絡まる残り香―滴る甘い蜜―

【第三話】: 弄ばれて、目覚める 6

錦糸町からの帰り道。

快速電車の揺れに身を任せながら、ひとみは必死に自分を「洗浄」していた。

だが、どれだけ心を洗おうとしても、身体の奥に刻まれた男の熱い重みだけが、歩くたびに存在を主張してくる。

​「ただいま……」

​幕張の自宅。

温かな明かりと、夫・誠司の穏やかな笑顔。

そのすべてが、今のひとみには眩しすぎて、直視できなかった。

​「おかえり。遅かったね、仕事大変だったのか?」

​「ええ……ちょっと、急患の処理があって」

​嘘をつく唇が震える。

その夜、寝室のベッドで誠司に肩を抱き寄せられた瞬間、ひとみの身体は拒絶反応のように硬直した。

​「ひとみ、久しぶりに……いいかな」

​誠司の指先が、優しくひとみの頬をなでる。

本来なら愛おしいはずの、清潔で丁寧な愛撫。

だが、ひとみの脳裏にフラッシュバックするのは、シャワー室で髪を掴まれ、強引に奥を貫いたあの男の、乱暴で卑猥な熱量だった。

​(触らないで……汚い、私はもう、汚れてるの……っ)

​喉元まで出かかった拒絶を、ひとみは奥歯を噛み締めて飲み込んだ。

ここで拒めば、不自然だ。

「妻」という役割を演じ続けるために、ひとみは誠司を受け入れる。

​だが、誠司が身体を重ねてきても、ひとみの心はそこにはなかった。

優しいピストン、気遣うような吐息。

そのすべてが、あの男の獣じみた蹂躙に比べれば、あまりにも物足りなく、退屈でさえあった。

​(早く終われ……早く終われ、早く終われ……)

​目をつぶり、心の中で一秒ずつ秒読みを繰り返す。

誠司の背中に回した手は、行き場を失い、シーツを虚しく掴んだ。

「愛している」という誠司の囁きさえ、今はただの雑音にしか聞こえない。

​(あと、何回……あと何回動けば、終わってくれるのよ?)

​絶頂を装い、夫を満足させるための声を絞り出す。

心の中では早くこの「儀式」が済むことだけを願い、ひとみは暗闇の中で、二度と戻れない平穏な日々へ別れを告げた。
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