営業部の穂積先輩は今日も不機嫌で困る
すべての予定を終え、建物の外に出ると、すっかり夜だった。初夏の温い風が頬を撫で、浅くなっていた呼吸にようやく余裕が戻る。
「今日はもう直帰でいいけど、鮎川は路線なんだっけ?」
「JRです」
「最寄り駅は?」
わたしが答えると、穂積先輩が「ああ……だからか」と納得したように頷いた。
「何の話ですか?」
「いや……だからあの日、紬にいたんだな、と思って」
「……っ」
なんとなく、その話はお互いの間でタブーなのかと思っていた。
だから今日まで一度も口にしなかったのに、情報解禁とばかりにあっさり話題にされると返答に迷う。
穂積先輩が腕時計を確認してから、わずかに表情を緩めた。
「このあと特に予定がないなら、飲みに行くか?」
「え?」
「俺の自宅は、隣駅だから。紬からなら徒歩十五分もかからない」
「そうなんですね……」
「で、行く? 無理には誘わねえけど」
「行きます。あ、つくねは食べませんけど」
わたしがそう答えると、穂積先輩がにやりと笑った。
それは、あの夜のタクマさんとまったく同じ表情で、なぜかわたしの胸が、小さく音を立てた。
穂積先輩が引き戸を開け中に入ると、榊さんの声が聞こえてきた。
「お、久しぶりだな。……あれ? 美月ちゃんも一緒?」
「お久しぶりです」
紬に来るのは、あの夜以来だ。
最初は引き継ぎで忙しかったからだけど、営業部に異動してからは、穂積先輩に会わないように避けてきた。
「おい、カウンターでいいか?」
「あ、はい。もちろんです」
端の方の席に腰を下ろす穂積先輩に続き、その隣に座る。以前と違って、こんなふうに肩の触れそうな距離にいることが、なぜか落ち着かない気持ちになる。
榊さんはおしぼりとお通しをカウンターに置きながら、わたしと穂積先輩を交互に見比べた。
「え? もしかして知らない間に二人、付き合い始めた?」
「ばーか。こいつは職場の後輩だ」
「そうなの?」
榊さんがわたしの顔を見るので、曖昧に笑いながら頷いた。
「今日はもう直帰でいいけど、鮎川は路線なんだっけ?」
「JRです」
「最寄り駅は?」
わたしが答えると、穂積先輩が「ああ……だからか」と納得したように頷いた。
「何の話ですか?」
「いや……だからあの日、紬にいたんだな、と思って」
「……っ」
なんとなく、その話はお互いの間でタブーなのかと思っていた。
だから今日まで一度も口にしなかったのに、情報解禁とばかりにあっさり話題にされると返答に迷う。
穂積先輩が腕時計を確認してから、わずかに表情を緩めた。
「このあと特に予定がないなら、飲みに行くか?」
「え?」
「俺の自宅は、隣駅だから。紬からなら徒歩十五分もかからない」
「そうなんですね……」
「で、行く? 無理には誘わねえけど」
「行きます。あ、つくねは食べませんけど」
わたしがそう答えると、穂積先輩がにやりと笑った。
それは、あの夜のタクマさんとまったく同じ表情で、なぜかわたしの胸が、小さく音を立てた。
穂積先輩が引き戸を開け中に入ると、榊さんの声が聞こえてきた。
「お、久しぶりだな。……あれ? 美月ちゃんも一緒?」
「お久しぶりです」
紬に来るのは、あの夜以来だ。
最初は引き継ぎで忙しかったからだけど、営業部に異動してからは、穂積先輩に会わないように避けてきた。
「おい、カウンターでいいか?」
「あ、はい。もちろんです」
端の方の席に腰を下ろす穂積先輩に続き、その隣に座る。以前と違って、こんなふうに肩の触れそうな距離にいることが、なぜか落ち着かない気持ちになる。
榊さんはおしぼりとお通しをカウンターに置きながら、わたしと穂積先輩を交互に見比べた。
「え? もしかして知らない間に二人、付き合い始めた?」
「ばーか。こいつは職場の後輩だ」
「そうなの?」
榊さんがわたしの顔を見るので、曖昧に笑いながら頷いた。