深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった
その夜、柚子は窓際で星空を見上げながら、記憶を何度も上書きした。
豚汁を作ってくれた彼も、Chamomileを紡ぎ出した彼も、すべてが『蒼』というアーティストの断片だったのだ。
同時に、成城学園のこの広すぎる邸宅が、彼の本来の居場所であることも突きつけられた。
中目黒の501号室は、孤独な創作のための仮宿に過ぎなかった。
翌朝、キッチンに向かうと、九条がお湯を沸かしていた。
振り返り、目が合う。
その瞳は昨日と変わらず静かだったが、どこか切実な熱を帯びているように見えた。
「おはようございます。今日は、カモミールティーにしてみました」
差し出されたカップを両手で包み、柚子は意を決して尋ねた。
「中目黒に来たのは、仕事のリサーチのためだけ、なんですか」
九条は自らのカップを手にし、一呼吸置いてから答えた。
「……越してきた理由は、そうです。でも」
彼は言葉を切り、柚子の目を射抜くように見つめた。
「そこに留まり続けた理由は、仕事だけではありません」
その含みのある言い方に、柚子の鼓動が跳ねる。
彼がどれほど言葉を尽くすよりも雄弁に、その視線が想いを語っていた。