営業部の穂積先輩は今日も不機嫌で困る
「毒されてはいません。現実を知っただけです」
「現実……ね。まあ、いいや。あのさ、今度ゆっくり食事に行かないか?」
「は?」
「情報交換も兼ねて。企画にいないと入ってこない話、いろいろあるだろ。俺も営業の話を聞きたいし」
「はあ……」

 正直、今更この人と話したいことなんて何もない。
 それが仕事の話であっても、二人きりは論外だ。断ろうと開いた口を、矢田さんの言葉が遮る。

「返事は急がなくていいけど、もし時間があれば考えておいて」

 そう言うだけ言って、矢田さんはこちらの返事を聞く前に去って行った。

「……なんなの、あれ」

 食事なんてあり得ない。今更向かい合って話し合うことなんて何もないし。
 そんなことを思いながら角を曲がったところで、誰かの肩と真正面からぶつかりそうになった。

「……っ」

 慌てて足を止め、顔を上げると、目の前に穂積先輩が立っていた。
 不機嫌そうな表情はいつものことだけれど、今日はそれに輪を掛けて、怒っているように見えた。

「あ……ごめんなさい」
「いや、こっちこそ」

 そう答えるのに、穂積先輩はその場から動こうとしない。わたしは会釈して、その横を通り過ぎようとした。ところがすれ違いざまに、先輩が「さっきの……」と会話を続け、足を止める。

「さっき?」
「矢田に絡まれてなかったか?」

 一瞬、言葉の意味がわからず、「えっと……」と記憶を辿る。

「絡まれてはいないですけど……会議についてどう思ったか聞かれました」
「……なんて答えた?」
「……穂積先輩の意見に賛成だと」

 そう答えると、先輩は一瞬、真顔になった。

「他には?」
「他ですか? いえ、特には話していないですけど……」
「……ならいい」

 それ以上、何も言わないまま、穂積先輩は視線を外す。
 いつもと同じはずなのに、どこか違う。

「……行くぞ」
「あ、はい」

 短くそう言って歩き出す背中を追いかける。
 エレベーターを待つ間、穂積先輩はこちらを見ずに「鮎川」とわたしを呼んだ。

「はい」
「十六時以降の予定は」
「今日ですか? 内勤です」
「急ぎの仕事は?」
「急ぎは……ないと思います」

 頭の中に未処理タスクをいくつか浮かべたが、重要度が高いものは特にない。

「なら、この前受注したイベントの現地確認、夕方に行くけどお前も来るか?」
「いいんですか?」
「ああ。たぶん、鮎川は企画とは違う目で現地を見る回数を増やした方がいい」
「ありがとうございます。お願いします!」

 穂積先輩は軽く頷き、到着したエレベーターに無言で乗り込んだ。
 久々の先輩との営業同行に、密かに胸が弾んでいる自分に気づきながら、緩みそうな頬を必死に誤魔化した。
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