営業部の穂積先輩は今日も不機嫌で困る
 会社のエントランスを抜けて外に出ると、春先の空気がひんやりと頬に触れた。そのまま通りに出たところで、穂積先輩が手を上げる。
 ほどなくして停まったタクシーの後部座席に、先に乗り込むよう視線で促された。

 ぎこちなく体を滑り込ませると、続いて穂積先輩が隣に乗る。
 ドアが閉まる音がやけに大きく響いて、密閉された空間に一気に意識が向いた。
 気を抜けば肩が触れそうで、息が浅くなる。
 そんな自分を気付かれたくなくて、そっと身体をドア側へ寄せた。

「五丁目のSKビルまでお願いします」

 タクシーが走り出す。
 窓の外に流れていく街並みを眺めながら、膝の上に置いた資料にそっと手を添える。
 沈黙が気まずい。話しかけた方がいいのか、それとも黙っているべきなのか判断がつかない。

「緊張してるなら、そのまま黙ってろ」

 頭の中を読まれたような言葉に、思わず顔を上げた。

「え?」
「下手に喋って空回りするくらいなら、思考を整理してた方がマシだ」
「……はい」

 図星を突かれて、返す言葉がない。
 でも、その言い方は突き放すようでいて、やるべきことを指し示しているだけだった。

 視線を落として資料を開く。
 試食と体験を軸にした新商品の発表イベント。
 競合比較のページを開き、それぞれの強みと提案傾向を頭の中で並べ直した。

「……今回、競合は三社ですよね」
「そうだな」
「それぞれ実績重視、SNS特化、低コスト提案型」

 資料を見ただけでも、方向性がばらばらなのがわかる。

「で?」
「……前回施策の効果が見えづらかったことを気にしているなら、うちは派手さより、成果を説明しやすい提案で行くべきだと思います」
「……まあ、そんなとこだな」

 短い返答。けれど否定はされなかった。
 それだけで、少しだけ肩の力が抜ける。

「ただ」

 穂積先輩が、窓の外を見たまま言葉を継ぐ。

「表に出てる要望と、本当に困ってることが一致してるとは限らない」
「……え?」
「向こうが何に困ってるのか、自分の目で見て判断しろ。それが今日のお前の課題だ」

 それだけ言って、穂積先輩はまた黙った。

 ……クライアントが何に困っているのか。
 資料に書かれている以上のことを、どうやって読み取るのか。

 答えはわからない。
 でも、わからないままでも、見抜く努力をするしかない。
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