絡まる残り香―滴る甘い蜜―

【第一話】: 日常の皮を剥ぐ 2

重厚な扉を開けた瞬間、冷たい夜気は消え、むせ返るような香香と高揚感がひとみを包み込んだ。

「お、また来たのか。今日はスーツじゃねえんだな」

入口近くにいた、前回ひとみの身体を弄った数人の男たちがニヤニヤと声をかけてくる。

「……こんばんは」

ブランドバッグの持ち手を握りしめ、ひとみは努めて冷静に相槌を打つ。

他愛ない、けれどここが「そういう場所」であることを再認識させる卑猥な視線のやり取り。

​ひとみは逃げるように更衣室へ入り、理性の象徴である昼の顔を脱ぎ捨てた。

鏡の中に映る自分は、どこにでもいる「母親」でも「事務員」でもない。ただの、欲しがっている一人の女だ。

用意された薄手のガウンを羽織り、持参したシャネルの香水を、耳の後ろと膝の内側にさり気なく忍ばせる。

体温で温められた香りが、甘い毒のように自分自身を酔わせていく。

(これで良いのよ、これで……)

​ラウンジのカウンターに座り、バーテンダーに強めのカクテルを注文した。

「今日は一段と綺麗ですね」

聞き流すような褒め言葉にさえ、背徳的な悦びを感じてしまう。

数杯のアルコールが、ひとみの頑なだった心の壁を、じわじわと、けれど確実に溶かしていく。

​(……私は、何を待っているの?)

​自問自答するひとみの肩に、ふわりと温かい手が置かれた。

「お一人かな? 素敵な香りがするね」

振り返ると、そこには品の良い白髪を綺麗に整えた、初老の男性が立っていた。

紳士的で落ち着いた物腰だが、その瞳の奥には、これからひとみを「解体」しようとする捕食者の熱が宿っている。

​「……少し、飲みすぎてしまったみたいで」

ひとみは断るどころか、吸い寄せられるように男性の逞しい腕に寄りかかった。

(誰でも良い、誰でも……私を壊して欲しい。
何もかも……忘れさせて)

ガウン越しに伝わる他人の体温。

「なら、少し静かな場所で休もうか。……いいだろう?」

​優しく、けれど拒絶を許さない力強さで腰を抱かれ、ひとみは大部屋へ向かう前の「前戯」として、まずは密室の個室へと足を踏み入れた。
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