絡まる残り香―滴る甘い蜜―
第二章:蜜月の多重奏

【第一話】: 快速電車の鉄鎖 1

幕張の朝は、痛いほどの静寂から始まる。

ひとみは鏡の前で、夫が選んだ地味な膝丈のスカートに、その自慢の脚を通した。

昨夜、夫・誠司が腰に回した腕の重みが、まだ不快な鈍痛として残っている。

​「行ってきます」

機械的な挨拶を残し、彼女は総武線快速に乗り込んだ。

車内は、通勤客の吐息と湿った冬のコートの匂いで溢れ返っている。

​(始まった……)

ドアの近く、吊り革を掴むひとみの背後に、その男はいた。

安っぽい煙草と、整髪料が混じった中年の男の匂い。

数日前から、決まって市川を過ぎる頃、彼女の真後ろに滑り込んでくる影。

​電車が大きく揺れた瞬間、男の厚い掌がひとみの腰を、這うように撫で上げた。

「……っ」

混雑のせいだ、と自分に言い聞かせるには、その指先はあまりに粘着質で、目的を持って動いている。

スカートの生地越しに、男の熱い股間がひとみの形の良い尻を押し潰した。

​普通なら声を上げるべきだろう。

けれど、ひとみの身体は裏腹に、その粗野な刺激を求めて疼き出していた。

加納の冷徹さとも、佐藤の卑屈さとも違う、名もなき獣の暴力的な感触。

吊り革を握る指先に力が入り、ひとみはわざと、男の方へと体重を預けた。

​耳元で、男の荒い鼻息が聞こえる。

「……あんた、自分でもわかってるだろ。本当は、こういうのが好きなんだ」

低く濁った声が、ひとみの鼓膜を震わせた。
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