深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった

第十話 SNSの横顔

 成城学園の家での生活は、奇妙なほどに静謐だった。
 停電と断水が続く都内の喧騒から切り離されたかのように、この場所には独自の時間が流れている。
 ソーラーパネルが蓄えた電気で明かりが灯り、貯水タンクから豊かな水が流れる。
 そして、朝と夜には九条が台所に立ち、手際よく食事を整えた。

 柚子は、庭の見えるテーブルを臨時の仕事場にして、ひたすらスケジュールの調整に追われていた。
 担当アーティストたちの無事は確認できたものの、リリースの延期やスケジュールの見直しなど、山積する課題はどれも動かしようのない現実として横たわっている。

 そんな柚子の集中を妨げないよう、九条は大半の時間を地下の書斎で過ごしているようだった。
 けれど、一日に何度か、彼は音もなく現れる。
 そして何も言わず、テーブルの端に淹れたての温かい茶を置いて去っていく。
 その、言葉を介さない気遣いが当たり前の光景になるまで、三日とかからなかった。

 四日目の午後、仕事の合間に柚子は真下が以前纏めてくれた『蒼』の関連資料を見直していた。
 地震で一時中断してはいるものの、いずれ再始動するタイアップ案件だ。
 プロフィールのページには、三十代前半、表舞台に姿を現さない神秘的な音楽家という記述が並んでいる。
 動画配信サイトに投稿された彼の音楽は、ミリオン再生を叩き出している。
 たった数年で、世界中の人がするアーティストの正体は、未だに不明。
 ふと思い立ち、彼のSNSを遡ってみる。
 投稿は極端に少なく、楽器や楽譜の写真ばかりだったが、一枚だけ。
 スタジオらしき場所で窓の外を眺める横顔の写真。

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