深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった
第七話 光の無い夜に
※災害描写があるので苦手な方はご注意ください※
代官山のスタジオで、サクラの追加録音に立ち会っていた午後三時過ぎ。
ソファで資料を確認していた刹那。
最初は小さい揺れから始まった。
東京に住んでいれば、多少の揺れには慣れている。
幹線道路横を歩いていれば、振動が地を伝わってくるのは常であったし、エレベーターの中や、電車の中もそうだ。
ペットボトルの中の液体の震えは止まるどころか、次第に大きくなりつつある。
資料から目を上げて、ブースの中を確認する。
新田さんの指示で、サクラは既に歌唱を止めている。
スタンドマイクが左右に振れて、倒れるかも、と思った瞬間に、ズシンと地鳴りのような衝撃が届く。
スタジオの壁がきしむ音がして、壁面の機材がずれる。
新田さんが立ち上がって「サクラちゃん、しゃがんで! 後ろのデスクの下入って!」と叫んだ。
非常灯が点灯するのとメインの照明が落ちたのは同時のタイミング。
揺れは一分近く続いた。
体感ではもっと長かった。
スタジオの中に沈黙が落ちた。
非常灯だけの薄暗い空間で、三人は互いの顔を見た。
「サクラちゃん、大丈夫?」
ブースのドアを開けると、サクラが床にへたりこんでいる。
怪我はなさそうだった。
「大丈夫です」と彼女は言った。声が少し震えていた。
「ここ、地下だから、直に伝わって来たね。びっくりした」
務めて明るく声をかけながら、柚子はスマートフォンをちらりと見る。
停電の影響なのか、Wi-Fiも繋がっていない。
5G回線はなんとか生きている。
SNSを開くと、タイムラインが更新されていた。
――震度6強。
都内広範囲で停電。
確認の為、地上に出ると、街の様子が一変していた。
信号が消え、車は停車し、ところどころ、道が隆起しているようにもみえる。
車道は水浸し、歩道には人が溢れていた。
スマートフォンを見ながら歩いている人、立ち止まって電話をかけようとしている人、道端にしゃがんでいる人。
柚子はSNSで状況を確認した。
在来線も私鉄も全線止まっていた。
復旧の見通しは立っていない。
戻ると、新田さんがサクラに「今日はここにいなさい」と言っていた。
スタジオは地下だから構造的に安全だし、非常用電源がある。
スタッフが毛布を出してきていた。
「野口ちゃんは?」と新田さんが聞いた。
「ここからなら会社も歩いて戻れます。恵比寿ですし」
「うん、気をつけて。先に本社に安否確認送った方がいい」
新田さんの言葉に、頷きながら柚子は社用のチャットツールを立ち上げる。
橋本:六本木にいます。様子見てから動きます
田村:新宿で足止め。歩いて帰れる人は直帰してって連絡来てた
真下:大門で打合せ中でした。帰れるか判りませんがとりあえず歩きます
柚子は真下のメッセージを見て、少し眉をひそめた。
真下さんの自宅は確か町田である。
大門から町田まで、歩いたら何時間かかるか。
錯綜する情報と、関係各所との安否確認をしながら、柚子は会社方面ではなく自宅方面に駒沢通りを下ることにした。
路面店は軒並みシャッターが下ろされ、ところどころ、硝子や金属の破片が落ちている。
歩道を歩く人の数が普段の何倍もいて、みんな無言で歩いていた。
止まっている車のクラクションが、どこかで鳴っていた。
かろうじて、開いているコンビニがあったので覗いたら、棚がほぼ空だった。
水のペットボトルと板チョコレートだけ、辛うじて確保する。
橋本:真下さん会社に帰った方がいいかもしれませんよ。大門からなら
真下:そろそろ息子が児童クラブから帰る時間なんですが、送迎頼んでいる親ともまだ連絡取れず、心配なんで
確か、真下さんは奥さんを亡くして、息子さんと二人暮らしをしているシングルパパだ。
ご両親は存命で、近くに住んでいるから、かなり助けられているという話をしていたのを思い出す。
柚子はそのメッセージを見て、念のため両親に連絡を入れようとしたが、相変わらず電話回線は繋がらない。
SNSのニュースは、ヒルズの火災とか、臨海地区の液状化とか、今まで経験したことの無い災害状況を知らせてくる。
街中の信号が消えているだけじゃなくて、店の明かりも、マンションのエントランスの明かりも、全部消えていた。
街灯さえもついていない。
ふだんはネオンや窓の明かりが川面に映るのに、今夜は真っ暗な水面が広がっていた。
マンションのエントランスは暗い。
エレベーターは止まっていた。
階段で五階まで上がった。
暗い中、スマートフォンのライトで足元を照らしながら、一段ずつ上がった。
部屋に入って、防災グッズの袋から懐中電灯を探り当てる。
去年の防災訓練のときに会社で配られたやつだった。
使うのは初めて。
箱からも出しておらず、暗闇の中でなんとか電池を押し込んだ。
田村:スーパーもコンビニも自販も飲み物全滅です。これは結構ヤバい状況かも
橋本:会社に戻りました。一応非常食とかあるけど、CFOが車で女子社員は送ってくれるそうです。俺は会社泊まります
相良:ほんとに!? 私いま天現寺まで来れたから行きます。充電もちょっとやばいです。泣きそう
代官山のスタジオで、サクラの追加録音に立ち会っていた午後三時過ぎ。
ソファで資料を確認していた刹那。
最初は小さい揺れから始まった。
東京に住んでいれば、多少の揺れには慣れている。
幹線道路横を歩いていれば、振動が地を伝わってくるのは常であったし、エレベーターの中や、電車の中もそうだ。
ペットボトルの中の液体の震えは止まるどころか、次第に大きくなりつつある。
資料から目を上げて、ブースの中を確認する。
新田さんの指示で、サクラは既に歌唱を止めている。
スタンドマイクが左右に振れて、倒れるかも、と思った瞬間に、ズシンと地鳴りのような衝撃が届く。
スタジオの壁がきしむ音がして、壁面の機材がずれる。
新田さんが立ち上がって「サクラちゃん、しゃがんで! 後ろのデスクの下入って!」と叫んだ。
非常灯が点灯するのとメインの照明が落ちたのは同時のタイミング。
揺れは一分近く続いた。
体感ではもっと長かった。
スタジオの中に沈黙が落ちた。
非常灯だけの薄暗い空間で、三人は互いの顔を見た。
「サクラちゃん、大丈夫?」
ブースのドアを開けると、サクラが床にへたりこんでいる。
怪我はなさそうだった。
「大丈夫です」と彼女は言った。声が少し震えていた。
「ここ、地下だから、直に伝わって来たね。びっくりした」
務めて明るく声をかけながら、柚子はスマートフォンをちらりと見る。
停電の影響なのか、Wi-Fiも繋がっていない。
5G回線はなんとか生きている。
SNSを開くと、タイムラインが更新されていた。
――震度6強。
都内広範囲で停電。
確認の為、地上に出ると、街の様子が一変していた。
信号が消え、車は停車し、ところどころ、道が隆起しているようにもみえる。
車道は水浸し、歩道には人が溢れていた。
スマートフォンを見ながら歩いている人、立ち止まって電話をかけようとしている人、道端にしゃがんでいる人。
柚子はSNSで状況を確認した。
在来線も私鉄も全線止まっていた。
復旧の見通しは立っていない。
戻ると、新田さんがサクラに「今日はここにいなさい」と言っていた。
スタジオは地下だから構造的に安全だし、非常用電源がある。
スタッフが毛布を出してきていた。
「野口ちゃんは?」と新田さんが聞いた。
「ここからなら会社も歩いて戻れます。恵比寿ですし」
「うん、気をつけて。先に本社に安否確認送った方がいい」
新田さんの言葉に、頷きながら柚子は社用のチャットツールを立ち上げる。
橋本:六本木にいます。様子見てから動きます
田村:新宿で足止め。歩いて帰れる人は直帰してって連絡来てた
真下:大門で打合せ中でした。帰れるか判りませんがとりあえず歩きます
柚子は真下のメッセージを見て、少し眉をひそめた。
真下さんの自宅は確か町田である。
大門から町田まで、歩いたら何時間かかるか。
錯綜する情報と、関係各所との安否確認をしながら、柚子は会社方面ではなく自宅方面に駒沢通りを下ることにした。
路面店は軒並みシャッターが下ろされ、ところどころ、硝子や金属の破片が落ちている。
歩道を歩く人の数が普段の何倍もいて、みんな無言で歩いていた。
止まっている車のクラクションが、どこかで鳴っていた。
かろうじて、開いているコンビニがあったので覗いたら、棚がほぼ空だった。
水のペットボトルと板チョコレートだけ、辛うじて確保する。
橋本:真下さん会社に帰った方がいいかもしれませんよ。大門からなら
真下:そろそろ息子が児童クラブから帰る時間なんですが、送迎頼んでいる親ともまだ連絡取れず、心配なんで
確か、真下さんは奥さんを亡くして、息子さんと二人暮らしをしているシングルパパだ。
ご両親は存命で、近くに住んでいるから、かなり助けられているという話をしていたのを思い出す。
柚子はそのメッセージを見て、念のため両親に連絡を入れようとしたが、相変わらず電話回線は繋がらない。
SNSのニュースは、ヒルズの火災とか、臨海地区の液状化とか、今まで経験したことの無い災害状況を知らせてくる。
街中の信号が消えているだけじゃなくて、店の明かりも、マンションのエントランスの明かりも、全部消えていた。
街灯さえもついていない。
ふだんはネオンや窓の明かりが川面に映るのに、今夜は真っ暗な水面が広がっていた。
マンションのエントランスは暗い。
エレベーターは止まっていた。
階段で五階まで上がった。
暗い中、スマートフォンのライトで足元を照らしながら、一段ずつ上がった。
部屋に入って、防災グッズの袋から懐中電灯を探り当てる。
去年の防災訓練のときに会社で配られたやつだった。
使うのは初めて。
箱からも出しておらず、暗闇の中でなんとか電池を押し込んだ。
田村:スーパーもコンビニも自販も飲み物全滅です。これは結構ヤバい状況かも
橋本:会社に戻りました。一応非常食とかあるけど、CFOが車で女子社員は送ってくれるそうです。俺は会社泊まります
相良:ほんとに!? 私いま天現寺まで来れたから行きます。充電もちょっとやばいです。泣きそう