営業部の穂積先輩は今日も不機嫌で困る
 目的地の少し手前で降車し、ビルへ入る直前、穂積先輩がネクタイを整える。
 それだけで、空気が切り替わった。
 受付を済ませ、案内された会議室に通される。
 ガラス張りの壁越しに、慌ただしく動く社員たちの姿が見えた。

「少々お待ちください」

 そう言って案内してくれた女性が席を外すと、静かな空気が落ちる。

 長机の片側に並んで腰を下ろした。
 資料を取り出して膝の上に置いたとき、姿勢良く隣に座った穂積先輩が小さく言った。

「無理に喋るなよ」
「……はい」
「聞いて、考えろ。それで十分だ」

 それだけ言って、視線を正面に戻す。
 ドアが開く音がして、年配の男性が二人、入ってきた。

「お待たせしました。営業企画部の佐伯です」
「同じく、真鍋です」

 穂積先輩は立ち上がり、無駄のない動きで名刺を差し出した。

「株式会社エッジコアの穂積です。本日はお時間ありがとうございます」
「営業部の鮎川です。本日はよろしくお願いいたします」

 軽く頭を下げながら名刺を差し出す。
 指先が少しだけ震えたのは、気づかれていないはずだ。
 席につき、簡単な挨拶を交わしたあと、佐伯さんが口を開いた。

「前回の施策で、社内から効果が見えづらいという声が多く出まして」

 佐伯さんの言葉に、穂積先輩はすぐには返さなかった。少し間を取って、ゆっくりと話しかける。

「……前回は、現場の反応自体は悪くなかったんじゃないですか?」

 その一言に、佐伯さんが少し目を見開く。

「……ええ。来場数も満足度も悪くありませんでした」
「でも社内評価には繋がらなかった。……ということですよね」
「そうなんです。役員報告で、具体的な成果が説明しきれなくて……」
「現場と決裁の評価軸にズレがある、と」
「その通りです」

 穂積先輩は静かに資料へ手を伸ばした。

「今回は、盛り上がりよりも、はっきりとした成果予測を数字で見せるべきですね。資料請求でも、購入意向でもいい。上に説明できる材料がないと承認が得られない」

 押しているわけじゃない。
 なのに、会話の流れが少しずつ穂積先輩の方へ傾いていく。

「……ただ、その数字って、実際どのくらい精度が出るものなんでしょうか」

 真鍋さんの問いに、反射的に資料をめくる。

「あのっ。……こちら、昨年の類似案件なんですが」

 付箋を貼ったページを差し出すと、穂積先輩が一瞬だけ視線を落とした。

「……ああ、この案件か」

 グラフを指先で示す。

「ここ、時間帯で数字が偏ってますよね。来場直後より、一度比較検討に入った方が商談化率が高い」

 そこを指摘するのか、と、思わず息を呑む。
 わたしも同じ資料を見ていたはずなのに、穂積先輩とは見えているものが全く違う。

「導線を組み替えれば、改善できる可能性は高いと思います」
「……なるほど。この内容は使えそうですね」

 最初にあったクライアントとの距離が、気づけば少しだけ縮まっていた。

 営業は、押しの強い人の仕事だと思っていた。
 けれど穂積先輩がやっているのは、相手の事情をほどいて、通る形に組み替えていく。

 それが、穂積拓真という人の戦い方だった。
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