営業部の穂積先輩は今日も不機嫌で困る
 ◇

「いくぞ」

 穂積先輩に声を掛けられ、エレベーターで上層階に上がる。
 企画部にいた頃、商品会議でプレゼンをする自分をよく夢見ていた。
 ここで発表できるのは、企画部でもエース格とされるベテランだけだ。
 プランナーとして立ちたいと思っていた場所に、なぜか営業になって関わるのは皮肉だけど、楽しみでもあった。
 いつか企画部に復帰したとき、この経験はきっと無駄にならない。

 会議室へ向かう途中、廊下の角を曲がったところで、見覚えのある後ろ姿が視界に入った。
 ……浦沢さんだ。その姿を目にして、足が止まりかけた。
 けれど、わたしの目を引いたのは、その隣に立つ男性の方だった。

 矢田航平。
 企画部にいた頃、同じチームで働いていた人。
 そして半年前まで恋人だった人。

「浦沢、そこの資料、順番逆」
「え、ほんとですか?」
「こっちの方が通りやすい。前に鮎川がよくやってただろ」

 矢田さんは、そう言って浦沢さんの手元の資料を軽く整えた。その距離の近さに、なぜかぎくりとした。
 仕事の話をしているだけだと、頭ではわかる。
 けれど、浦沢さんが彼を見上げて笑う表情が、妙に馴染んで見えた。
 
「うまく行くといいんですけど……」
「プランナーデビューだもんな。応援してるから、頑張れよ」

 二人の関係を唐突に理解したとき、耳が、聞きたくない言葉を拾った。

 ……嘘でしょ? 今日のプランナー、浦沢さんなの……。

 それは、二人の距離感を見せつけられたこと以上に、わたしを揺さぶった。
 一瞬だけ動揺して、そんな自分に喝を入れる。

 ……気にしちゃだめだ。
 そう思っても、視線が勝手に二人を追ってしまう。
 間が悪いことに、浦沢さんがこちらに気づいた。矢田さんのスーツの袖口を少し引っ張り、一拍遅れて、彼もこちらに目を向ける。
 その顔は、どこか気まずそうだった。対照的に浦沢さんはわざとらしいほどの笑顔だ。

「……お久しぶりです、鮎川さん」

 甘く、柔らかい声だった。
 だけどその視線は、わたしの顔ではなく、スーツへと向けられる。

「……お似合いですね、その格好」

 軽く微笑んでそれだけ言うと、浦沢さんは何事もなかったみたいに視線を外して会議室へ入っていった。それに続くように、矢田さんも何も言わずに去って行く。
 呼び止める理由も、言い返す言葉も見つからないまま、手帳を持つ手にぎゅっと力を込める。

「余計なことを考えるな」
「……え?」

 穂積先輩に急に声を掛けられて、顔を上げた。彼はいつもと同じ不機嫌そうな顔で、淡々と告げた。

「その顔で会議に出る気か?」

 恥ずかしさに、耳まで熱くなった。
 どんな顔をしているのかわからないが、頬に手を当て表情を引き締める。

「すみません。切り替えます」
「そうしてくれ」

 小さく息を吐いて、会議室の扉に手を掛けた。
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