Show Time!
Episode:Six ✩ 許された言葉
ピピピピッ、ピピピピッ、ピピ───。
響く目覚ましをほとんど意識がない状態で止める。
昨日は早くに起こされてしまったが、今日は予定通り6時に鳴る目覚ましで起きることが出来た。
アスカの学校の始業時間は9時。
学校にしては遅めの時間だが早起きが苦手なアスカにとっては丁度いい時間。それで6時起きは少々早すぎるが、元々この時間は当主の仕事を手伝っていたので、その習慣が染み付いているのだ。今でも自分に出来ることは任せてもらっている。もちろん全て自分で出来れば、それに越したことはないけれど。
力の入らない身体を無理やり起こし、前髪をかきあげる。春の日差しが弱々しくカーテンの隙間から覗いていた。春になったといってもまだ4月上旬。この時間は薄暗く、意識が浮上するのにも時間がかかる。それでもドアノブに手をかけたところでヘアピンの存在を思い出し、宝箱へと向かった。
今日もまた、星はアスカのそばで輝く。
***
「…いってまいります」
2時間後。
ガチャリと鍵を閉め、誰もいない屋敷に告げる。
鞄に鍵をしまうと髪を靡かせ歩き出す。
青薔薇の小道を通り、重たい門を最小限だけ開き外に出る。もう10年以上住んでいるため、音を出さないようにする術はわかっている。
ゆっくりと錠を回して振り返ると、桜風が髪とスカートを攫った。暗いグレーのブレザーとスカートは、裾が金糸で縁取られていて、胸元では藤色のリボンが揺れる。
高等部の制服に身を包んだアスカは、冬路姉妹に気づかれぬよう足早に学校へと向かった。
結局、昨日家に帰ったのは空が紅く染まり始めたころで、随分彼女たちを待たせてしまった。2人は出てきてくれてよかったと安堵の笑みを見せてくれたが、むしろアスカの方がどんな顔をして会えば良いか分からない。
だから普段2人が迎えに来てくれる時間よりも早く家を出ることにしたのだった。
「学校に着いたら、ちゃんと連絡しなきゃ…」
そこまで考えて、ふと立ち止まる。
冬路姉妹に気を取られていて忘れていたが、アスカが避けたい人物はもう1人いるではないか。
思考に呼応するように、左耳のピアスが揺れる。
細く繊細な円柱とひし形のパーツがあしらわれたこれは、もとは彼女らの父のものである。
彼らが戦場に赴く前に、悠希はアスカに、信士はサクヤにこのピアスを託していた。
この形見を大切に思っている気持ちは同じなはずなのに、どうしてすれ違ってしまうのだろう。
アスカは振り切るように頭を振ると、また歩みを進める。どちらにせよ、同じクラスなのだから会わないことなど不可能だ。ならば早い方がこの気まずさにも慣れるだろう。去年1年も、そうしたのだから。
浮かない顔のアスカに対して、この2時間ですっかり顔を出した太陽は眩しい。コートを着なくなって暫く経つが、頬を撫でる風はひんやりとしている。
住宅街を抜け、雑木林を横目に歩いていると突然目の前に桜色が舞い降りた。
顔を上げると校舎へ続く桜並木がアスカを歓迎していた。ついこの間までは一分咲きくらいだったはずなのに。朝日に透ける桜はとても綺麗で、何故か少しだけ心が痛んだ。
昇降口を通り靴を履き替えるとスマホを取りだし、冬路姉妹に先に登校するとメッセージを送る。
家から学校までは約15分ほどだ。アスカが教室に着くまでには追いつかないだろう。
朝早い学校は静まり返っていて、足音がやけに響く。
まだ今年度が始まってから1週間ほどしか経っていないからか、部活で早く登校する生徒もいないようだ。
1年の教室は4階。いつもなら憂鬱な長い階段も、今は心の整理をするのに丁度いい。
制服の上から首元に手を当てる。アパタイトから貰った“お守り”が佇む場所へ。
心は晴れないが、少しだけ勇気が貰える気がした。
登校中ずっと俯いていた顔を上げる。
グラキエスにもう一度会うためにも、やはり魔力を取り戻す方法を考えることが先決だろう。できることは全部試したはずだが、それでも諦められない理由ができてしまったから。まだこの重荷を下ろせそうにない。
「───ぁ」
踊り場に差し掛かるという時、不意に感じた“深紅の気配”。
それが何かを理解すると同時、アスカは急いで階段を下ろうと振り返り。
「逃がすか…っ」
手首を捕まれ、引き戻された。
緩んだ右手から、ドサリとカバンが落ちる。
アスカが彼の気配を感じたように、彼もまたアスカの気配を感じとったのだろう。
会いたくないと願ってい人に、こんなに早く、しかも2人きりで出会ってしまうなんて。
せめてもの抵抗として、顔は背けたままで声を上げる。
「離して」
「嫌だ」
間髪入れずに告げられた拒否に、思わず彼の方を見てしまった。それだけサクヤからの否定の言葉は珍しかったから。
「離したら逃げるだろ」
「だって、昨日あんなこと言ったのよ。合わせる顔なんて…」
「そんな顔、俺には必要ないだろ」
何かをこらえるような声。
痛みを押しこめた、泣きそうな。
掴まれた手が少しだけ緩む。
「なぁ、お前はいつになったら“当主の仮面”を取ってくれる?いつになったら、俺は“アスカ”に会える?」
潤むサクヤの瞳を、驚きの目で見つめる。
震える呼吸が空気に溶け、口篭る。
「私は…ずっと、私よ」
「そうだよ。アスカはずっとアスカだ、それはわかってる。でも俺が知りたいのはそうじゃない…っ」
歪められた顔に、胸が締め付けられる。
わかっている。サクヤが求めていることも、願っている言葉も。アスカの叫びを待っているのも。
「教えてくれ、アスカ。どうして俺を頼ってくれない?どうして魔術師を避ける?」
次々に投げかけられる疑問。
この1年間、わけがわからないままアスカに避けられたサクヤも流石に我慢の限界なのだろう。
それとも、昨日の叫びを聞いたから遠慮しなくなっただけだろうか。
「アスカが俺じゃなくて“魔術師”を頼れないっていうのなら、俺は魔術を捨てたっていいんだ」
これにはアスカも驚きの声を上げる。
魔術を捨てるということはつまり、これまでの人生を捨てるのと同義で。サクヤが当主を継ぐためにどれだけの努力をし、様々なものを犠牲にしたことを、アスカは知っている。まして今のサクヤは魔術師のトップ。簡単にその役目から逃れられるわけが無い。
「そんな、こと…許されるわけない。だってサクヤは湊ノ家の当主なのよ…!」
「当主、か。昨日の見ただろ。あれが今の俺の、湊ノ家当主の現状だ」
「それは…」
会議の際、魔術師が放った言葉。
それを否定したのは、他でもないアスカだ。
サクヤが魔術師に当主として認められていないことは嫌でもわかってしまう。
「でも、それはサクヤが“依代”に反対しているからでしょう?なら、私を差し出せば認めてもらえる」
魔術を捨てさせないために、とにかく口を開く。
自分の身を差し出せばサクヤの役に立てると浮き足立ったのも束の間。
腕を掴む手に力が入れられ、思わず顔を顰める。
「自分が当主として認められるためにアスカを差し出す?…そんな可能性は万一にもない」
冷えた声に背筋が凍る。
この言葉には有無を言わさぬ迫力があった。
「俺は、お前を守るためならなんだってする。魔術を捨てたら、また前みたいにお前が頼ってくれるっていうなら喜んで捨てるよ」
行き過ぎた献身だ、と胸が痛む。
自分にはそんなに想われる価値なんてないと、アスカは自分自身を否定していた。
「どうして…どうしてみんな、私を守ってくれるの…?私には、守られる価値なんてないのに」
ゆるゆると首を振る。
誰の目から見ても、切り捨てるべき存在だ。それなのに、誰もアスカを見捨てない。
理由が、分からない。
アスカだけが、わかっていない。
「守られる価値…か」
どうでも良さそうに発された言葉。
サクヤは踊り場の窓の方を向くと、光に目を細めた。
「そんなもの、必要ないだろ。アスカが好きだから、大切だから守る。それだけ」
当たり前のことのように。なんてことないことのように。サクヤはそう言い切った。
小さく息を飲む音が響く。
アスカの手が震えているのに気が付いたサクヤは、視線を彼女に戻す。そして僅かに頬を染めた姿を見て、目を見開いた。
「それだけの、ために…?そんな理由で、魔術師を敵に回すようなことしたり、魔術を捨てようとしたりしてるの…?」
「そんな理由なんて言わないでよ。俺にとっては大切なことなんだ」
サクヤは手の力を抜くと、そのままアスカの手を握り、親指で優しくその背を撫でる。
そして愛おしげな眼差しでアスカをじっと見つめた。
「なぁ、アスカ。どうしても、俺じゃ力になれないか」
伺うように、緩く首を傾げる。
その声が、言葉が、どうしようもなく温かくて。
震える唇が、無意識に言葉を紡いだ。
「お父様が…おっしゃったの」
突然の告白に、サクヤは驚きの声を零す。
「『もう魔術師には関わるな』って。戦場へ向かう前に」
「“あの”悠希様が、そんなことを…?」
サクヤは訝しげに眉を寄せた。
もちろんサクヤも悠希と面識がある。
それどころか信士と悠希が親友なことも知っているから、どれだけ魔術師に理解がある人物かもわかっている。それだけに、悠希からそのような言葉が出たことが信じられなかった。
「…あくまで、私の推測だけど」
顔を傾け、右手でピアスをシャラリと音を立てて弄ると、サクヤの視線もそちらに向いた。
「お父様は、分からなくなっていたんだと思う」
「分からなくなってた…?」
「そう。ずっと信士様は、私の“依代”化に反対してくださっていた。でも、突然敵になってしまった。それがどうしてか分からなくて、悲しくて。だからあんなことを言ったんだと思う」
ぁ、と小さく呟かれた吐息は、罪の意識を孕んでいた。
「そうだとしたら、俺のせいだ」
「え…?」
「お父様が“依代”化に反対できなくなったのは、俺やお母様を人質に取られたからだ。だからお父様は、お爺様の言いなりになるしかなかった」
今度はサクヤの手が震える。
当時のことを思い出したからかもしれない。
肌を刺す空気、周りからの視線、美喜からの圧。
サクヤにとっては嫌な記憶だ。
「お父様が、悠希様やお前が苦しんだのは…俺のせいだったんだね」
ごめん、と掠れた声で呟く。
アスカは急いで首を振ると、その謝罪を否定した。
「ちがう、サクヤのせいなんかじゃない…!私が、勝手に…」
勢いに任せて発した言葉が止まる。
眉を下げて、まだ申し訳なさそうな顔をするサクヤを見つめて、見つめられなくなってしまった。
「私が勝手に、お父様の言葉を理由にしてただけ。…本当はわかってた。あれがお父様の本心ではないことくらい」
目を伏せる。
アスカがサクヤを頼れなかった理由は、“魔術師だから”ではない。本当の理由は。
「頼りたくなかったの。頼ったら、もう私は1人で立てなくなっちゃうから」
「…え」
「な、なによ。その反応」
「いや、だってお前…」
呆れというか、拍子抜けというか。
サクヤの表情から緊張が抜けた。
一方でアスカは必死に言葉を紡ぐ。
「だって、サクヤはいっつも私を甘やかして、助けて…。それだけでも私はサクヤに頼りっぱなしなのに、魔力のない状態で同じようにされたら…」
アスカの瞳が潤む。
泳ぐ視点はやがて場所を定め。
「私は、サクヤ無しじゃ生きられなくなっちゃう…」
この世の終わりのような、どうしたら良いかわからないような、複雑な表情でそう言った。
サクヤの優しさを、力をわかっているからこそ、1度頼ってしまえば彼に依存してしまうことが目に見えた。
自分は魔法師の当主である。だから誰にも頼ってはいけない。今の状態がそもそもお荷物なのだから、これ以上周りに迷惑をかけてはいけない。
アスカの胸にある感情はそんなものばかりだった。助けてもらえばもらうだけ、罪悪感が募るのだ。
「じゃあお前は、俺が嫌いになったから頼らなくなったわけじゃ…ないんだな」
「嫌いになんて、なれるわけないよ」
疑う暇もなく返された言葉に、サクヤは震える息をつく。それが安堵を色濃く示していた。
「なんだ…そうだったんだ」
頭を抱え、力なく笑うサクヤ。
心配になったアスカは、その顔を覗き込もうとして。
「あっ───」
勢いよく抱きしめられた。
無造作に投げ捨てられた鞄が、しかし綺麗に階段に立てかかる。
「ちょ、ちょっとサクヤ!ここ学校…!」
「結界張ってあるから大丈夫。っていうか、学校じゃなかったらいいの?」
「屁理屈言わない…!」
何度か身じろぐが、サクヤが離してくれる様子は無い。それに加え、人の温もりが心地よくて、徐々にアスカも抵抗するのを辞めた。
「それじゃあ、俺ももう遠慮するのはやめる」
耳元で優しく言葉を紡ぐ声は、安心と嬉しさを含んでいて、とても温かかった。
「俺は、またアスカのそばにいたいよ。だから、アスカも1人で頑張るのはやめにしよう」
繋いだままの手の温もりが、穏やかに響く心音が、腰に回された腕が。全てが心地よくて。
「充分頑張ったよ。アスカが認めなくても、俺が断言する。アスカはもう充分苦しんだし、頑張ったんだ」
凍りついた心が、ゆっくりと溶けていく。
絡まった鎖が、ひび割れていく。
「だから、助けてって…言っていいんだよ」
見開いた目から、涙があふれる。
いいのだろうか、助けを求めて、誰かに頼って。
ブレザーの裾を握りながら、アスカは顔を上げる。
目が合うと、サクヤは穏やかに、肯定するように微笑んだ。
それだけで、充分だった。
「私…もう、どうしたらいいかわからないの…」
涙が混ざる、震える声で。
ずっと言えなかった言葉を、空気に乗せた。
「お願い…助けて…っ」
その瞬間、氷が割れたような音が響き、辺りが青白い輝きに包まれた。宙に細かく浮かぶ結晶は、窓から差し込む光を反射して細く線を作る。
2人は体を離し、驚いたように周りを見回す。
空間に満ちた冷ややかな魔力は、2人のよく知るものだった。
涙で潤んだ瞳に、アスカが待ち望んだ姿が映る。
「う、そ……っ」
氷の靴、サファイアの輝きを纏うスカート、エルフを思わせる耳に白銀の髪。
足元から氷が人型に固まり、軈て少女になる。
ゆっくりとまぶたを開けると、氷の瞳が姿を現した。
濡れる頬を必死に拭うと、アスカはやっとの思いでその名を呼んだ。
「グラキエス……!!」
名を呼ばれた少女は、アスカを瞳に映すと僅かに表情を緩めた。
「お久しぶりです。アスカ様」
彼女こそがアスカの神霊・グラキエスだ。
魔力が封印されているアスカが、どれだけ会いたいと願っても会うことが出来なかった存在。
そのグラキエスが、目の前にいる。
「会いたかった…ずっと、私…っ」
「はい。私もずっとお会いしたいと思っていました」
「どうして出てこれたの…?ずっといなかったのに」
「…手を、出して頂けますか」
一瞬の沈黙の後に、グラキエスは両手を差し出す。
それに重ねるように手を差し出すと、そこから魔力が流れ込んできた。アスカが本来所持している魔力量には到底満たない、頼りなく細い魔力。
それでも、1年間魔力が全くなかった身体に流れを感じ、喜びに震えた。
「今お渡しできるのはこれだけです。私が解放された分の魔力をお返ししました」
「魔力が…戻った…」
驚きに呆然とするアスカに、グラキエスは矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「あまり時間が無いので手短にお伝えします。アスカ様の魔力が封印されたのは、アスカ様自身の力によるものです。アスカ様は心にいくつもの鍵をかけ、一緒に魔力をも封印しました。今回魔力が戻ったのも、私を封印していた鍵が外れたからです」
「心に、鍵…?でも私、そんなことした覚えは───」
「魔力を取り戻すためには、鍵を外すしかありません。その先に、アスカ様が感じている違和感の答えがあるはずです」
わけがわからず問いかけようとしたアスカは、グラキエスの身体が消えかかっていることに気がついた。
「グラキエス、身体が…!」
「私もまだ、完全に力を取り戻したわけではありませんので、表に出ているのはこのぐらいが限界でしょう。申し訳ありませんが、少し眠ります」
「待って!まだあなたと話したいことが…!」
アスカの言葉が終わらないうちに、グラキエスは完全に姿を消してしまった。
それと同時に、辺りに満ちていた魔力が消える。
嗚咽を必死に堪えるアスカの肩を、それまで傍観していたサクヤが抱いた。
「大丈夫。深呼吸して」
柔らかな声音に、震えながら息を整えようと試みる。
なかなか思うようにはいかなかったが、何度か繰り返すうちに息が吸えるようになっていった。
「簡単な魔法、使って見せてくれる」
落ち着くのを待ってかけられた言葉に、ぎこちなく頷く。
本当に魔力が戻っているのか。
魔法が、使えるのか。
不安が渦巻く中、振り切るように大きく息を吸い込むと、力の籠った声で唱えた。
「[風よ]…っ!!!」
瞬間。
鋭い突風が2人の周りを通り過ぎた。
バタバタとはためく制服を横目に、震える唇で喜びを紡ぐ。
「本当に…使えた…」
まだ信じられないのか両手を凝視するアスカ。
そんなアスカよりも喜びに顔を綻ばせたサクヤは、再度アスカを抱きしめると、噛み締めるように呟いた。
「よかったな…アスカ」
その言葉で、漸く実感を得る。
魔力が戻った。戻ったのだ。
脳がそれを理解すると、次から次へと涙が頬を伝い、アスカはサクヤの胸の中で泣き続けた。