深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった
第十七話 世界中の誰でもなくて
十月、秋の夜気がガラス窓を白く曇らせている。
照明を落とされた室内は、大型テレビの明かりだけが二人をぼんやりと照らし出していた。
「……あと、五分」
ソファの真ん中、カシミアの膝掛を二人で分け合いながら、柚子は膝の上で指をぎゅっと組み直した。
今日は、九条奏翔が、アーティストの『蒼』として、自らの歌声を世に放つドラマの第一話放送日だ。
彼の隣にいる恋人として、柚子の心臓は夕食の時からずっと、ドラムの連打のような鼓動を刻み続けていた。
「柚子さん、緊張しすぎです。心臓、喉から飛び出してくるんじゃないですか」
隣に座る九条が、くすりと喉を鳴らして柚子の肩を抱き寄せた。
彼は驚くほど落ち着いている。
いや、正確には、日曜の夜の穏やかな時間に、恋人を心ゆくまで愛でることに意識が向いていて、自分の放送どころではないのかもしれない。
九条は、柚子の首筋に鼻先を寄せ、深くその香りを吸い込んだ。
「だって、奏翔さんの歌が……あの『Chamomile』が、ついに日本中に流れるんですよ? 私、自分が歌うわけじゃないのに、息が止まりそうで。PV解禁も今日だし。どうしよう」
「大丈夫です。俺の心臓は、隣でこんなに元気に動いているから」
九条は抱き寄せる力を強め、柚子の手を自分の左胸へと導いた。
厚いニット越しに伝わってくる、ドクン、ドクンという力強い拍動。
柚子の動揺を優しく飲み込むような、絶対的な安定感。
やがて、画面の中の時計が、運命の時刻を告げた。
物語が静かに動き出す。
主演俳優たちの熱演、美しい映像。
柚子はプロの顔に戻り、画面を凝視していた。
劇伴は問題なし。情景のイメージを損なわなく寄り添っている。
そして、物語が最高潮に達し、ヒロインが涙を流す決定的な瞬間。
――静かなピアノの旋律が、夜の静寂を切り裂くように流れ出した。
蒼の、唯一無二の歌声。
深く、どこか寂しげで、けれど聴く者の魂を抱きしめるような、圧倒的な透明感を持ったヴォーカル。
サビに向けて音が重なり、最高にドラマチックな三コーラス目へと突入する。
それは、祈りにも似たようなメロディだった。
「……っ」
柚子の目から、一粒の涙がこぼれ落ちた。
制作期間の苦労、彼とのすれ違い、そしてこの曲に込められた途方もない愛。
すべてが音となって押し寄せ、間違いなく最高の仕事ができたという確信と、恋人としての誇らしさが、胸を熱く焦がす。
「すごい……奏翔さん、本当に、最高の曲です。世界中の人が、ぜったい今、あなたの声に恋をしてる」
震える声で呟いた柚子の頬を、九条の長い指が優しく掬い上げた。
彼はテレビ画面には目もくれず、ただ、涙で濡れた柚子の瞳を、熱い熱い独占欲を孕んだ眼差しで見つめていた。
「俺が恋したのは、世界中の誰でもない。……貴女だけです、柚子さん」
九条はそのまま、柚子の額に、鼻筋に、慈しむような細かなキスを落としていく。
「この曲が完成したのも、俺自身の声で、歌いたいと思ったのも。……全部、柚子さんのおかげです。あの日も、今も。貴女が俺を見つけてくれなければ、この声は死んでいた」
「奏翔、さん……」
「俺を救ってくれた……それから、世界で一番愛している俺の大切な恋人へ。……ご褒美しないといけませんね」
照明を落とされた室内は、大型テレビの明かりだけが二人をぼんやりと照らし出していた。
「……あと、五分」
ソファの真ん中、カシミアの膝掛を二人で分け合いながら、柚子は膝の上で指をぎゅっと組み直した。
今日は、九条奏翔が、アーティストの『蒼』として、自らの歌声を世に放つドラマの第一話放送日だ。
彼の隣にいる恋人として、柚子の心臓は夕食の時からずっと、ドラムの連打のような鼓動を刻み続けていた。
「柚子さん、緊張しすぎです。心臓、喉から飛び出してくるんじゃないですか」
隣に座る九条が、くすりと喉を鳴らして柚子の肩を抱き寄せた。
彼は驚くほど落ち着いている。
いや、正確には、日曜の夜の穏やかな時間に、恋人を心ゆくまで愛でることに意識が向いていて、自分の放送どころではないのかもしれない。
九条は、柚子の首筋に鼻先を寄せ、深くその香りを吸い込んだ。
「だって、奏翔さんの歌が……あの『Chamomile』が、ついに日本中に流れるんですよ? 私、自分が歌うわけじゃないのに、息が止まりそうで。PV解禁も今日だし。どうしよう」
「大丈夫です。俺の心臓は、隣でこんなに元気に動いているから」
九条は抱き寄せる力を強め、柚子の手を自分の左胸へと導いた。
厚いニット越しに伝わってくる、ドクン、ドクンという力強い拍動。
柚子の動揺を優しく飲み込むような、絶対的な安定感。
やがて、画面の中の時計が、運命の時刻を告げた。
物語が静かに動き出す。
主演俳優たちの熱演、美しい映像。
柚子はプロの顔に戻り、画面を凝視していた。
劇伴は問題なし。情景のイメージを損なわなく寄り添っている。
そして、物語が最高潮に達し、ヒロインが涙を流す決定的な瞬間。
――静かなピアノの旋律が、夜の静寂を切り裂くように流れ出した。
蒼の、唯一無二の歌声。
深く、どこか寂しげで、けれど聴く者の魂を抱きしめるような、圧倒的な透明感を持ったヴォーカル。
サビに向けて音が重なり、最高にドラマチックな三コーラス目へと突入する。
それは、祈りにも似たようなメロディだった。
「……っ」
柚子の目から、一粒の涙がこぼれ落ちた。
制作期間の苦労、彼とのすれ違い、そしてこの曲に込められた途方もない愛。
すべてが音となって押し寄せ、間違いなく最高の仕事ができたという確信と、恋人としての誇らしさが、胸を熱く焦がす。
「すごい……奏翔さん、本当に、最高の曲です。世界中の人が、ぜったい今、あなたの声に恋をしてる」
震える声で呟いた柚子の頬を、九条の長い指が優しく掬い上げた。
彼はテレビ画面には目もくれず、ただ、涙で濡れた柚子の瞳を、熱い熱い独占欲を孕んだ眼差しで見つめていた。
「俺が恋したのは、世界中の誰でもない。……貴女だけです、柚子さん」
九条はそのまま、柚子の額に、鼻筋に、慈しむような細かなキスを落としていく。
「この曲が完成したのも、俺自身の声で、歌いたいと思ったのも。……全部、柚子さんのおかげです。あの日も、今も。貴女が俺を見つけてくれなければ、この声は死んでいた」
「奏翔、さん……」
「俺を救ってくれた……それから、世界で一番愛している俺の大切な恋人へ。……ご褒美しないといけませんね」