深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった
 柚子は自分をこうしてエスコートしてくれた存在が、この場所に住んでいることを、まだうまく処理しきれない。

 九条が作ってくれたのは、雑炊だった。

 冷蔵庫の残り物と、米と、卵で作ったシンプルな雑炊。

 そういえば前回この人が作ってくれたのも和食だったな、と柚子は思う。

 そして自分はまたしても、殆ど何も手伝うことが出来ず、カウンターの上を拭いたくらいだ。
 心のうちでは猛省しながらも、レンゲを口元に運ぶ手が止まらない。
 チョコレートくらいしかまともな物を胃に入れていないため、優しい味が染みわたる。

「九条さんって、ここに一人で住んでるんですか」

「そうです」

「なんか凄い広いですね」

 子供でも、もう少しまともな感想を述べるだろうに。
 心の中でツッコミを入れつつも、柚子は他の言葉を上手く紡ぐことが出来ずに、貧相なボキャブラリーを並べ立てた。

「うん、広すぎるとは思ってます」

「じゃあ」と、言いかけて、やめた。
 
 これ以上踏み込んでいいのか、分からなかったから。

 柚子の隣室は、仮の仕事場。

 九条は柚子が中途半端に口を開け、手を止めて思案している様子を静かに見つめている。

「亡くなった叔父の遺産を受け継いだんですよ。俺の親は今海外に居るんで」

 語られる単語は、今まで柚子の中には実体験として無かった言葉たち。

 けれど、それらが頭の中で重なりそうになっていた。
 
「そうなんですね」と答えたものの、やはりここの内にむくむくと起こる幾つもの疑念は、消化されそうも無い。

 九条は――今目の前にいる九条は、昨晩部屋の前で別れた彼と変わらないというのに。
 飾らない言葉は、残酷な真実を突き付けているような気がした。

 残りの雑炊を口の中に淡々と運んでいく。

 充電器をコンセントに差し込んだら、完全に暗くなっていた液晶画面が明るくなった。

 それだけのことで、ちょっと泣きそうになってしまった。

 仕事の連絡をひと通り終えて、ゲストルームとして当てが割れたベッドに倒れこむ。

 明日もリモートワークだ。

 案内された部屋は、リビングからは少し離れたところにあり、人の気配が全く聞こえてこない。

 窓の外は夕暮れで、庭が橙色に染まっていた。

 九条は仕事をするといって、地下に降りて行った。
 成城学園は台地に位置しているから、海抜の低い中目黒に比べて、地震の被害が少なかったのかもしれない。

 昨日の出来事は、夢だったのかと思うくらい、静かな家だった。

 ただ、充電が復活したスマートフォンが、アラートを鳴らす。
 跳ね起きて、シーリングライトを見守る。
 
 余震は相変わらず多い。
 昨晩よりかは、その回数がかなり減ったとはいえ、一時間に一回程度の頻度で不協和音が、心をざわつかせる。
 
 しばらくしてから扉の向こう側から「大丈夫ですか?」と声を掛けられた。

 はじめて立ち入った場所で、すぐそこに九条が居るという現実。
 
 それが、ひどく落ち着かなかった。
< 55 / 63 >

この作品をシェア

pagetop