好きをいう前に君の声は風になる

第七話

先生がテレビを観始めて10分が経とうとしていた。

早く診察してよ

なんて、思うわけなかった。
先生が隣に座って、一緒にテレビを見るという今の環境が、幸せで仕方なかった。
一生このままでいい。このまま時間が止まれば、ずっと幸せでいられるのになぁ.......


コンコンコン


「すみませんっ!遅れました」
2人でテレビを見ている時間もあっという間。
「2人でテレビ?」
「あーすみません」
「いえいえ」
先生は立ち上がりながら佐野さんと会話を始めた。
「これでお願いします」
「了解です」
2人は治療のことを話していた。
全ての会話が医療用語で成り立っていたため、私は理解することどころか、耳を傾けることすら難しかった。
2人が話している間、立ち上がりベッドに移動した。毎朝の診察は、寝ているベッドの上でやる。
私がベッドに座ったタイミングで、先生が近くのパイプ椅子を持ってきて目の前に座った。
その顔つきは、やはりさっきとは全く違っていた。
「心音聞くね」
先生は自分の耳に聴診器をつけて私の心臓の音を聞いた。


トクン、トクン


心臓の音はいつもと変わらなかった。
平常に、静かに音を鳴らして生きていた。
「うわっ」
私は思わず声を上げた。
それは、病室に厳しい眩しさの太陽が部屋をいっぱいにしたからだった。
微妙に太陽に照らされている先生は、相変わらず綺麗な顔をしていた。
「う〜ん」
なんだか、いつもより長く聴診器を当てている気がした。いつもだったら数十秒足らずで終わってしまうのに。
私は、少しだけ焦りを覚えた。
何でこんなに長いの?
早く終わらないの?


何かがいつもと違った。


そんな中でも、太陽は容赦なく私たちを照らし続けた。
私は聴診器を使って私の心音を聞いている先生の手を見た。大きくて、包み込んでくれそうな手をしていた。
そして一言、先生が呟いた。
「白夜さん、もうちょっと詳しく検査しよっか」
「検査?」
「うん。少し心音に雑音が混ざってる。でも大丈夫。すぐ終わるから。」
「‥‥分かりました」
いつものように診察を終えて、いつものように食事をして、いつものように中庭に座って。今日も変わり映えのない日を過ごすのかと思っていた———
「大丈夫だよ!」
自分の肩が震えているのが分かった。
佐野さんは動きを止めて、私の横に立ってくれていた。
「あの、検査って、どのくらいで終わりますか?」
「20分くらいで終わるよ」
先生は優しい声で教えてくれた。
こんなにも優しくしてくれるのに、怖さが軽減することはなかった。
佐野さんの声も、先生の声も、鳥の鳴き声も、みんな優しいはずなのに。
声なんかで病気に対する恐怖は変わらなかった。
「車椅子持ってくるね」
佐野さんはそう言って部屋を出た。
「白夜さん。怖いのは分かるけど、すぐに終わるから。大丈夫大丈夫」
正面に座る先生は私なんかより落ち着いていた。
「そんなこと言ったって、何も変わりません」
私は発言した直後、随分と言いすぎてしまったと思った。
でも、もう引くことは出来なくなってしまった。
私は下を向いたまま、何も言わなかった。
目の前にいる先生のことなんて、絶対に見れなかった。
先生は今、どんな顔をしているのだろう。
「先生ー?準備おっけーです」
佐野さんが廊下から顔を出した。
これ以上お互いに、喋ることはなかった。


ガラガラガラ


私はベッドから立ち上がり、廊下に出た。
「空音ちゃん、ここに座って」
「ありがとうございます」
私はお礼を言って、車椅子に座った。
佐野さんの表情は、見ることはできなかった。
「それじゃ、行きますよ〜」
佐野さんの声が、耳にしっかりと届いた。
何となくだけど、後ろには先生も一緒にいる。
そりゃあそっか。
先生は、私の担当医なんだから。


ガタン


「今日は暑いね〜」
佐野さんが一人で話し始めた。これは、独り言?それとも、私や先生に対する言葉。
「そうですね」
とりあえず返答した。
病院内は朝なのに話し声で溢れていた。
私がいる4階の大広場では、多くの老人が看護師と話をしていた。顔にたくさんのシワを作ってみな、大きく笑っていた。


この階に10代は私だけ。


この光景はいやでも慣れちゃった。
「おーい!」
誰かの声が特に大きく響いていた。
誰かを呼ぶ声かな。
私はただ大きな声だな、と思いながら前を見ていた。
すると、佐野さんが車椅子を押すのを辞めた。私は不思議に思い後ろを振り返った。
そこには———


派手な杖をついたお爺さんがいた。

その人は、どこかで見たことがあった。
「君だよ君!」
私のことを指差しながら歩いてきた。
「あの‥‥どちらさ‥」
「山おじちゃんだ!覚えておるかい?」
「‥‥あぁ!山おじちゃん」
かつて、この階で会った入院している山おじちゃん。
検査で初めてこの病院に来た時、なぜかこの人に話しかけられた。特に前々から知り合いと言うわけでもないのに。
「どうしたんだい?」
山おじちゃんは歳を召しているはずなのに、驚くほど元気なのだ。
「今から検査に行くんです」
山おじちゃんは視線を私の方から先生や佐野さんの方に向けた。
「そうかそうか。頑張るんじゃぞ!」
私は山おじちゃんに向かって小さく頷いた。
そのまま車椅子は山おじちゃんの横を通り過ぎていった。
私は山おじちゃんの方を見るために振り返った。
すると、山おじちゃんは少しだけ微笑んでシワが溜まった手をゆっくりと上げて手を振ってきた。
その手は、遠目から見ても震えているのが分かった。
「空音ちゃん知り合い?」
「知り合いというか、この間話しかけられて」
「あの方いい人だよね〜」
私は佐野さんに、そうですね、と答えた。
対して、先生はいるのかってくらい静かであった。
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