深夜2時。君のとなりで ――世界中が知っている彼を、私だけが知らなかった
夜明け前、柚子はふと意識が浮上するのを感じて目を覚ました。
寝室の窓からは、雨上がりの薄藍色の光がカーテンの隙間を縫って差し込んでいた。
隣にいたはずの体温が消えていることに気づき、柚子は体を起こす。
九条は、ソファの端に座っていた。
膝の上に楽譜を広げ、手には一本のペンを握っている。
部屋には、スマートフォンから流れているのか、微かなボリュームで音楽が流れていた。
聴いたことがあるメロディだけれど、今の『蒼』が創り上げる洗練されたサウンドとは違う曲。
もっと粗削りで、叫ぶようなギターの歪みと、どこか必死さを感じさせる若々しい旋律。
「奏翔さん……おはようございます」
柚子が遠慮がちに呼びかけると、九条はゆっくりと振り返った。
「起こしてしまいましたか」
「その曲……今の『蒼』の創る曲じゃないみたい」
「……古いデモ音源です。俺がまだ何者でもなかった頃の」
愛おしそうな目線に捕らわれ、柚子は慌てて布団を肩まで引き上げる。
「音楽を、一度本気でやめようとしたことがありました。何もかもが上手くいかなくて、自分の才能に絶望していた。この音源は、最後の望みを懸けて送ったレコード会社の『不採用通知』が届いた夜に、一人で聴いていたものです」
九条の指が、古びた音源の入ったスマートフォンをなぞる。
「不採用だったのに、どうしてこれを……」
「その不採用通知の中に、一枚だけ、手書きのメモが入っていたんです。おそらく、正式な審査員ではなく、現場の雑用をこなしていたような下っ端の担当者が書いたものでしょう」
「なんて書いてあったんですか」
「『このデモの3コーラス目、本当に好きでした』ただ、それだけの一行です」
部屋に流れる曲が、ちょうど3コーラス目に入った。
切なくも美しい、祈りのようなメロディ。
柚子は、その旋律に心臓を掴まれたような感覚に陥った。
なぜか、ひどく懐かしい。
「……柚子さん。覚えていますか」
九条の問いに、柚子は困惑して首を振った。
「……いえ、聴いたことがあるような気はしますけど」
「そうですか。それでいいんです」
九条は、手のひらに握り込んでいたものを見せた。
それは、経年劣化で端が少し色褪せた、小さな黄色の付箋。
彼から渡されたそれを見て、柚子の思考が凍りついた。
そこには、紛れもない自分の筆跡で、たった一行だけ文字が記されていた。
柚子の心拍が、激しく跳ね上がる。
彼女はまだ学生で、就職活動の一環として大手レコード会社の制作部でアルバイトをしていた時期があった。
山のように届くデモテープを整理し、仕分けし、返送するだけの無機質な作業。
その合間に、どうしても捨てられなかった曲があったこと――。
「これ……私の字。私が、書いたってこと……?」
寝室の窓からは、雨上がりの薄藍色の光がカーテンの隙間を縫って差し込んでいた。
隣にいたはずの体温が消えていることに気づき、柚子は体を起こす。
九条は、ソファの端に座っていた。
膝の上に楽譜を広げ、手には一本のペンを握っている。
部屋には、スマートフォンから流れているのか、微かなボリュームで音楽が流れていた。
聴いたことがあるメロディだけれど、今の『蒼』が創り上げる洗練されたサウンドとは違う曲。
もっと粗削りで、叫ぶようなギターの歪みと、どこか必死さを感じさせる若々しい旋律。
「奏翔さん……おはようございます」
柚子が遠慮がちに呼びかけると、九条はゆっくりと振り返った。
「起こしてしまいましたか」
「その曲……今の『蒼』の創る曲じゃないみたい」
「……古いデモ音源です。俺がまだ何者でもなかった頃の」
愛おしそうな目線に捕らわれ、柚子は慌てて布団を肩まで引き上げる。
「音楽を、一度本気でやめようとしたことがありました。何もかもが上手くいかなくて、自分の才能に絶望していた。この音源は、最後の望みを懸けて送ったレコード会社の『不採用通知』が届いた夜に、一人で聴いていたものです」
九条の指が、古びた音源の入ったスマートフォンをなぞる。
「不採用だったのに、どうしてこれを……」
「その不採用通知の中に、一枚だけ、手書きのメモが入っていたんです。おそらく、正式な審査員ではなく、現場の雑用をこなしていたような下っ端の担当者が書いたものでしょう」
「なんて書いてあったんですか」
「『このデモの3コーラス目、本当に好きでした』ただ、それだけの一行です」
部屋に流れる曲が、ちょうど3コーラス目に入った。
切なくも美しい、祈りのようなメロディ。
柚子は、その旋律に心臓を掴まれたような感覚に陥った。
なぜか、ひどく懐かしい。
「……柚子さん。覚えていますか」
九条の問いに、柚子は困惑して首を振った。
「……いえ、聴いたことがあるような気はしますけど」
「そうですか。それでいいんです」
九条は、手のひらに握り込んでいたものを見せた。
それは、経年劣化で端が少し色褪せた、小さな黄色の付箋。
彼から渡されたそれを見て、柚子の思考が凍りついた。
そこには、紛れもない自分の筆跡で、たった一行だけ文字が記されていた。
柚子の心拍が、激しく跳ね上がる。
彼女はまだ学生で、就職活動の一環として大手レコード会社の制作部でアルバイトをしていた時期があった。
山のように届くデモテープを整理し、仕分けし、返送するだけの無機質な作業。
その合間に、どうしても捨てられなかった曲があったこと――。
「これ……私の字。私が、書いたってこと……?」