深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった
琥珀色のカモミールティーが、いつもみたいにカウンターテーブルにことりと置かれる。
柚子はかじかんだ両手でそのカップを包み込む。
立ち上る湯気が、こわばった顔を優しく解きほぐしていく。
「……何があったか、話せる?」
香奈さんが隣の席に静かに腰を下ろし、寄り添うように聞いた。
柚子は視線をカップの中に落としたまま、数秒の間を置いて、震える声で言葉を絞り出した。
「……九条さんと、喧嘩みたいになって」
「九条さん!?」
トシさんが椅子を鳴らして声を上げた。
「付き合ったの結局!? いつから? 最近二人して顔見ないとは思ってたけど」
「……はい」
「いつから」
「地震の後、くらいから」
「ええっ! 知らなかった!」
「トシさん、声が大きいです」
香奈さんが窘めるように言ったが、トシさんは「だって、お祝いしないとじゃん……」と落ち着かない様子だ。
それを結城さんが「トシさん」と一言で制すと、ようやく店内に静寂が戻った。
「続けてください」
結城さんに促され、柚子はカモミールティーを一口含んだ。
花の香りが鼻に抜け、喉の奥の塊が少しだけ溶ける。
「えっと、今、仕事も偶然一緒にすることになって、それで今日、来季のドラマの制作発表会があって。……九条さんの……昔お付き合いされていた方が来ていて……」
「元カノ」
「渡会麗子さん、です」
その名を聞いた瞬間、香奈さんが「あー……」と、心当たりがあるような声を漏らした。
「知ってるんですか」
「数年前にそういう噂があったのは有名よ。事実だったのね」
柚子は再びカップの底を見つめた。
「二人の空気感がすごく特別に見えて。……それを見ていたら、なんだか。自分と九条さんの間にある距離みたいなものが、急に怖くなってしまったんです」
「距離って、世界が違うとか、そういうこと?」
トシさんの問いに、柚子は小さく頷いた。
「格差というのか、何なのか。九条さんの周りにいる人たちと、私の持っている『普通』が、あまりにも違いすぎて」
店内に、しばしの沈黙が流れた。
雨音だけが地下の階段を通じて微かに響く。