最低で大嫌いなあなた、結婚してください
 彼女の申し出は願ったり叶ったりだった。

 一般女性を相手に一目惚れをしたなど言わないが、彼女の事を気にしているのは事実だからだ。

 可能なら、もっと彼女と話して色んな事を知っていきたいと思っていた。

「じゃあ、ちょっと待っていてくださいね」

 鞠花は微笑み、台所に立って手早く朝食の準備を始めた。

 炊飯器の蓋を開けて米を混ぜたあと、昆布をふやかしておいた鍋で味噌汁を作り、ぬか床に漬けていた茄子を取り出し、切る。

「出勤前ですので、魚を焼いている間、汗を流してきます。すみません」

 鞠花は塩鮭を二枚グリルにセットしたあと、アコーディオンドアの向こうに消えた。

 衣擦れの音が聞こえたあと、すぐに水音が聞こえてくる。

 祥吾はクーラーの心地いい風を浴びながら、座椅子にもたれて目を閉じた。

 こんな小さく狭い、生活感の溢れた部屋なのに、なぜか物凄く安心する。

 自分はこんな空間など知らないのに、「懐かしい」という感覚すら味わっていた。

 窓の向こうから、車の走行音が聞こえる。

(あぁ、そうか。大学生時代に入り浸ってた、先輩のアパートに似てるんだ)

 祥吾は心の奥にあるノスタルジックな感覚の正体を知り、薄く笑う。

 あの頃は何もかも自由で、楽しかった。

 当時は社会人としての地位を得る前で、無責任に色んな事をしていた。

 クラブで音に酔い、朝まで飲んで、名前も知らない女を抱いた。

 あの頃から決まった彼女はおらず、自分を奪い合って女性たちが争うのを楽しんでいる節もあった。

 友達の彼女を寝取った事もあったし、既婚者も抱いたし、OLのマンションにも入り浸っていた。

『君、いつまでもこんな生活してたら、まともな人間になれないよ』

 OLを抱いたあとにそう言われたが、彼女も上司と不倫していたのでお互い様だ。

 ――あの時彼女が吸っていた煙草の銘柄は……。

 そこまで考えた時、鞠花がシャワーを浴び終えてアコーディオンドアを開けた。

「すみません、お待たせしました。本来、初対面の男性の前でシャワーなんて入るものじゃありませんが、走っていたので……」

 真面目な表情ながらも、恥じらって言い訳をする彼女が面白い。

「お気にせず。世話になってるのはこっちですから」

 鞠花は髪をバスタオルに包んだまま、鮭を皿に移し、祥吾の前に茶碗を置く。

「ご飯、これぐらいでいいですか?」

 尋ねた鞠花は、男だから自分より多く食べると考えたのだろうか。

 そのように気遣われるのが、どこかこそばゆい。
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