深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった

 休憩を挟んで、後半の打ち合わせに入ると、音楽の方向性についての具体的な話が続く。
 九条が口を開く機会が、増えてきた。
 ドラマの世界観を音にする際の、本質的なこだわり。
 静かだが重みのある、一流アーティストの言葉に、制作サイドは一言も聞き漏らすまいと、真剣に耳を傾けていた。

 柚子は、彼が音楽の話をする時の声が、やはり自分の知っている「九条奏翔」そのものであることに安堵しつつも、先ほど知らされたばかりの、大事件。
 『蒼』本人が、ヴォーカルも担当するという事実が、頭から離れなかった。

 会議が終わり、参加者が席を立ち始める中、九条は自然な足取りで柚子の隣に立つ。

「お疲れ様でした。九条さんの仕事の顔、初めて見ました」

「うん、俺もですよ。初めて見ました」

「はい。……それに、歌うなんて。聞いてなかったから、本当に驚きました」

 少しだけ責めるような、戸惑ったような柚子の視線を受け、九条はわずかに表情を和らげた。

「……驚かせたかったわけではありませんが」

 その甘い囁きを遮るように、真下が背後から声をかけてくる。

「野口さん、お先に。蒼さんも、素晴らしい音源ありがとうございました。なんかあの夜にお会いしてたのがウソみたいで……こんなことってあるんですね! 主題歌の方も期待しています」

「お疲れ様でした、真下さん」

「……こちらこそ」

 真下が部屋を出るまで、九条は再び無愛想な表情に戻り、一言も発さなかった。
 彼が消えたのを確認してから、九条は柚子を促すように歩き出す。

「一緒に、帰れますか?」

 その声は、いつもよりずっと低い。

「この後、ラジオの収録あるんです……二本録りに立ち会わないとで」

 眉を下げた柚子の頬に、九条がそっと手を添えた。

「それなら俺もスタジオでトラックダウン作業します。柚子さん場所どこですか?」

「私は赤坂と溜池山王の間あたりです。日枝神社のむかい」

「ん、あとで迎えに行きます」

「九条さんも近くのスタジオ?」

「芝公園の方ですよ」

 九条の言葉に、柚子は頭の中で地図を広げる。
 遠くは無いが、そんなに近くも無い。
 それにトラックダウン作業は、時間をきっかり区切って出来るものでもない。

「私たぶん二時間くらいで終わっちゃいます……三十分番組だから」 

「じゃあ二十一時頃ですね。思考リセットするのに、スタジオから出る時間も大切なんですよ。だから俺のため」

 迷惑かける、申し訳ない、と困った顔で続けた柚子に、九条は耳元で囁きを落とし、それから、一瞬だけ唇が柚子の耳たぶを掠めた。
 弾かれたように顔を上げた柚子の頬が、赤く染まりゆくのを確認し、満足したように「のちほど」と、地下駐車場へ続く階段を降りて行った。

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