営業部の穂積先輩は今日も不機嫌で困る
「梓さん……って」

 思わず、蝦名さんの方を振り返った。

「榊は夫なの。私は旧姓で仕事してるから」
「ええっ。蝦名さんがご結婚されてることを、いま初めて知りました」

 しかも相手が榊さんだなんて、想像もしていなかった。

「特に隠してないんだけど、いちいち既婚者だなんて言って回る必要もないしね」
「梓はアクセサリーが好きじゃないから、頼んでも結婚指輪をしてくれないんだよね」
「違うわよ。前に手を洗うときに外したら、そのまま忘れそうになったことがあって。リスクを冒したくないの」
 
 そんな会話をする二人の間の空気は、たしかに親しい間柄じゃないと出せないものに感じた。それに、きりっとした美人の蝦名さんと、ふんわりした雰囲気の榊さんは、並ぶとかなりお似合いに見える。

「カウンター空いてる?」
「どうぞ、お好きな席へ」

 蝦名さんは慣れた様子で端っこの方のカウンター席へ座る。

「私は生だけど、鮎川さんは何を飲む?」
「えっとじゃあ……ジンジャエールで」
「あら、お酒は苦手だった?」
「いえ。最近寝不足だから、すぐに酔ってしまいそうなんですよね」
「寝不足? 何か悩みごとでもあるの?」
「……あ、いえ。コンペが近くて緊張してるだけです」
「あなたはよく頑張ってると思うけどね」

 そんなふうに褒められると、くすぐったい気持ちになる。
 すぐに届いたお酒とジンジャエールで乾杯をしながら、一口飲んでほっとため息をついた。鼻の奥を通る生姜の香りが心地いい。
 蝦名さんは届いたサラダをとりわけながら、わたしの顔を探るように見た。

「ねえ。安藤くんから聞いたんだけど、音羽静香に声を掛けられたって本当?」
「あ……はい」

 まさか、その名前をここで出されると思わず、身体が後ろに引いてしまう。

「蝦名さんもお知り合いなんですか?」
「私と榊もそうだけど、穂積くんも音羽さんも、高校から大学まで同じなの」
「そうなんですね……」

 蝦名さんは、有名なエスカレーター式の私立大学の名前を口にした。
 そんなにも長い付き合いだったのかと視線を落とすと、蝦名さんはふっと笑った。

「そんな顔しなくても、あの二人が付き合った事実は一度もないわ」
「えっ」

 自分がどんな顔をしてるかわからず、変な汗をかいた。

「音羽さんだって、学生時代は違う人と付き合ってたし」
「……そうなんですね」
「それで、音羽さんから何か言われたの?」

 穂積先輩への感情を見透かされたくないのに、蝦名さんはすべてをわかっているみたいな顔で踏み込んでくる。
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