深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった
 黒いジャケットを端正に着こなし、整えられた髪の隙間からのぞく瞳は、理知的だった。
 昨夜まで同じ屋根の下にいた恋人の甘い顔とはまるで別人のような、圧倒的なオーラを纏った佇まい。

 九条の視線が柚子を捉え、一秒だけ止まる。
 けれど、その視線はすぐに彼女の隣に座る真下へと移った。

 ほんの一瞬の、刺すような沈黙。
 九条は、真下の顔を鮮明に覚えている。

 あの地震の夜、大門から歩いてきたという陽気な声。
 柚子が「同僚です」と言って、彼女のプライベートな領域に一晩泊めた男。
 吸い込まれるようにして、隣の部屋のドアに入っていったあの男の背中を、彼は一度も忘れたことはなかった。

「――蒼です。本日は、よろしくお願いします」

 九条は静かに一礼し、制作サイドの正面に腰を下ろした。


 打ち合わせが始まると、柚子と真下の見事な連携が会議室の空気を動かしていく。

「野口さん、三ページ目の想定スケジュール、制作サイドとの認識を擦り合わせましょう」

「確認します。……すみません、この期間の納品は二週間いただけますか? 少しデザイナーさんとも調整したいです」

「うん、了解です! 野口さんの判断で進めてくれて大丈夫。信頼してますよ!」

「ありがとうございます。真下さん」

 二人の会話は、迷いが無い。
 お互いの呼吸を読み合うような、テンポ。
 仕事モードの野口柚子は、九条がこれまでに見たことのない顔をしていた。
 スケジュール折衝などは、多少揉める場面が多いのにもかかわらず、彼女は的確に、嫌味なく捌いていく。

 広報や営業の仕事もA&Rの担う側面だ。
 他者と協力して、そして調整していく仕事。
 柚子が好きだと言っていた、仕事。
 楽しそうに、会議の場を動かしているのが、伝わってくる。

 九条は柚子の言葉を聞きながら、資料に目を落としたまま、奥歯を噛み締める。
 LAMPのカウンターで見せる顔でも、成城の家で自分に向ける顔でもない。

 そして何より九条の胸をざわつかせたのは、仕事の合間に柚子が真下に向かって見せる、屈託のない笑みだ。

 自分以外の理解者(・・・・・・・・)と共に積み上げてきた、プロフェッショナルな時間の重みがそこにはあった。
 同期入社の彼らは、同志なのだ。

 だからこそ、真下はさほど躊躇することなく、柚子のパーソナルスペースに踏み込み、彼女もまたそれを自然に受け入れている。

 あの夜、見送った光景と、目の前に並んでいる二人の姿が、九条の内に、熱い独占欲を呼び起こしていた。
< 47 / 78 >

この作品をシェア

pagetop