女嫌いな心臓外科医の契約妻になりました
媚びたり互いを貶めあう姿を見ると気分が悪くなるそうだ。
実の親が居ても幸せとは限らないことをわかってはいるが、家族とは難しいものだ。あっけらかんと話す匠より、雪音のほうが寂しくなってしまった。


夕飯の支度と明日の弁当の準備を終えると、キッチンを片付けてひと息ついた。
レンコンのきんぴらにカボチャのポタージュ。メインは煮込みハンバーグだ。

家事はしなくていいと言われたが、どうせ自分の分は作るのだしひとり分もふたり分も手間は一緒だ。匠は仕事柄、家に帰って来れないことも当たり前のようにあるので毎回食べてもらえるわけではないが、それでも新しい家で、新しい家族のために作るのは楽しく感じた。

以前の雪音だったら家族以外の男性と食事など、味もわからぬほど緊張していただろう。
それなのに、いまは匠が帰ってくるのを楽しみにしている。

触れられることはまだ怖いけれど、匠のおかげで雪音の世界は少しずつ変わっている。

時計を見ると二十時だった。いつのまにそんな時間に。十九時には帰ると聞いていたが、音沙汰がないので今日も急患があったのかもしれない。

「先に食べてよっかな……」
この広い部屋でひとりで食べるのは寂しく感じて苦手だ。

仕方なくひとりで食べようとダイニングにおかずを並べ始めた時、玄関のロックが外れる音がした。
すぐに匠がリビングに顔を出す。

「ただいま」
「おかえりなさい!」

嬉しくなって駆け寄る自分は、ご主人様の帰りを待ち侘びたペットのようだった。クスリと笑われ、子供じみていたかと恥ずかしくなる。

「触れても?」
「はい」

このやりとりはすでに日課になっており、匠は顔を合わせば必ず頭を撫でた。
頭にポンと手が乗ると、今日の匠はぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜる。

「あの、どうしていつもこれを?」
「単純接触効果って知ってるか?」

「いいえ、心理学ですか?」
「そう。繰り返し接していると好感度が高まるんだ。安心感や馴染みを感じるようになり、知っているものを安全と判断する」

匠は頭を撫でるのをやめると、雪音の目の前で手のひらを見せた。雪音がびっくりして反射的に目を瞑ると、すぐに腕を下げる。

「な、なんです?」
「雪音が怖いのは手じゃないか?」

「手、ですか?」
「幼い子が大人に殴られたことを想像したら、何となく。振りかぶられる大きな手の映像は、トラウマになりそうだと思ったんだ」

言われてみたらそうかもしれない。いつも頭を支配するのはまた殴られる、という恐怖だ。

「俺の手は怖いものではなく、雪音を守るものだと覚えて欲しい」
そういう意味があったのか。

これまでの行為は、雪音のことを思ってやってくれていた医療行為だったわけだ。感謝をしているしやはり優しい人だと嬉しくなる中で、なぜだか胸がモヤモヤとする。

「負担が大きいなら、違う方法を考えるが」
「い、いいえ。緊張も薄れて慣れてきたみたいです」

「そうか。マーケティング分野では、三回で警戒が解け七回で信頼が生まれるという統計があるらしい。雪音がもう少し慣れたら違うことにも挑戦してみようか」

匠に満足げに言われるとモヤモヤが膨れ上がった気がした。何でそんな感覚になるのか意味が分からず、首を傾げた。
< 43 / 74 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop