営業部の穂積先輩は今日も不機嫌で困る
「……そっちこそ」

 穂積先輩は、視線を逸らさないまま返す。

「たまには現場に顔出しすることがあるんだな」

 男性は薄笑いを浮かべ、軽く顎をしゃくる。

「来月の大型案件、うちがメインで押さえてる。……お前が中途半端に投げた仕事は、全部俺が拾わせてもらった」

 その棘が混じった物言いにも、穂積先輩は何も言わない。
 わずかに視線が揺れて、すぐに元に戻る。

「……そうか。じゃあ、次があるからこれで」

 興味なさそうな声でそう言うと、穂積先輩がわたしと視線を合わせた。
 一瞬、何かを言いかけて、やめたように見えた。けれどすぐ、いつもの愛想のない顔に戻る。
 
「……行くぞ」
「あ、はい」

 彼らには目もくれず、穂積先輩が踵を返す。

「……待って!」

 女性が背中越しに声を掛けた。
 彼女はこちらまでつかつかと歩いて回り込み、バッグから名刺ケースを取り出す。名刺の裏に何か走り書きをして、それを先輩に渡そうとした。
 
「お願い。連絡して。話がしたいの」

 彼女の顔はどこか必死だった。けれど、穂積先輩は短く一言。

「今さら話すことは何もない」

 そう言って、さっさと歩き出してしまう。そのスピードに出遅れたわたしと、女性の視線が絡むと、彼女は困ったように眉を下げた。
 
「応和企画の音羽(おとわ)と申します」
 
 さらっと出てきた社名に、思わず息を呑む。
 ……業界最大手の企画会社だ。そこが先輩の古巣ということだろうか。

「もしよければ、名刺を頂けますか?」
「えっと……」

 この場合の正解がわからず、思わず固まってしまう。本来なら競合他社との名刺交換はよくあることだが、穂積先輩がどう思うのかわからない。

「鮎川!」

 わたしがついてこないことに気づいたのか、少し先を歩いていた穂積先輩が大声でわたしを呼んだ。

「早く来い!」
「あ、はい! ……あの、すみません。もう時間がないので」

 頭を下げて彼女から距離を取ろうとしたとき、強引に手の中にさっき穂積先輩が拒否した名刺を押しつけられた。

「これを拓真に渡して」

 ……拓真。この人と先輩は一体どういう関係なのか、思考が止まりそうになる。

「お願い。捨てられても構わないから」

 その必死な様子に、返事ができなかった。音羽さんは、その隙にわたしから手を離し、「ごめんなさいね」と一言だけ残して去って行った。

 手の中の名刺は、ただの紙切れ一枚なのに、なぜか重く感じた。
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