営業部の穂積先輩は今日も不機嫌で困る
「えっと……」

 いろいろなことを言われたけれど、それを伝えていいのかどうかも判断がつかない。
 蝦名さんはグラスへ視線を落としたまま、小さく息を吐いた。

「穂積くんには言わないから、悩んでるなら話してみて。
 彼女はね、情報の制御が人よりもうまいの。
 わざと情報を隠したり、与えたりすることで、相手を自分の望む方向へ誘導するのが得意というか。
 もしそのせいで何か誤解してるなら、鮎川さんが気の毒だから」
「誤解……ですか?」
「そう。一方から与えられた情報で全部を判断するのは、フェアじゃないってことよ。どうせ、穂積くんと彼女に何かあるんだって匂わせでもされたんでしょう?」

 驚いて顔を上げると、蝦名さんは呆れたように笑った。

「……やっぱり、そうなんだ」
「あの……婚約者候補だったって……」
「そんな話は初耳だけど……仮にそういう打診があったとしても、穂積くんなら受けないと思うけどね」
「なんでそう言い切れるんですか?」

 そう尋ねると、蝦名さんは少しだけ考えてから言葉を選ぶように言った。

「……穂積くんって、恩を簡単に切れる人じゃないのよ」
「恩、ですか……?」
「詳細は本人に聞くべきだと思うけど、昔、音羽さんのお父様にかなり世話になったらしいの。
 だから今でも、完全には無下にできないんじゃないかな。でも逆に言えば、それでもあの会社を離れた時点で、彼の答えはもう出てる気もするけどね」
「でもあの……音羽さんは、穂積先輩を応和企画へ戻したいって言ってました」

 そう言うと、蝦名さんが少し眉を下げた。

「その話、穂積くん本人にも話した?」
「まさか! 話せるわけないです……。そんな個人的なことを聞けるような間柄じゃないですから」

 わたしが顔の前で手をぶんぶんと振りながら否定すると、蝦名さんは意味深に笑った。

「そうかしら。私から見たら、穂積くんはあなたをかなり可愛がってるように見えるけど」
「それは……後輩だから……」
「あら。そう思ってるのね」

 そんな言い方は、本当に心臓に悪い。嫌われてはいないと思うし、営業部に来た当初を思えば、距離は近づいている気がする。
 それでも、その一線だけは越えられない。

「わたし……まだ、先輩の下で働きたいんです」

 ぽつりと本音が漏れる。

「……その言葉、本人に直接言ってみたら?」
「ええっ。無理ですよ! 恥ずかしすぎます!」
「あら、案外大喜びするんじゃないかしら。
 だって、自慢の可愛い後輩だものね」

 からかうように笑う蝦名さんを前に、耳まで熱くなるのを感じながら、ジンジャエールを一口飲んだ。
 それは少し苦く喉を通り抜けて、なのにいつまでも、舌に甘い味が残った。
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