絡まる残り香―滴る甘い蜜―
【第三話】:侵食する影、偽りの旅路 4
その幼い一言で、火花を散らしていた二人の視線は行き場を失い、冷え切った沈黙だけが部屋を支配した。
娘の仲裁で、その場は辛うじて収まったものの、夫は一言も発さずに寝室へ消え、廊下に重い足音だけを残した。
暗いキッチンで、ひとみは一人立ち尽くした。
蛇口から滴る水音が、静寂の中で鋭く響く。会話の消えた、死んだような家。
この息苦しい清潔さと、正しさに満ちた空間。
その静寂の中で、ひとみの心は皮肉にも、自分を「妻」や「母」という役割から解放し、単なる肉の塊、蹂躙されるべき「雌」として扱ってくれる、あの暴力的な闇の聖域へと、より深く、逃れようもなく傾倒していくのだった。
「……週末。伊豆に行けば、きっと……」
暗闇の中で独りごちる彼女の瞳には、もはや後悔の色はなかった。
ただ、真の「家畜」へと堕ちていくことへの、抗いがたい渇望だけが、紅い燐光を放っていた。
暗いキッチンで、ひとみは冷え切ったシンクの縁を指が白くなるまで握りしめていた。
先ほどまでの罵り合いの余韻が、鼓膜の奥で不快な耳鳴りとなって居座っている。
(……母親以前に、一人の人間?)
自分の口から飛び出したその言葉が、ひどく滑稽で、空々しく感じられた。
鏡に映る自分を見ることさえ恐ろしい。
娘の仲裁で、その場は辛うじて収まったものの、夫は一言も発さずに寝室へ消え、廊下に重い足音だけを残した。
暗いキッチンで、ひとみは一人立ち尽くした。
蛇口から滴る水音が、静寂の中で鋭く響く。会話の消えた、死んだような家。
この息苦しい清潔さと、正しさに満ちた空間。
その静寂の中で、ひとみの心は皮肉にも、自分を「妻」や「母」という役割から解放し、単なる肉の塊、蹂躙されるべき「雌」として扱ってくれる、あの暴力的な闇の聖域へと、より深く、逃れようもなく傾倒していくのだった。
「……週末。伊豆に行けば、きっと……」
暗闇の中で独りごちる彼女の瞳には、もはや後悔の色はなかった。
ただ、真の「家畜」へと堕ちていくことへの、抗いがたい渇望だけが、紅い燐光を放っていた。
暗いキッチンで、ひとみは冷え切ったシンクの縁を指が白くなるまで握りしめていた。
先ほどまでの罵り合いの余韻が、鼓膜の奥で不快な耳鳴りとなって居座っている。
(……母親以前に、一人の人間?)
自分の口から飛び出したその言葉が、ひどく滑稽で、空々しく感じられた。
鏡に映る自分を見ることさえ恐ろしい。