絡まる残り香―滴る甘い蜜―

【第一話】: 快速電車の鉄鎖 4

佐藤の細い指先が、ひとみの肩に触れようとして空を切った。

その執拗な視線は、ひとみの乱れた襟足や、微かに震える指先を逃さない。

​「……いえ、大丈夫です。少し、のぼせただけですから」

​ひとみは冷ややかに言い放ち、佐藤の手を拒むように一歩身を引いた。

佐藤の顔に、一瞬だけ卑屈な歪みが走る。彼は、ひとみが自分に向ける拒絶さえも「ご馳走」として味わうような男だ。

​「そうですか……。でも、無理はいけませんよ。僕の診察室なら、いつでも空いていますから。あなたの……『全身』を診て差し上げられます」

​粘りつくような声を背中で聞き流し、ひとみは足早にその場を去った。

普段なら、この程度の誘いには動じない。

けれど、今の彼女の肌の下には、あの通勤電車の男が残した「暴力的な熱」が渦巻いている。
​佐藤のような湿った執着ではない。

名前も知らない男に、衆人環視の中で一方的に蹂躙されたという屈辱的な興奮。

​(私は、何を期待しているの……?)

​デスクに戻り、カルテの整理を始めても、指先が勝手にあの男の手つきをトレースしてしまう。

ストッキングの伝線をなぞられた瞬間の、ゾクりとするような感覚。

スカートの中に侵入してきた、節くれ立った指の硬さ。

​数日後。

ひとみは、あの日と同じ時間に、あの日と同じ車両の、あの日と同じドアの前に立っていた。

「良き妻」としての理性は、別の車両へ逃げろと叫んでいる。

けれど、彼女の「自慢の脚」は、磁石に吸い寄せられるように、その場所から動こうとしなかった。

​そして、市川を過ぎた頃。

背後に、あの安っぽい煙草の匂いが漂ってきた。
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