営業部の穂積先輩は今日も不機嫌で困る
「ありがとうございます」
「……そういえば、鮎川さんは穂積が指導員だったんでしょ?」
「そうです」
「どう? やりづらくない?」
「え?」
「いや、あいつ厳しいだろ。悪い意味じゃなくてさ」

 グラスを軽く揺らしながら、長谷部さんは続けた。

「第二営業はもう少し自由にやれるよ。いろいろ試しながら、自分で判断していく感じだから。もしあいつの下が負担になりそうなら、いつでもこっちにおいでよ。うちは歓迎するから」
「えっと……でも、そんな簡単に部署異動なんてできないですよね?」
「いや、営業部内なら辞令は要らないよ。実際、人間関係の合う合わないでトレードが入ることはあるから」
「そう、なんですね……」

 少しだけ返事に詰まった、そのときだった。

「鮎川」

 低い声が割り込んできて、振り返ると、穂積先輩がすぐ後ろに立っていた。

「……今、いいか」
「え……? あ、はい。……失礼しますね」
「うん、困ったらいつでも言って」

 苦笑交じりの言葉を置いて去っていく背中を、少しだけ目で追ってしまう。

「何か急ぎの件ですか?」

 穂積先輩に向き直りながら訊ねる。
 けれど、返ってきたのは短い言葉だった。

「いや」
「……え?」
「……人の多い場所で、隙を作るな」
「隙なんて、作ってないと思いますけど……」

 実際、どこにも行く場所がなくて、壁際からほとんど動いてさえいない。
 思わず言い返すと、穂積先輩はそれ以上何も言わず、短く「戻るぞ」とだけ言った。
 その背中を追いながら、滅多に見せない穂積先輩の理不尽に首を傾げる。
 ……なんだかいつもの先輩らしくない。
 心のどこかに引っかかりを覚えたけれど、口にはできなかった。
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