女嫌いな心臓外科医の契約妻になりました
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【院内では事故防止のため、走らずゆっくりと歩いてください】
見慣れた貼り紙を横目に、雪音は走っていないとギリギリ言い訳ができる速度で病院の廊下を駆けた。
「お父さん……!」
ICUを見つけると飛び込むように入った。声が大きくなってしまったが、個室なのでセーフとして欲しい。
仕切りのカーテンは開かれており、麻酔から目覚めたばかりの父、良原秀夫がゆっくりとこちらを向いた。
秀夫は昨晩、救急車でこの病院へ救急搬送された。風呂場で急に倒れたからだ。
幸い母、真弓も自分もリビングで起きていた為、ガターンという大きな音を聞きすぐに駆けつけることができた。
秀夫が小児科医として務める大学病院へ搬送され、今朝方まで緊急手術が行われていたわけだが、同じ病院で医療事務として働く雪音は、付き添いは母に任せて一度帰宅し、通常通り勤務をこなした。
同僚たちは休んでいいと声をかけてくれたが、病室の前で待っていたって自分にできることなどない。幸い、職場と入院先が同じですぐに駆けつけられるし、今は仕事に穴をあけたくなかったので、自分の役目をきちんとこなそうと仕事に集中した。
「ゆきちゃん」
真弓は雪音をいつまでも幼なかった頃の愛称で呼ぶ。
寝ていないせいか、たった一晩で酷くやつれた顔をしていた。雪音を見るとほっとした顔になる。
ズキンと胸が痛んだ。やっぱり、仕事を優先しないで真弓に付いていてあげたほうがよかったのかも。
さすが良原先生の娘だと周りから言われるような子供でありたいと、常日頃から心がけていて、父親の働く病院で、面子を潰すことのないようにしたかったし、いい加減な仕事をしていると思われたくなかったからつい仕事を優先させてしまった。
でも、そんなプライドや世間体よりも、何よりも両親との時間を大切にしなくてはいけなかったのかもしれない。
(そんな事もわからないなんて、やっぱり本当の子供じゃないからかな)
「雪音、心配をかけたね……」
秀夫が顔だけをこちらに向けて、しわがれた声で言った。
呼吸をするだけでも苦しそうなのに、目を細めて柔らかく笑う。
患者本人そっちのけで暗い気持ちになってた自分に気がついて、不安を振り払うように首を振った。
(だめだめ。マイナス思考禁止!)
ベッド脇に寄ると、点滴がつながれた手をそっと握った。
「お父さん。手術、無事に終わってよかった。先生としてずっと頑張ってきた分、今はゆっくり休んでね」
「なんだなんだ。もう引退みたいなセリフじゃないか。わたしはまだまだやれるぞ。診療に穴をあけられないからな。今すぐにでも復帰してもいいくらいだ」
心臓の手術をしたのだから、退院したとしても最低でも一ヶ月は休息が必要だ。
秀夫はこの大学病院で小児科医をしている。夫婦共に子供が好きだったが、子供に恵まれず孤児院で過ごしていた雪音が七歳の時に引き取られた。
本当の子供ではないが雪音はとても大切に育てられた。優しい父と母に恩返しができればと医学部へ進もうとしたが、怪我や血を見ることがどうにも苦手で断念した。
『自営業でもないんだし、後を継ごうなんて考えなくていい。いいかい? 俺は雪音と初めて会った時にびびっときたんだ。〝この子が俺の子供なんだ〟ってね』秀夫にそう言われて、雪音は医者にはなれなくとも、せめて尊敬する父と一緒に働きたいと、医療事務の資格をとり秀夫が務める病院に就職をした。
「先生、無理は禁物ですよ。二、三週間くらいで退院の予定は立てていますが、直後の仕事への復帰は許可できません」
それまで静かにそばに控えていた医師が声をかける。
心臓外科医の深沢匠だ。
見慣れた貼り紙を横目に、雪音は走っていないとギリギリ言い訳ができる速度で病院の廊下を駆けた。
「お父さん……!」
ICUを見つけると飛び込むように入った。声が大きくなってしまったが、個室なのでセーフとして欲しい。
仕切りのカーテンは開かれており、麻酔から目覚めたばかりの父、良原秀夫がゆっくりとこちらを向いた。
秀夫は昨晩、救急車でこの病院へ救急搬送された。風呂場で急に倒れたからだ。
幸い母、真弓も自分もリビングで起きていた為、ガターンという大きな音を聞きすぐに駆けつけることができた。
秀夫が小児科医として務める大学病院へ搬送され、今朝方まで緊急手術が行われていたわけだが、同じ病院で医療事務として働く雪音は、付き添いは母に任せて一度帰宅し、通常通り勤務をこなした。
同僚たちは休んでいいと声をかけてくれたが、病室の前で待っていたって自分にできることなどない。幸い、職場と入院先が同じですぐに駆けつけられるし、今は仕事に穴をあけたくなかったので、自分の役目をきちんとこなそうと仕事に集中した。
「ゆきちゃん」
真弓は雪音をいつまでも幼なかった頃の愛称で呼ぶ。
寝ていないせいか、たった一晩で酷くやつれた顔をしていた。雪音を見るとほっとした顔になる。
ズキンと胸が痛んだ。やっぱり、仕事を優先しないで真弓に付いていてあげたほうがよかったのかも。
さすが良原先生の娘だと周りから言われるような子供でありたいと、常日頃から心がけていて、父親の働く病院で、面子を潰すことのないようにしたかったし、いい加減な仕事をしていると思われたくなかったからつい仕事を優先させてしまった。
でも、そんなプライドや世間体よりも、何よりも両親との時間を大切にしなくてはいけなかったのかもしれない。
(そんな事もわからないなんて、やっぱり本当の子供じゃないからかな)
「雪音、心配をかけたね……」
秀夫が顔だけをこちらに向けて、しわがれた声で言った。
呼吸をするだけでも苦しそうなのに、目を細めて柔らかく笑う。
患者本人そっちのけで暗い気持ちになってた自分に気がついて、不安を振り払うように首を振った。
(だめだめ。マイナス思考禁止!)
ベッド脇に寄ると、点滴がつながれた手をそっと握った。
「お父さん。手術、無事に終わってよかった。先生としてずっと頑張ってきた分、今はゆっくり休んでね」
「なんだなんだ。もう引退みたいなセリフじゃないか。わたしはまだまだやれるぞ。診療に穴をあけられないからな。今すぐにでも復帰してもいいくらいだ」
心臓の手術をしたのだから、退院したとしても最低でも一ヶ月は休息が必要だ。
秀夫はこの大学病院で小児科医をしている。夫婦共に子供が好きだったが、子供に恵まれず孤児院で過ごしていた雪音が七歳の時に引き取られた。
本当の子供ではないが雪音はとても大切に育てられた。優しい父と母に恩返しができればと医学部へ進もうとしたが、怪我や血を見ることがどうにも苦手で断念した。
『自営業でもないんだし、後を継ごうなんて考えなくていい。いいかい? 俺は雪音と初めて会った時にびびっときたんだ。〝この子が俺の子供なんだ〟ってね』秀夫にそう言われて、雪音は医者にはなれなくとも、せめて尊敬する父と一緒に働きたいと、医療事務の資格をとり秀夫が務める病院に就職をした。
「先生、無理は禁物ですよ。二、三週間くらいで退院の予定は立てていますが、直後の仕事への復帰は許可できません」
それまで静かにそばに控えていた医師が声をかける。
心臓外科医の深沢匠だ。