女嫌いな心臓外科医の契約妻になりました
「先日退院したお婆さんのご家族が、春菊を分けてくださったんです。せっかくだから、新鮮なうちにいただこうと思って、お蕎麦にしました」
「雪音は仕事だったのにありがとう。手伝うよ」
匠は袖をまくり手を洗った。

「そういえば、匠さんのお料理見たことないかも。得意なんですか?」
「……器用だとは自負している」
「ふふっ、なんですかそれ」

ほとんどしたことがないので、上手いか下手かさえもわからない。わかっていることだけを答えると雪音はクスクスと笑った。

「じゃあ、わたしが先に見本をお見せするので真似してくださいね。春菊の水気を取ったら……」

(――やばいな)

自分の気持ちをはっきり自覚したからか、これまでに加えて雪音が可愛く見えて仕方がなかった。
これまでが百パーセントなら、今は千パーセントと言っても過言ではないほど輝いて見える。恋をした男とはこんなものなのかと冷静に分析する自分もいた。

隣に立ち、ただ料理の説明をしてくれるだけなのに、愛おしさが溢れて止まらない。
自分の肩あたりで動くつむじさえ愛らしい。

「雪音」
「はい?」

返事をしながら顔を上げた雪音にそっと顔を寄せると、生え際にキスをした。完全に無意識だった。

「ひゃあ!」
悲鳴で互いに体が跳ねた。

雪音が持っていた菜箸が床に落ち、水が跳ねて落ちたのか熱された油がパチンと鳴った。

「す、すまない! 驚かせるつもりは……」

(何をやっているんだ! 突然触れてはダメなのに……)

慌てて体を離しそうとした時、腕がボウルにあたり春菊がシンクと床に散らばる。
それらをさっと拾い集め、もう一度流水で流した。

雪音の顔が見れない。いったいどんな顔をしているのだろう。
軽蔑した? 最低だと思った? もう匠は恐ろしい対象へとかわり、笑ってくれないかもしれない。

「申し訳ない。その、言い訳をするつもりはないんだが、君が……雪音が可愛くて、愛おしく思ってしまって無意識に……」
怖いのは、もうこの関係を解消すると言われることだ。

「二度としない。今後は距離も気をつける。だから許してくれると嬉しい。今は俺が怖いだろう。そうだ今夜は俺は外泊をしよう、そうすれば安心できるな? それとも実家に送ろうか。車でふたりきりが嫌ならタクシーを……」

頭を下げると雪音の微かに震えた声が聞こえた。
「あ、謝らないでください。頭をあげて」
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