最低で大嫌いなあなた、結婚してください
 女性はジョギングの帰りに合わせて米を炊いていたのか、室内ではいい匂いが漂っていた。

(着替えを買わないと駄目だな)

 切り裂かれたTシャツなど着ていられない。

 とはいえ、着替えを買うまではこれを着ていなければいけない訳だが……。

 そのような事を考えながらTシャツを脱いだ祥吾の前に女性がしゃがみ、しげしげと患部を見てくる。

 彼女は救急セットから真新しいガーゼを取り出すと、祥吾の傷口に押し当てた。

「痛むかもしれませんが、少し我慢してください」

「大丈夫です」

 患部を圧迫され、多少の痛みは感じるものの、我慢できないほどではない。

「……お名前を聞いてもいいですか?」

 恩人の女性に名前を尋ねると、彼女は「ああ」と失念していたように瞠目する。

「私は西城鞠花(さいじょうまりか)と言います。この近くの病院で勤務している看護師です」

「俺は……」

 祥吾は名乗ろうと思ったが、一瞬言い淀む。

 自分はある程度、名の通っている人物だと自覚している。

 ここで本名を名乗ってしまえば、せっかく恩人と思った彼女に余計なフィルターを与えかねない。

 色恋抜きで恩を感じている相手にまで、〝鳳グループの御曹司〟と思われたくない。

「……修吾(しゅうご)……です」

 本名を少し変えた名を名乗ると、鞠花は「そうですか」と笑った。

「修吾さん、災難でしたね。失礼ですが、犯人に心当たりはありますか? 手当てをしたあと、すぐに通報したほうがいいです」

「いや……、心当たりは……」

 祥吾は「ありすぎて分かりません」と言いかけて、言葉を呑み込む。

 そんな事を言ってしまえば、トラブルメーカーだと白状するのと同じだ。

 せっかく助けてもらって安心したのに、「そんな人にいてほしくない」と放り出されては堪らない。

「スマホはありますか? それとも私から通報しますか?」

 そう考えている間も、鞠花はテキパキと傷口の処置をし、消毒液を染みこませた脱脂綿で傷口を消毒する。

 真剣な表情の鞠花に見つめられると、彼女が本気で自分を心配してくれているのが分かった。

 同時に、こう思う。
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