深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった
「九条さんが、ここでだけは『ただの普通のお兄さん』でいられてたからだよ」
柚子は息を呑み、トシさんの顔を見た。
「渡会さんとかさ、業界の人たちは、みんな彼をアーティストの『蒼』として扱うじゃん。けれど、ゆずちゃんだけが、九条という一人の男として向き合ってた。……それが、あの人にとってどれだけ救いだったか。どれだけ大事なことだったか、分かるだろ?」
香奈さんも、優しく頷きながら言葉を添えた。
「私も同じこと思ってた。この店で見てると分かるのよ。私はまあリアルの九条さんのこと知らないけど。ゆずちゃんの前でだけ、肩の力が抜けて、ちゃんと『素』になってたもの。なんていうの、自然な空気感みたいなの流れてて、あーなんかこの二人似合うなあって」
「……そう、でしたか」
「そうだったわよ」
結城さんが手元のワインを一口飲み、淡々と、けれど重みのあるトーンで締めくくった。
「格差を怖がる気持ちは分かります。けれど、格差があることと、その男があなたを選んでいることは、全く別の話です」
柚子は結城を見つめた。
「……難しいですね」
「ええ、難しいですよ」
それだけ言うと、結城さんはまた元の静かな酔客に戻った。
マスターはカウンターの向こうで、変わらぬ手つきでグラスを磨き続けている。
何も語らない。
沈黙は、すべてを肯定してくれているように感じられた。
LAMPで普通で在ることが。
彼が求めていた居場所だったのかもしれない。
温かいお茶の熱が、指先からゆっくりと全身へ広がっていくのを、柚子は静かに感じていた。