兄になった先輩を好きだった

最終章 駅のホーム

卒業式の次の日。

空はきれいに晴れていた。

颯斗先輩は、今日この街を出る。

大学のある街へ行く電車は、午前の便だった。

「忘れ物ない?」

母が玄関で聞く。

「大丈夫」

先輩はキャリーケースの持ち手を握る。

「じゃあ行ってくる」

その言葉で、胸がぎゅっとなる。

「頑張ってね」

「体に気をつけてね」

大人たちの声。

私は、何も言えなかった。

ただ、玄関に立っている。

先輩が靴を履く。

そして、ふと私を見る。

「…藤沢」

その呼び方に少し笑いそうになる。

「駅、来る?」

胸が大きく揺れる。

「……行きます」

小さく答えた。

⸻

駅までの道。

先輩と二人で歩く。

キャリーケースの音が、静かな道に響いている。

いつも通っていた道なのに、今日は少し違って見える。

言葉が出ない。

何を話せばいいのか分からない。

先輩も同じだった。

ホームに着く。

電車は、もうすぐ来るみたいだった。

「早いな」

先輩が小さく言う。

私は頷く。

「そうですね」

沈黙。

風が吹く。

ホームの端で、電車の音が遠くから聞こえてきた。

先輩がキャリーケースの持ち手を握り直す。

「じゃあ」

小さく笑う。

「ここまでだな」

胸が痛い。

何か言わなきゃいけない。

でも言葉が出てこない。

先輩が言う。

「藤沢」

「はい」

「…元気でな」

その一言で、涙が溢れそうになる。

私は慌てて笑った。

「先輩こそ」

声が震える。

「大学、頑張ってください」

電車の音が近づいてくる。

もう時間だった。

先輩は私を見て、少しだけ優しく笑った。

「ありがとう」

その笑顔が、すごく好きだった。

だからこそ、苦しい。

電車がホームに入る。

ドアが開く。

先輩はキャリーケースを引いて歩き出す。

でも、途中で止まった。

振り向く。

目が合う。

「藤沢」

最後に呼ばれる。

私は顔を上げる。

先輩は少し迷ってから言った。

「…楽しかった」

それだけだった。

でも、その一言で全部分かった。

体育委員会のことも。

雨の日の帰り道も。

体育祭の日も。

全部。

同じ気持ちだったんだって。

でも――

もう遅い。

私は泣きながら笑った。

「私もです」

先輩は小さく頷く。

そして電車に乗る。

ドアが閉まる。

電車がゆっくり動き出す。

私は動けなかった。

窓の向こうで、先輩が小さく手を振る。

私も手を振る。

でも、涙でよく見えない。

電車はどんどん遠くなる。

やがて見えなくなった。

静かなホーム。

私はその場に立ったまま、空を見上げる。

涙が止まらない。

好きだった。

本当に好きだった。

でも。

言えなかった。

言ってはいけなかった。

だって――

家族だったから。

それでも。

この恋は、きっとずっと消えない。

兄になった人を好きになった、
どうしようもない恋。

でも確かに、そこにあった。

忘れられない恋だった。

私は涙を拭いて、小さくつぶやく。

「さよなら、先輩」

春の風が、静かに吹いた。
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