冤罪で聖印を奪われた令嬢、辺境で本物の大聖女になる ~傲慢令嬢ヒストリアの救済証明~
第二章 風変わりな魔法使い

死に損ねた聖女と魔法使い

夢と現実の狭間を彷徨っていることを自覚する微睡みは、体感でいうと案外長いものである。

肌寒さと名残惜しい眠気が溶けて気怠い身体の重さへと変容する感覚に、ヒストリアの瞼はぴくりと動いた。
そして目を開いたとき、見覚えのある天井と人の気配に、自分が死に損なったことを理解し酷く落胆した。

「……どうして邪魔したの?」
首を軽く捻り、ヒストリアは結界の外で出会った男に向かって顔をしかめた。
「目覚めて言うことがそれか?失礼なお嬢様だな。助けてやったというのに礼儀がなってない」
男は相変わらず黒いローブを深く被っていた。よく見ればそれは刺繍の施された上質な生地だと分かり、ローブ越しでも体格や品の良さが垣間見れる。
この得体の知れぬ存在はヒストリアに背を向けると、用意していたのか湯気の立つ木製のカップを差し出した。
「助けて欲しくなんてなかったの。私にだって矜持ぐらいあるのよ!自害を阻まれるなんて……それぐらい分かるでしょ!」
衝動的にカップを叩き落とせば、透明な飛沫が散り男の足元を濡らした。
「だったら尚更、君は俺に礼を言うべきだ。死んで恨まれる存在にならないように助けてやったんだ」
男は静かに床に転がったカップを拾い上げる。
ヒストリアは僅かに頬を引きつらせ男を見上げるが、目元が隠れた陰から表情は読み取れなかった。ややあって、ヒストリアは問う。

「どういうこと……?」
死んで恨まれるなどあり得ない。
敵意を示した者達からすればヒストリアの死は喜ばしいことのはずだ。男の指摘に訝しむと同時に、緊張感が張り詰めた空気にあてられ無意識に生唾を飲み下した。
「知られていない、というより信じられていない現象だが……聖力を持つ人間が瘴気溜まりで死ぬと魔物化する。それも力に比例して強大な魔物になる。つまり大聖女の資質を持つ君があそこで死ねば、想像できるだろう?厄介だと」
「……聞いたことないわ、そんな話」
「そうだろうな。たとえ知っていても誰も認めないだろう」
男はカップを持て余すように食指で撫で、それから部屋の隅へと移動する。そこには簡易的な水場と竈があり、暫くすると水音が立つ。どうやら床に落ちたカップを水桶で軽く濯いでいるようだった。
その背に視線を留めていれば念を押すように男はおもむろに紡いだ。
「そんなに死にたければ止めないが、言ったとおり結界内で頼む」
目を覚ました時、ヒストリアは一瞬だけこの男は自分を助けるために現れたのだと錯覚していた。そんな妄想が束の間よぎったのだ。
しかし男の目的はあくまで聖力を持つヒストリアを瘴気溜まりで死なせないこと、だったらしい。
自害する場所にまで文句を言われるなど想像もつかなかったが、男の話がもし事実だとして、その理由でこの家までヒストリアを運んだというのなら、どれだけ厄介者扱いされるだけの人生だったのだろう。
考えれば目頭が熱くなってゆく。王宮では聖力のコントロールが十八にもなって上達しないことを出来損ないのように言われ、貴族が通う学院では常に姉と比較され続けてきた。
味方になってくれるものはおらず、虚勢を張り、ヒストリアには身分と大聖女の印しか縋るものはなかった。
頼りの父でさえ、もう何年も前から享楽に耽って女を侍らせヒストリを蔑ろにしている。それを指摘して見放されるのは恐ろしい。
こうなったのも、なにもかも姉のエリザベートが悪いのだ。絶対に裏で糸を引いているのは姉であると確信するも、王城ではまともに反論できなかった自分自身が情けなかった。
印を抉った焼きあとは当然まだ痛む。皮膚の奥の奥、深部にずっと熱が燻って絶えず屈辱の瞬間を思い起こさせてくるのだ。
口許を歪め胸の詰まる思いでヒストリアは俯いた。
その姿をローブを被った男はどう捉えたのか、再び近づく足音と共に大きな影を落とした。

「――あぁ、でも。生を持て余しているなら、俺の実験に付き合ってくれないか?」

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