、ダリアに言った。
「ルンハルト殿下に会いに行きましょう」
「……はい!」
ダリアが頷いて、着替えを済ませると私たちは離宮へと移動した。その途中、偶然鉢合わせたのだ。
セラフィーナ様に。彼女は私に気がつくと、怒りの空気を纏って、早歩きでこちらに向かってきた。
そして、挨拶もなく、口火を切る。
「ルンハルトに余計なことをしないでちょうだい!」
「………ごきげんよう、セラフィーナ様」
目を細めて笑みを返すと、よりカッとしたらしいセラフィーナ様が吐き捨てるように言った。
「あの子は、悪魔の子!! 関わるとロクな目に遭わないのよ!」
セラフィーナ様は、自身の二の腕をさすった。鳥肌が立っているようだ。そして、心底そう思っている、と言うような声で言う。
「ああ嫌だ。早く死んでくれないかしら」
「──」
ざぁ、と、風に揺らされて木々の枝が揺れる音を聞いた。
雲がかかったのか、陽が陰る。私とセラフィーナ様、互いの顔に影が落ちた。
「お言葉ですが」
完全に、頭に来ていた。まったく面白くも愉快でもないのに、口元が笑みを形作る。
笑ってしまう。ああ、どうしてこんなにも、このひとは。
「あなたは、母になるにはまだ早かったのではありませんか?」
睨めつけるように、私はセラフィーナ様を見た。私の視線を受けて、セラフィーナ様が怯む。だけどすぐに、私の怒りの理由を推測したようだ。見当違いの理由を口にして、彼女はせせら笑う。
「ああ……ごめんなさい。あなたの気持ちをまったく考えてあげられなくて……。あなたには子供がいないから分からなかったのね」
眉を下げ、彼女は言う。
「ルンハルトのことについては、あれも、私の愛でしてよ? 子供を産んでいないあなたには、分からないかもしれないけれど、ね?」
「そうでしたか。それなら、哀れですわね」
「……何ですって?」
「アレを、母の愛だと言うのなら──一体、あなたはどんな幼少期を送られたのだろう、と不憫に思いました。一般的には、いえ、私には、虐待にしか見えませんもの」
「な……」
「ですが、失礼。それが、セラフィーナ様の愛だというのなら、セラフィーナ様は辛い幼少期を送られたということですわね。辛いことを思い出させてしまい、申し訳ございません」
その時、向こうからエラがやってくるのが見えた。なにか用事があって、離宮を出ていたようだ。彼女は私に気がつくと、次にセラフィーナ様に気がついた。眉を寄せると、静かにこちらに向かって歩いてくる。
そうしているうちに、セラフィーナ様付きの侍女が食ってかかってきた。
「無礼ですよ!! セラフィーナ様は第一側妃であらせられます。マリア様は第三側妃。誰よりも正妃に近いお立場であるセラフィーナ様になんという無礼な物言い……!」
「お前、誰に向かってものを話してるの?」
無礼なのはどちら、という話だ。
セラフィーナ様は、私と同じ側妃だ。側妃になったのが早いか遅いかの違いはあれど、序列はない。
私が、セラフィーナ様の侍女から叱責を受ける謂れはなかった。私は、モントヴァルト王国の王女だった人間だ。セラフィーナ様の侍女は、元王女だった私に、ずいぶん偉そうに振る舞うものだと思った。
私の視線を受けて、侍女が怯む。私はツイ、と顎を持ち上げて、目を細めた。親切心から忠告しているように──先日の彼女のように、優しい声を心がけて、セラフィーナ様に言った。
「セラフィーナ様。ルンハルト殿下のことはともかく、ご自身の侍女くらいはちゃんと教育された方がよろしくてよ。ご自身の品位に関わりますもの。ね?」
もっとも、彼女からしてみたらこれ以上ない屈辱だろう。
「先日、セラフィーナ様も私にご教授くださったでしょう? ですから、私からもひとつ、忠告ですわ」
恐ろし顔をするセラフィーナ様に、私は笑みを見せた。
「振る舞いには、お気をつけなさいませ」
つまり、これ以上の無礼は見逃さないというという警告だ。
セラフィーナ様は、屈辱のあまり震えていたが、やがて低い声で言った。
「よく、わかりましたわ」
その声を受けて、にこりと微笑んでみせる。
「あなたみたいな性格の悪い女、陛下がもっとも忌み嫌うものですわ……! あなたみたいなひとが、愛されるわけが無い。さっさとしっぽを巻いて自国に逃げ帰ったら!?」
姿の見えなくなった彼女に、ダリアが怒りを爆発させた。それに、私は苦笑する。
その後、私はルンハルト殿下が楽しみにしていたチョコレートを手に、離宮へと向かったのだった。
離宮に向かうと、ジェイムズが迎えてくれた。
エラは、やはり使いの途中だったらしい。タオルが足りてないと話した彼女は、城に取りに行く最中だったようだ。
元公爵令嬢であり、侍女の彼女にランドリーメイドのような真似をさせてしまい申し訳なく思う。落ち着いたら、報酬を出そう。
ルンハルト殿下は、サンルームにいた。
古びたソファにちょこんと座り、じっと何かを見つめている。考え込んでいるようだ。
本を読むこともなく、外で遊ぶこともなく、書き物をすることもなく、ただひたすら、ルンハルト殿下はじっとしていた。
それがなんだか、とても悲しげに見えた私はルンハルト殿下が私に気付く前に声をかけた。
「ルンハルト殿下。こんにちは」
本来は、ごきげんよう、と挨拶すべきなのだろうけれど、ルンハルト殿下には、こんにちは、の方がいいと思ったのだ。
ルンハルト殿下は、私に気がつくと嬉しそうに笑った。先程までの寂しげな表情は、もう消えている。
「マリア! きてくれたの?」
……いつも、ルンハルト殿下は『来てくれたの』と言う。来たの、ではない。来てくれたの、だ。
その言葉ひとつ取っても、彼がどれほど寂しく思っているのか、分かるものだと思った。
できれば、ずっとそばにいてあげたい。ルンハルト殿下が、寂しいと思わなくなるくらいに。
そうできるような環境を、そばにいられる状況を、用意したい。
ふたたび決意を強めた私は、ダリアから小さな箱を受け取った。リボンでラッピングされたブラウンの小箱を見て、ルンハルト殿下が首を傾げた。
「なぁにそれ?」
「ふふ。この前、チョコレートを食べてみたいと言っていたでしょう。だから、買ってきてもらったのです」
テーブルに置いて、リボンを解くよう伝える。ルンハルト殿下は興味津々といった様子で、たどたどしくリボンを解いた。パカ、と箱を開くと、現れたのはツヤツヤのチョコレート。
「何でも、王都で流行りのチョコレートだそうですよ」
ルンハルト殿下の隣に腰を下ろした私は、チョコレートを一粒摘んだ。ルンハルト殿下の口元に運ぶと、チョコレートを凝視しているルンハルト殿下の赤い目が内側によって、思わず笑ってしまう。くすくすと笑っていると、ルンハルト殿下がキョトンと首を傾げた。
「チョコレート」
「はい」
「チョコレート……!!」
よっぽど嬉しかったのだろう。ルンハルト殿下は目をきらきらと輝かせた。
ルンハルト殿下は、チョコレートを食べたことがないらしい。好きな食べ物の話になった時、ダリアがチョコレートが好きだと言うと、ルンハルト殿下は食べたことがないと話した。
そこから、今度買ってくるという話になったのだ。
ダリアが王都で買ってきたという流行りのチョコレートを、ルンハルト殿下はとても気に入ったようだ。
もぐもぐと口を動かして、ごくんと飲み込んだルンハルト殿下は、例えるなら宝物を見つけたような顔になっていた。砂をかき分けたら、中から金が出てきた、とでもいうような顔。
赤い目をきらきらと輝かせて、びっくりしたように口元を抑える。
「あまい……!」
「ふふ、たくさんありましてよ。こちらはどうかしら」
次に私が手に取ったのは、ラズベリーソースで固められたチョコレート。ルンハルト殿下は興味津々と言った様子で、じぃっと見つめている。
チョコレートを口元に運ぶと、おずおずと言った様子で、ルンハルト殿下が口を開いた。まるで、雛鳥のようだ。くすくす笑いながら、その様子を見守る。
ダリアがワゴンを押して、入室してきた。ポットと、茶葉が乗せられている。ダリアが紅茶を淹れ始めると、香り豊かな匂いに包まれた。
ルンハルト殿下はもぐもぐと懸命に味を確かめるようにしながら、ゆっくりとチョコレートを食べている。
「ねえ、マリア……」
しかし、急にその手を止める。
不思議に思って顔を覗き込むと、まん丸の瞳には涙が浮かんでいた。
「ルンハルト殿下……?」
「ぼく……いつまで、こうしてられる? いっしょに、いられるの? マリアと……」
私は、ルンハルト殿下の手を握った。
「一緒にいます。あなたが、もういいと言うまで」
「ずっと?」
ルンハルト殿下が、涙に濡れた目で私をみあげる。その質問に、一瞬言葉が詰まった。ずっと。その言葉に是と答えることは、正直難しい。それでも私は──笑みを浮かべると、ルンハルト殿下のちいさな体を抱きしめた。
「ずっと。あなたが、私と一緒にいたいと思ってくれる限り、ずっと」
「だっ……ダリアと! エラも!? ジェイムズも……アルヴィンも!?」
次々挙げられた名前に、思わずダリアとエラを見てしまう。ふたりも驚いたようで、目を瞬いている。ジェイムズだけは、嬉しそうに顎をかいていた。
ルンハルト殿下を膝に抱っこしながらダリアとエラを見ると、ふたりは柔らかな笑みを浮かべた。
「もちろん。いっしょ、ですよ」
エラが言って、小指を差し出す。
不思議そうな顔をするルンハルト殿下に、ダリアが思いついたように言った。
「ああそっか。エリセリュン王国では知られていないんですね。モントヴァルト王国では、約束する時に小指を絡めるんです。はい、殿下もどうぞ?」
ダリアも、小指を差し出した。
すると、侍女ふたりから手を差し伸べられたルンハルト殿下は目を白黒させていたが、やがて状況を彼なりに把握したのだろう。にこっと笑うと、突然ふたりに抱きついた。私の膝から落ちそうになって、ダリアとエラが慌てて彼を支える。ジェイムズも遅れて、こちらにやってきた。
「わあ! 危ないですよ! ルンハルト殿下!」
「どうなさったんです?」
ダリアとエラがそれぞれ尋ねる。
ルンハルト殿下は満面の笑みを浮かべて言った。
「ダリア、エラ……だいすき!!」
その言葉に、侍女ふたりは目を合わせ──照れたように笑う。ジェイムズが慌てたように「僕は!? 僕のことも、好きですよね!?」とルンハルト殿下に縋る。それを、ルンハルト殿下は嬉しそうに見て、コソコソと隠れるようにジェイムズに何かを耳打ちする。
それを聞いた途端、ジェイムズの顔が急に緩んだので──ルンハルト殿下が何を言ったかなんて、予想がつく。
きっと『ジェイムズ、だいすき』とか、そういうことを言われたのだろう。
(……ルンハルト殿下は、こんなに一生懸命生きている。愛されようとしている)
いつ見ても、いつまでたっても、不安そうで、心細そうにしている、ルンハルト殿下。その寂しさを取り除きたいと思うのは、過ぎた行いだろうか。それでも、私は私の願いのために動くのだけど。
五年、十年、二十年経った時。
ルンハルト殿下が成人して、大人になった時。この冷たい城を思い出した時に、苦々しい感情を抱いて欲しくない。
私にとって、姉様が私の希望だったように。
ルンハルト殿下にも、希望を持って欲しい。
僭越ながら、ルンハルト殿下を幸せにしたいと、そう思ってしまった。
気が付けば、ルンハルト殿下は眠ってしまっていた。甘いものを摂取したからだろう。子供特有のぷにぷにの頬が可愛らしくて、思わず笑みを浮かべてしまう。私に寄りかかるようにして眠るルンハルト殿下の重みがあたたかい。
柔らかくて、あたたかくて、純粋で、可愛らしい。
──ルンハルト殿下には、日向の当たる場所で、笑っていて欲しい。
私はゆっくりと、ルンハルト殿下の髪をすいた。