深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった
代官山から中目黒まで歩くと十分くらいの道のり。
駒沢通りのゆるやかな坂を下りていく途中で、住宅街のある脇道に逸れて、川沿いに出る。
この時間の中目黒は好きだ。
おしゃれな街という虚飾を脱ぎ捨て、生活の匂いがする素顔を見せるから。
歩道橋の下には、猫の餌やりにきているおばあさんの背中が見えた。
マンション前に辿り着き、エントランスに向かおうとして、柚子の足が止まる。
疲れているけれど、このまま部屋に戻っても、アドレナリンが引かずに眠れない気がした。
駅前の整体に寄ろうかと考えスマホを手にした瞬間、通りを挟んだ向かいの建物の前に、地下へと続くLAMPの看板が見えてしまった。
磁石に引き寄せられるように寄ってしまった。
ここはもう、自分にとって第二の我が家と言っても過言ではない。
扉を開けると、マスターが「あれ、ゆずちゃん珍しいね、この時間に来るの」と言った。
確かに、柚子が顔を覗かせるにしては、早すぎる時間だ。
まだ十時前という時間帯は、彼女が顔見知りとなったLAMPの常連たちが集まるには、少し早い。
カウンターには、先客が一人だけいた。
九条である。
彼はカウンターの端でノートを広げ、何かに没頭していた。
柚子が入ってきた気配に顔を上げて、少し目を細める。
「あれ、こんばんは。早いですね」
「今日はスタジオ仕事だったので、直帰しちゃいました」
マスターが何も聞かずにカモミールティーを柚子の前に置く。
九条は再びノートにペンを走らせ、柚子はカップから立ち上る香りを胸いっぱいに吸い込む。
この空間での沈黙が苦じゃないのは、最初の頃から変わらない。
マスターは寡黙な人ではないけれど、それぞれの客が今、その瞬間に求めているモノがわかるようだ。
「スタジオって、レコーディングですか」
九条が手を止めずに聞いた。
「そうです。担当してるアーティストさんの」
「うまくいきましたか」
「……今日はそこそこ、です」
そこそこ、という言葉を使ったのは久しぶりだった。
曖昧な本音。
会社では「問題ありません」か「対応します」しか言わない。
「ディレクターさんが、とにかく妥協を許さない方で」
「それは良いことじゃないですか」