営業部の穂積先輩は今日も不機嫌で困る
 ◇

 ビルを出ると、昼の光が思ったよりも眩しい。細く息を吐き出すと、さっきまで張りつめていた身体の軸が、ようやく少し緩んだ。

「……お疲れ様でした」

 ようやくそれだけ言うと、穂積先輩は短く頷いた。

「ああ」

 歩き出す背中を追いながら、頭の中で商談のやり取りを反芻する。
 あの一言で空気が変わった。あの間の取り方。あの資料の使い方。
 同じ場所にいたはずなのに、見えていた景色が違いすぎた。

「昼飯の時間だな」

 不意に言われて、思考が途切れる。

「好き嫌いはあるか?」
「いえ、なんでも食べます……」
「なら、あの店でいいか」

 それは質問というより断定だった。
 黙って穂積先輩の後に続き、通りの角にある小さな店の暖簾をくぐる。
 カウンターと二人掛けのテーブルがいくつか並ぶ、昼時で賑わう定食屋だった。

 焼き魚と揚げ物のどこか気が抜ける匂いに、急にお腹が空いてくる。

「お好きなお席をどうぞ」

 店員のかけ声に、穂積先輩が無言で壁際の空いた席に座る。
 向かいに腰を下ろしながら、壁のメニューに目を走らせていると、鋭い声が飛んできた。

「悪いが、次があるから三十分でここを出たい」
「あ、はい。えっと……じゃあ、日替わりで」
「同じで」

 注文を終えると、少しだけ間が落ちた。
 なぜか不意に、この人と一緒につくねを食べた夜のことを思い出す。
 ……だけど、それを口にするのは憚られた。
 穂積先輩の中であの時間はとっくになかったことになっているに違いない。
 特に根拠はないけど、そう思うから。

「……さっきの」

 先に口を開いたのは穂積先輩だった。

「資料出したタイミング、悪くなかった」
「え?」
「質問が出た直後に出しただろ。あれは遅いと意味がない」

 あまりにも淡々とした口調で、褒めているのかどうか、判断に迷う。

「……お役に立てたならよかったです」
「そこまでは言ってない。悪くなかっただけだ」
「……あの、人を褒めると病気になる呪いとか持ってます?」
「は?」
「いえ、なんでもないです」

 この人と話していると、ときどきどうしても何かを言い返したい気持ちになるのはなんでだろうか。
 
「……持ってねえよ」

 思っていたより幼い言い方に、思わず瞬きをする。
 穂積先輩は気まずそうに視線を逸らしたあと、すぐに表情を引き締めた。
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