兄になった先輩を好きだった

第8章 兄妹になった日

その日の夜。

私は、橘先輩の家にいた。

いや――

もう違う。

これからは、**私の家になる場所**だった。

リビングでは、大人たちが楽しそうに話している。

「やっぱり縁ってあるね」

「同じ学校だったなんて」

そんな言葉が聞こえる。

でも、私の耳にはほとんど入ってこない。

さっきの光景が、頭から離れない。

階段を降りてきた先輩の顔。

驚いた目。

そして。

「俺の息子の颯斗だよ」

という言葉。

胸が重くなる。

私は静かに立ち上がった。

「ちょっと外の空気吸ってくる」

母にそう言って、玄関に向かう。

ドアを開ける。

夜の空気が冷たい。

深く息を吸う。

(なんで…)

どうしてこんなことになるんだろう。

好きになった人が。

家族になるなんて。

「藤沢」

後ろから声がした。

振り向く。

橘先輩だった。

少し気まずそうに立っている。

沈黙が落ちる。

いつも学校で話していたのに。

今日は、言葉が出ない。

先輩が先に口を開いた。

「……びっくりしたな」

「はい」

それしか言えない。

先輩は苦笑した。

「まさかだよな」

「ほんとに」

二人で小さく笑う。

でも、どこかぎこちない。

少し沈黙してから、先輩が言った。

「まあ」

ポケットに手を入れて、空を見る。

「親が幸せなら、それでいいよな」

胸が少し痛む。

「……そうですね」

本当は、もっと違うことを言いたかった。

でも言えない。

だって、もう――

家族になるから。

そのとき、先輩が私を見る。

少しだけ優しい目だった。

「藤沢」

「はい」

「これからさ」

少し間を置く。

「よろしくな」

一瞬、意味が分からなかった。

「……兄妹として」

その言葉で、胸がぎゅっと締めつけられる。

兄妹。

そうだ。

もう先輩じゃない。

**兄になる人。**

私は少しだけ笑った。

「はい」

声が小さくなる。

「よろしくお願いします」

その瞬間、胸の奥で何かが静かに崩れた気がした。

好きな人なのに。

好きって言えない。

隣にいるのに。

手を伸ばせない。

そんな距離になってしまった。

家の中から、母の声がする。

「美羽ー!」

私は振り返る。

「今行きます!」

そう答えて歩き出す。

玄関に入る前、少しだけ振り返った。

橘先輩――

いや。

颯斗先輩が、まだそこに立っていた。

そして、ふと気づく。

これから毎日。

家でも、学校でも。

**この人の隣にいることになる。**

それはきっと――

想像よりずっと、苦しい。
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