営業部の穂積先輩は今日も不機嫌で困る
「なあ、榊。今日、あれ出せるか?」
「……ああ、出せるよ」
「あんた、辛いものって食べられる?」
「え? ……嫌いじゃない……ですけど?」

 急に話を振られて、戸惑いながら返事をする。

「そ、よかった。榊、それ一皿。俺につけといて」
「はーい」

 その会話に、何か嫌な予感を感じていると、奥の厨房から、じゅ、と油のはねる音がした。
 脂がぱちぱちと弾けて、醤油の焦げる匂いがゆっくりと広がっていく。

「はい、おまたせ。当店の裏メニューです」

 ことり、と小皿がカウンターに置かれる。
 焼きたてのつくねはまだじんわりと熱を持っていて、照りのあるタレが光を弾いていた。

「……普通に美味しそうなつくねに見えますね」
「まあ、普通のつくねだからな」
「あの一人で食べたら悪いし……取り分けませんか?」
「いや、俺はいいよ。それは、落ち込んでる人への差し入れ」
「……ありがとうございます」

 でもさっき、辛いものは平気か聞かれたし、中に何か入ってるのかもしれない。
 そう思いながら、恐る恐る小さく一口齧る。
 口に入れた瞬間は、甘辛いタレの味しかしなかった。
 ほっとした次の瞬間、遅れて青唐辛子の刺激が舌を刺す。

「っ……!? か、辛っ……」

 口の中に一気に熱が広がった。
 舌の表面に残った青唐辛子が、じわじわと辛さを増していく。
 慌てて水に手を伸ばしたその瞬間、横からグラスを軽く押さえられた。

「水はやめとけ。もっと辛くなるから」
「……っ」

 だけど、口の中が……と思っていると、目の前にだし巻き卵とマヨネーズの小皿が差し出された。

「ほら、卵焼きにこれつけて喰え。和らぐから」

 口元を隠しながら疑いの眼差しを向けると、タクマさんがおかしそうに表情を崩した。

「騙してない。……そんな目で見るな」

 恐る恐る卵焼きを箸でつまみ、少量のマヨネーズをつけて口の中に入れる。ふわりとほどけた卵の甘さが、じんわりと舌に広がった。さっきまで刺すようだった辛さが、やわらかく包まれていく。

「……ちょっとましになりました」

 小さく呟くと、ようやく呼吸が整う。

「だろ?」

 その表情に、少しイラッときた。

「なんですか、そのどや顔! 元はと言えば、タクマさんがこんな辛いもの食べさせるからじゃないですか!」
「はははっ」
「いや、笑うところじゃないですよ」
「でも刺激物入れると、ちょっと元気にならないか?」
「だからって……」

 言い返しかけて、ふと気づく。
 さっきまで胸を占めていた息苦しさが、少しだけ薄れていた。

「……まあ、なりましたけど」
「な?」
「でもお礼は言いたくありませんっ」 
「いいよ、別に。……で、ちょっとは浮上した?」

 急に真面目な顔で尋ねられて、自分の気持ちを確認するように少し考える。

「そうですね。……うまくやっていけるかはわからないけど、結果を出せるように努力したいと思いました」
「あ、そ。いいんじゃない?」
「別にタクマさんのおかげじゃないですけどねっ。
 ここに来る前から、元々、絶対に営業でも数字を残すって決めてたし!」

 そう告げると、タクマさんは少し視線を柔らかくして、口元を緩めた。

「……もし仕事で行き詰まったら」
「え?」
「榊に伝言残して」
「……いいんですか?」
「ああ。……またつくね、奢ってやるから」
「嫌がらせじゃないですか!」
「はははっ」

 楽しそうに笑うタクマさんを見ていたら、なんとなく落ち着かなくなって、わたしは慌ててジンジャエールへ口をつけた。

 もしもこの人に次に会うときが来たら、そのときは今日みたいに落ち込んだ顔じゃなくて、もっと誇れる自分でいたい。

 そんなことを考えながら、わたしは少しだけ背筋を伸ばした。
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