絡まる残り香―滴る甘い蜜―

【第ニ話】: 夕刻の疼き、蜜の通い路 2

重い扉を引いた瞬間、紅蓮の照明が網膜を焼き、火照った頬を熱い熱気が撫でた。

だが、そこにあるはずの「白髪の輝き」は無く、空気には冷徹な王の香りが欠けている。

鼻腔を突くのは、複数の男たちが放つ、荒々しくも凡庸な汗と安酒の混濁した臭いだ。

「……いない」

舌先に広がるのは、期待が裏切られた時の、砂を噛むような乾燥した苦味。

落胆に震えるひとみの肩を、フロントの黒服が恭しく、冷たい指先で制した。

「若林様、本日は『特別なお知らせ』がございます」

差し出されたゴールドのカードが、指先に硬質で滑らかな金属の冷感を与える。

「貴女お目当てのお客様が急増しておりまして……感謝の意を込めて、今夜から入場料は永年無料とさせて頂きます」

耳元で囁かれる賞賛の声は、湿り気を帯び、彼女の鼓動をドクンと跳ね上げた。

聖母の仮面の下、支配される側から「獲物」へと昇華した悦びが、脳を甘く痺れさせる。

シャワー室のタイルは、足裏に刺さるような冷たさと、微かな塩素の匂いを放つ。

熱い湯が乳房の膨らみを叩き、石鹸の泡が、均整の取れた脚の曲線を白く包み込んだ。

鏡に映る自分の肌は、火照った薔薇色を帯び、指で触れれば吸い付くような弾力がある。

更衣室の狭い空間には、女性たちの化粧品と体臭が混ざった、むせ返るような香りが充満する。

白のガウンを滑らせるたび、衣擦れの乾いた音が、静まり返った神経をチリチリと逆なでした。

「……ふぅ」と漏らした吐息が、鏡を白く曇らせ、彼女の視界を淫らに歪めていく。

フロアへ踏み出すと、見知らぬ男たちの、刺すような視線の温度が肌を直接焼いた。

獲物を品定めするような、粘りつく視覚の暴力を、ひとみは涼やかな顔で受け流す。

カウンターの止まり木に腰を下ろせば、古い革の匂いと、冷えたジンの香りが鼻を抜けた。

「今日は一段と、……蜜が滴りそうですね」

バーテンダーの軽妙な囁きが、カクテルグラスの氷の音と共に、鼓膜を優しく揺らす。

「あら、お上手ね」

自身の声が、いつもより湿り気を帯び、喉の奥で蜜のように絡みつくのを感じた。

そこへ、顔見知りの美奈代が、香水の強い余香を振り撒きながら隣へ滑り込む。

「ひとみさん、貴女の噂で持ち切りよ」

女同士の、棘を含んだ熱い吐息が耳元を掠め、3人の笑い声がグラスの音と重なり合う。

白髪の男が不在の夜、ひとみは自らが放つ「香」で、男たちを狂わせる準備を整えた。
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