甘い夢はもう見ない〜お見合い結婚から始まる両片想いの恋〜
「左京さん、ここは?」

スイートルームに足を踏み入れると、桜子は驚いたように左京を見上げる。

「今夜はここに泊まる。予定調和じゃないけど、いい?」

すると桜子は、ふふっと可憐に笑った。

「もちろん。嬉しいです、左京さんと一緒なら楽しいことがたくさん。でもこんな豪華なお部屋、本当にいいんですか?」
「ああ。俺がここに泊まりたいんだ、桜子と一緒に」
「なんだか映画の世界にいるみたい。すてきなお部屋も、かっこいい左京さんも」

お酒のせいか、いつもより甘い桜子の声。

左京ははやる気持ちを抑えながら桜子の肩を抱くと、ソファに促した。

「桜子、君に伝えたいことがある」

ひざまずいて両手を握ると、桜子は「え?」と首をかしげた。

左京は1つ息を吸うと、桜子を真っ直ぐに見つめる。

「俺たちは、お見合いで結婚した。好きだという恋愛感情や、つき合うという恋人関係も通り越して、価値観で合意した結婚。それでも俺は、毎日幸せだった。桜子が俺と結婚してくれて、本当に嬉しかった。ずっとこの先もこの生活を続けたい、そう思っていた。だけど今、俺はこの結婚を心から後悔している。この生活を壊したいんだ」
「左京さん、あの、なにを……?」

桜子の顔がみるみるうちに青ざめ、こわばっていく。

その瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。

「いや、私、左京さんとのこの生活を続けたい。だめなところは直します。一生懸命努力します。だからどうか……」
「桜子。俺は一度この関係を壊して、1からやり直したいんだ」
「どうすればやり直せるの? 私、どうしたらあなたと……」
「心を真っさらにして聞いてほしい。桜子、俺は君が好きだ。誰よりも君が大切で、誰よりも君が愛おしい」
「えっ……」

桜子は、なにを言われたのかと確かめるように、涙で潤んだ瞳で左京をじっと見つめる。

左京はそんな桜子に微笑んで、優しく両手を握りしめた。

「君が俺に対して恋愛感情がないのは分かっていたから、これまで普通の夫婦関係は望まなかった。だけどもう自分の気持ちを抑えきれない。俺はどうしようもないほど君を好きになり、君に恋をした。君に知られたら嫌悪感を持たれて、話が違うと離婚を切り出されるかもしれない。そう思って何度も諦めようとした。でも無理なんだ。君を諦めることも、君を手放すことも。そしてどうしようもないほど、想いが込み上げてきた。君をこの手で抱きしめたいと」

桜子は、信じられないとばかりに大きな瞳を見開き、言葉を失くしている。

嫌われたかもしれない。
拒絶されるかもしれない。
それでも左京は、ありのままの気持ちを伝えた。

「桜子、俺は心から君が愛おしい。明るい笑顔で優しく気遣ってくれる君に、俺はどんなに幸せにしてもらっているか。俺の心をどれほど温めてくれ、俺の人生をどんなに輝かせてくれているか。君のいない日々など、もう考えられない。桜子、少しずつでいい。俺と1からやり直してくれないか?」
「……左京さんと、1から?」
「そうだ。今はまだ、俺を好きでなくても構わない。夫婦という関係を一度改め、ここから二人の関係を築いていきたいんだ。俺はいつか必ず君を振り向かせてみせる。だから桜子、俺とつき合ってほしい」

きっぱりそう告げると、桜子は戸惑うように視線を落とした。

「桜子?」
「左京さん、あの……」

おずおずと顔を上げる桜子に、左京は頷く。

「桜子の気持ちをそのまま聞かせてほしい」
「はい、あの、どうすればいいのか困ってしまって……」
「それは、俺の気持ちを受け取れないということか?」
「違います。1からやり直そうと言われても、私は夫婦をやめたくないんです。だって私、もうあなたのことが大好きだから」

左京は思わずハッとして息を呑んだ。

「桜子……今、なんて?」
「私も、結婚してからあなたのことを好きになりました。愛のないはずのお見合い結婚なのに、あなたはいつも私に優しくしてくれて。初めて『桜子』って名前で呼んでもらった時は、胸が締めつけられるほど切なくなりました。だけどあなたは、いつの間にか私と一緒にベッドに入らなくなったでしょう? ひょっとして、もうこの結婚生活が嫌になったのかなって、悲しくて……。私、これまで恋人が一度も出来なかったから、おつき合いの仕方も分からなくて、だから左京さんに嫌われたのかなって、寂しくて」

今度は左京の方が、信じられないと目を見開く。

「まさか、そんな。桜子、違うんだ。君と同じタイミングでベッドに入ると、君を抱きしめたくて抑えが効かなくなる。だから俺は……」
「えっ、そうだったの?」
「ああ。俺がどんなに葛藤していたか。君があまりにも可愛くて、魅力的だから」

そんな、と桜子は頬を赤らめてうつむくと、恥ずかしそうに左京をそっと見上げた。

「あのね、左京さん」
「なに?」
「サンフランシスコで、姉の言葉をお話ししたでしょう?」
「ああ。恋愛なら自分が1番好きな人、結婚なら自分を1番好きでいてくれる人と、だよな?」
「はい。でも姉の言葉には続きがあったんです。『恋愛なら自分が1番好きな相手を追いかければいいと思うけど、結婚相手は1番自分を好きでいてくれる人にしなさいね。そうすればいつか、自分を1番好きでいてくれる人のことが、自分も大好きになるから』って」

それって……?と頭の中で考える左京に、桜子は、ふふっと微笑みかける。

「その通りでした。私はいつの間にか、あなたのことが大好きになっていたから。それにね、今気づいたの。私は自分が1番大好きで、しかも私を1番好きでいてくれる人と結婚したんだって。それってもう、最高に幸せってことですよね」
「桜子……」

左京は声を詰まらせると、両腕でギュッと桜子を抱きしめた。

「桜子、君が好きだ」
「私も、左京さんのことが大好きです」
「桜子……」

込み上げる幸せに胸が震え、切なさで締めつけられる。

心がじわりと温かくなり、互いの気持ちが重なり合うのを感じた。

左京はそっと身体を離すと、改めて桜子を真っ直ぐ見つめる。

「桜子。心から君を愛し、俺の一生をかけて君を幸せに守り抜くと誓う。だからどうか、俺と愛のある結婚をしてほしい」

桜子は嬉しそうに微笑んで頷いた。

「はい。私もあなたを愛し、ずっとあなたのそばで生きていきたいです。左京さん、私と恋愛結婚をしてください」
「ああ。俺は毎日君に恋をする。君と一緒にいられる幸せを噛みしめながら」
「私もです。いつまでも、あなただけを想い続けます」

ようやく心からの笑顔で頷き合うと、左京はジャケットのポケットからリングケースを取り出した。

「俺の愛の証として、桜子にこの指輪を贈る」

開かれたケースから、ダイヤモンドがまばゆいばかりの輝きを放ち、桜子はハッと目を見開く。

左京は優しく笑いかけてから、桜子の左手薬指にそっと指輪をはめた。

「桜子のきれいな指によく似合ってる。これでようやく本当の夫婦になれたな、俺たち」
「左京さん……、ありがとう」

涙を溢れさせる桜子に、左京は頬を緩めた。

「こちらこそありがとう、桜子。これからもよろしく、俺の愛する奥さん」
「ふふっ、はい」

微笑み合ってから、またしみじみと幸せを噛みしめる。

左京は桜子のきれいな涙を指先で拭い、優しく肩を抱き寄せた。

ゆっくり顔を寄せると、桜子がそっと目を閉じる。

涙に濡れた桜子の長いまつ毛がかすかに震え、左京は胸を切なくさせながら、愛を込めて優しく誓いのキスをした。
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