深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった

第十三話 帰る場所

 サクラのリリースイベントは、東名阪の三都市を巡る熱狂の中で幕を開けた。
 地震の影響で延期を余儀なくされたものの、その空白期間が皮肉にも楽曲を深く浸透させたのか、チケットは全公演完売という快挙を成し遂げた。

 柚子は、そのすべてのステージに立ち会った。
 何十テイクもの録り直しに耐え、新田の厳しい要求にも決して表情を崩さなかったサクラが、観客の前でどんな顔をするのか。
 それを見届けるのは、仕事という枠を超えた、彼女自身の切実な願いでもあったから。

 東京公演の夜、柚子は一つの答えを受け取った。
 ステージの上のサクラは、笑っていた。
 マイクを握り、客席を真っ直ぐに見つめ、在るように歌う。
 誠実さが、何千人もの観衆を静かに圧倒していた。

 舞台袖からその光景を見守っていた柚子は、気づけば熱くなる目元を拭っていた。
 A&Rという過酷な仕事を選んで本当に良かったと、心から思える夜だった。

 最終地である名古屋でのイベントが終わり、撤収を確認したのは夜の九時を過ぎた頃。
 サクラやスタッフに挨拶を済ませ、新幹線の改札へ向かう道すがら、柚子はスマートフォンを取り出した。
 画面には、九条からの短いメッセージが届いていた。

 『新幹線、何時ですか』

 『二十一時四十分のひかりです』

 『東京駅まで迎えに行きます』

 柚子は思わず足を止め、画面を覗き込んだ。
 成城から東京駅までは決して近くはない。

 『成城からだと遠くないですか?』

 『大丈夫です。柚子さんの帰る場所くらいには、なれたと思っているので』
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