深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった
 
 水浸しのエントランスを抜け、外で待っていると、濃紺のスポーツカーが車体を滑り込ませてくる。
 窓から顔を覗かせた九条が「乗ってください」とキーロックを解除した。
 低めの位置に在る助手席に乗り込むと、革張りのシートで、かすかに木のいい匂いがする。

「荷物、後ろに置いていいですよ」

「……この車、九条さんのですか」

「うん、古いやつですよ」

 古いやつですが、じゃないだろうと思った。
 車は詳しくないけれど、四つの丸が連なるマークは、きっと誰でも知っている。
 シートに背中を預けながら、いろんな疑問が浮かんでは声に出せず通り過ぎていく。

「そういえば九条さん、下の名前なんて読むんですか? かなと、ですか? かなで?」

 低く唸るようなエンジン音がかかると、九条の向こう側に見える窓外の光景が、流れ始めた。
 落下した看板、ひび割れている壁面、ひしゃげた何かのアンテナ。

「かなで、です。奏でる、の奏で」

 信号は相変わらず真っ黒。
 至る所で警察官が交通整理のためか、道路の中央に立っているのが見える。

 九条は慣れた様子で、ゆっくりとハンドルを切った。

 世田谷通りに入ると、軽く渋滞していた。
 片側は、地面の隆起の所為なのか、恐らく昨日から停車したままの車両が何台も並んでいる。

 成城学園前駅を通過して、細い道を曲がって、また曲がって。
 街並みは、おしゃれだけれど裏通りに入れば生活感のある中目黒に比べて、ずっと緑が増え、建物の感覚が広くなっていった。

 暫くしてから車が停車した。
 大きな門。

 九条がリモコンを操作すると、鉄の門がゆっくり開いく。
 柚子は、窓からまるで他人事のように外を見ていた。

 玄関までのアプローチに、石畳が続いている。
 両側の植栽にも手入れが行き届いている。
 エンジンの音が止まるのと、門が自動で閉まる音が重なる。

 柚子は唖然としたまましばらく、降りられなかった。

「……えっと、九条さん」

「はい」

「ここ、九条さんの家ですか」

「そうです」

「成城学園にあるって言ってましたけど」

「うん、言いましたね」

「私、想像してたのと、なんか……全然違いました」

 九条はハンドルにもたれかかるようにして、顔だけ柚子の方に傾ける。
 喉仏が上下して、声が空間に落ちてくる。

「どんな想像?」

「もっと……なんだろ、普通の……?」

 もごもご答える柚子に対して、九条は悪戯っぽく微笑んだ。
 LAMPでも、今までいた車内でも見たことの無いような表情。

「とりあえず、中に入りますか。寒いので」

「あ、はい」
< 53 / 63 >

この作品をシェア

pagetop